―東北大学大学院経済学研究科・経済学部 経済史講座 川名 洋教授(西欧経済史)
Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)

経済史キーワード最前線



 

 東北大生のレポートによく登場する経済史のキーワード.最新の要点を確認しましょう.

封建制
 中世ヨーロッパには土地保有を基礎に経済的権力関係を支える制度がありました。封建制はイギリスの経済成長のルーツを探る上で欠かせないキーワードです。領主と家臣との間の軍事的関係のもとで営まれる農業中心の経済関係が強調されがちですが、肝心なのは、封建制によって経済取引に欠かせない政治的安定とルールに基づく社会がもたらされた経緯です。その恩恵を受けたのは都市の商工業者ばかりではありません。領主や農民の暮らしも農産物の活発な取引によって潤っていたのです(Miller and Hatcher: 1978, 242)。封建制下のイングランドでは、近現代と同じように「土地」も取引の対象でした。イギリスの封建社会は市場経済の原理を内包していたと言えるでしょう。(Broadberry: 2015, Ch.2)

エンクロージャー
 「囲い込み」と訳されるイギリス農業史のキーワードです。特定の時期(「第1次」、「第2次」など)に起こる現象であるかの如く説明するテキストもあるようですが、農地・農法の改良は、中世・近世を通じて行われていました。市場経済の論理が農業にも及んでいたからです。
 ある地域においてエンクロージャーが起こるきっかけは、場所と時代によって異なります。耕地から放牧地への転換一つとっても領主と農民の間の交渉による場合もあれば、よりよい土地へ移り住むために農民自ら農村を出て行ったことが原因となる場合もありました。放牧への転換が起こるのは、その方がはるかに労働節約的だからです。領主と農民の立場は違っていても、経済状況に応じた合理的な判断がなされていた点は共通していました。 (Overton: 1996, 160; Broadberry: 2015, Ch.2)
 エンクロージャーといえば小農を追いやる悲観的解釈がつきものですが、冷静に見れば、個人主義的で商業色が強いイギリス農業の象徴ととらえることもできるのです。


植民地主義
 16〜19世紀において西欧の商業力はヨーロッパ以外の地域へ拡張していきます。しかし、国家による政治的支配が当初の目的 ではありませんでした。初めは主に商業主義が目立ち、その影響の大きさもは時期と場所によっても大きく異なっていたのです。
 例えば、アメリカとアフリカ大陸にもたらされた経済的悪影響が当該時期を通じて深刻であったことは間違いありません。
 一方、日本や中国など東アジアに対する経済的影響は、1800年まではわずかでした。イギリス東インド会社がインド支配に積極的に乗り出すのも、 17世紀半ば以後とされています。実際に起こらなかったことの証明は困難ですが、インドの例では、植民地化が同地域の経済的発展を阻んだ という主張には、多くの歴史家が疑問を投げかけているようです (Koyama and Rubin: 2022)
 見過ごされがちなのは、未知の世界へ向かったヨーロッパ人の冒険心でしょう。そうした個々人の決断なしでは、現在のような経済の グローバル化は起こらなかったとすれば、西欧の世界進出が果たして国家的プロジェクトであったといえるかどうか。この点も慎重に考える必要がありそうです。


奴隷貿易
 言わずと知れた植民地主義にまつわる負の遺産ですが、西洋経済史の研究では論争が激しいテーマの一つです。 イギリス産業革命と同じ頃(18世紀後半〜)に盛んであったことから欧米経済の成功要因と考えられがちですが、奴隷貿易で潤ったビジネスが 産業技術のイノベーションを促したことを示す証拠はそう多くはないという論点が示されています(Koyama and Rubin: 2022)
 欧米経済が奴隷貿易によって潤ったのは確かです。しかしだからといって、マルクスの主張に端を発する世界システム論で示唆されるように、搾取が 近代経済勃興の主要因であったと言えるかどうか。論争は続きそうです。



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Last updated : 2024/04/20

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