はじめに「なぜ産業革命はイギリスで起こったのか」という問いに対し、これまで多くの学者が優れた答えを出してきました。その結果、産業革命に至る経済史は驚くほど豊かになりました。 1760-1840年に飛躍的に伸びたとされるイギリス経済の成長率及び生産性は、実は過大評価であったことが N. Crafts によって指摘されて以来、産業革命の歴史的