国際卓越研究大学認定校
東北大学 大学院経済学研究科・経済学部 川名 洋教授(西欧経済史)

Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)

経済史のキーワード
用語集



 

 レポート作成時に東北大生がよく引用する経済史のキーワード.最新の要点を確認しましょう.

消費革命
 19世紀後期における経済思想史上の変化により、経済学者の目線が生産(労働価値説)から消費(効用理論)へ移行したことはよく知られています。それから約100年後、イギリス経済史の研究領域においても、供給側の変化(産業革命)から、それ以前に拡大する需要の大きさへと視点が移り、人々の購買意欲の高まりに注目が集まりました。「消費社会の誕生」、あるいは、「消費革命」と呼ばれることもあります。思想史と経済史それぞれの領域は異なっていても、経済において個人の選択がすこぶる重要であるという認識を重視する点では共通しています。18世紀の啓蒙主義以来の思想的伝統が、断続的に頭をもたげるイギリスらしさと解することもできそうです。
  ところで、ここでいう個人とは誰のことでしょう。購買力を有する富裕層や中間層の人々が想起されます。現在、消費革命をめぐる議論で問われているのは、所得の低い人々がどの程度、近世イギリスにおいて消費革命の恩恵を享受したのかという問題です。都市の消費市場の実態は、個々の記録に残りにくい分、解明が遅れがちですが、17世紀前半にはそれまで以上に多様な消費財が家庭に出回るようになっていたことがわかってきました(川名:2024,第2章、第5章)。貧富の差に応じて購買力が異なるのは当然ですが、貧しいからといって欲求も弱いとは言えませんので、多くの人々にとって都市の消費財市場の魅力は、その頃から高まり始めていたとしても不思議ではありません。
  「消費革命」は、良い意味でも(持続的経済成長)、悪い意味でも(地球温暖化)経済史の分岐点になりうる決定的な現象の一つです。近世史から目が離せない理由でもあります。
consumer revolution 2024.06.30


産業革命
 「産業革命はなぜイギリスに起こったのか」という問いに対し、これまで多くの学者が答えを出してきました。そのお陰で、産業革命に至る経済史は驚くほど豊かになりました。この成り行き一つとっても、産業革命以前の出来事を軽んじる歴史観がいかに不合理であるかがわかるでしょう。 
産業革命期の1750-1850年に推定されていたマクロ経済の成長率及び生産性の飛躍的向上が、実は過大評価であったことが指摘されて以来(Crafts:1985)、産業革命の位置づけは見直されるようになりましたが、再考の理由はそれだけではありません。近世(16〜18世紀)に近代的経済成長の条件となるいくつもの重要な歴史変化が見出されたことも、理由の一つです。経済のグローバル化とともに起こった消費革命はそうした歴史変化の一つと言えるでしょう。
Industrial Revolution 2024.06.26


東インド会社
 遠方の地域との取引が増えれば想定すべき市場圏も当然大きくなります。西洋経済史のおもしろさは、こうした市場圏の拡大に呼応して生産と流通の仕組み(制度と組織)が着実に変化していく様を考察できる点にあります。農業ではエンクロージャーが起こり、政治面では国家が形成されるのはその良い例です。
 17世紀におけるビジネスの世界に出現する新しいタイプの貿易会社、東インド会社が注目されるのもそのためです。香辛料や綿織物など実物経済への貢献を見るのも大事ですが、株式会社設立と証券市場の拡大により不動産以外の資産形成の手段が増える経済的・社会的インパクトは計り知れません。地主以外の社会層も取引のチャンスに恵まれたことを考えれば、蓄財方法の民主化を促進したといえるでしょう。また、そのようなチャンスがあることにより家計収入の意義が格段に大きくなったという意味では、労働意欲の高まりを促した同時期の勤勉革命と同じような影響を近世ヨーロッパにもたらしたと考えられるのです。
East India Company 2024.06.26

関連時事:日経平均株価、多国籍企業

財政革命
 遊休資本をいかにして経済活動に活用できるかは、金融システムの質に依存します。17世紀初頭に株式会社として設立された東インド会社は、その意味で活気的な経営組織となりました。財政革命のポイントは、この民間金融のイノベーションが公的部門にも応用されるようになり、巨大な金融市場が誕生した経緯にあります。1694年におけるイングランド銀行の設立以来、政府が不特定多数の投資家から資金を長期に借り入れることが当たり前になったからです。しかも、国の徴税権と税収を支えに公的金融は、投機的な民間会社よりもリスクが小さい安定した投資先を準備しました。商品市場において転売や質入れにより流動性を確保できるように、金融市場でも証券や証書が取引される二次市場が発生したことも重要です(Murphy: 2009)
 こうした経緯が注目されるのは、今からおよそ350年前の革命により現代にも通用する金融システムの雛形が設けられたからです。戦時下に起こる財政革命の経済史を紐解けば、競争が激しいグローバル経済下で安定的に国力を維持し続ける条件が、その国の政治、経済、社会のあり方に深く依存していたことも明らかになるからです。 Financial Revolution 2024.03.14
関連時事:国債 

大分岐
 19世紀に入るとイギリス産業革命の成功を他の西欧諸国とアメリカ合衆国が追いかけることになります。その結果、20世紀には欧米諸国と他の国々との間の所得格差が開く結果となりました。大分岐と呼ばれる現象です。西欧諸国が地理的にも近いイギリスにすぐに追いつくことができたのはわかりますが、アメリカ合衆国の成功も貿易及び資金面ではイギリス経済に依存していました。
 ならば、そもそもどうしてイギリス経済が最初に伸びたのか、歴史的経緯について知りたくなります。重商主義の実践や財政軍事国家の形成など国をあげての対外政策が功を奏したように見えますが、政策がうまくいった理由は、どこよりも安定的に伸び続けた国内経済にあったのです。
 その象徴的現象が、産業革命に至る約300年間(16〜18世紀)に着実に進んだイギリス社会の都市化でした。消費意欲の高まり、農業生産性の向上、高賃金経済の定着など、どれも持続的都市化に伴って発生した内国経済の成長要因です。ポイントはむしろ、これらは政府が計画したものではなかったという点です。だからこそ再現が難しく、後発工業国や発展途上国の例が示すように、他の地で試そうとしても、社会は思わぬ方向へ動いてしまうのです。
 「大分岐」の様子は各国間の所得水準の比較などによってまず統計的に説明されます。ところがその背後には最初の経済成長が、いつ、どの国で、どのようにして始まり、それゆえにその後の世界はどう変わったのかを示す、決して数だけでは表せない大切な真実が隠れています。それらを理解してはじめて大分岐の本当の意味に気づくことができるのです。

Great Divergence 2024.05.29
関連時事:グローバル・サウス

封建制
 中世ヨーロッパには土地保有を基礎に経済的権力関係を支える制度がありました。封建制はイギリスの経済成長のルーツを探る上で欠かせないキーワードです。領主と家臣との間の軍事的関係のもとで営まれる農業中心の経済関係が強調されがちですが、肝心なのは、封建制によって経済取引に欠かせない政治的安定とルールに基づく社会がもたらされた経緯です。その恩恵を受けたのは都市の商工業者ばかりではありません。領主や農民の暮らしも農産物の活発な取引によって潤っていたのです(Miller and Hatcher: 1978, 242)。封建制下のイングランドでは、近現代と同じように「土地」も取引の対象でした。イギリスの封建社会は市場経済の原理を内包していたと言えるでしょう。(Broadberry: 2015, Ch.2)2024.04.29

エンクロージャー
 「囲い込み」と訳されるイギリス農業史のキーワードです。特定の時期(「第1次」、「第2次」など)に起こる現象であるかの如く説明するテキストもあるようですが、農地・農法の改良は、中世・近世を通じて行われていました。市場経済の論理が農業にも及んでいたからです。
 ある地域においてエンクロージャーが起こるきっかけは、場所と時代によって異なります。耕地から放牧地への転換一つとっても領主と農民の間の交渉による場合もあれば、よりよい土地へ移り住むために農民自ら農村を出て行ったことが原因となる場合もありました。放牧への転換が起こるのは、その方がはるかに労働節約的だからです。領主と農民の立場は違っていても、経済状況に応じた合理的な判断がなされていた点は共通していました。 (Overton: 1996, 160; Broadberry: 2015, Ch.2)
 エンクロージャーといえば小農を追いやる悲観的解釈がつきものですが、冷静に見れば、個人主義的で商業色が強いイギリス農業の象徴ととらえることもできるのです。
2024.03.29

植民地主義
 16〜19世紀において西欧の商業力はヨーロッパ以外の地域へ拡張していきます。しかし、当初の目的は、国家による植民地の政治的支配 ではありませんでした。初めは主に商業主義が目立ち、貿易量も限られていました(Coleman:1977)。その影響の大きさは、時期と場所によっても大きく異なっていたのです。
 例えば、ヨーロッパ人によってアメリカとアフリカ大陸にもたらされた経済的悪影響が当該時期を通じて深刻であったことは間違いありません。
 一方、日本や中国など東アジアに対する経済的影響は、1800年まではわずかでした。イギリス東インド会社がインド支配に積極的に乗り出すのも、 18世紀半ば以後とされています。実際に起こらなかったことの証明は困難ですが、インドの例では、植民地化が同地域の経済的発展を阻んだという主張には、多くの歴史家が疑問を投げかけているようです (Allen: 2011, ch.5; Koyama and Rubin: 2022)
 見過ごされがちなのは、未知の世界へ向かったヨーロッパ人の冒険心でしょう。そうした個々人の決断なしでは、現在のような経済の グローバル化は起こらなかったとすれば、西欧の世界進出が果たして国家的プロジェクトであったといえるかどうか。この点も慎重に考える必要がありそうです。
Colonialism 2024.06.13

奴隷貿易
 言わずと知れた植民地主義にまつわる負の遺産ですが、西洋経済史の研究では論争が激しいテーマの一つです。 イギリス産業革命と同じ頃(18世紀後半〜)に盛んであったことから欧米経済の成功要因と考えられがちですが、意外にも、そのルーツを辿ると、アフリカ大陸内における悪しき伝統に突き当たります。そこでは、西欧人が訪れる前から奴隷制が広まっていたのです(Allen: 2011, 97)。一方、奴隷貿易で潤ったビジネスが 産業技術のイノベーションを促したことを示す証拠はそう多くはないという論点が示されています(Koyama and Rubin: 2022)
 欧米経済が奴隷貿易によって潤ったのは確かです。しかしだからといって、マルクスの主張に端を発する近代世界システム論で示唆されるように、搾取が近代経済勃興の主要因であったと言えるかどうか。論争は続きそうです。
2024.03.29
参考文献

Top ▲

Last updated : 2024/04/20

≫東北大学    ≫経済史・都市史のページ

  Copyright (C) Yoh Kawana All Rights Reserved.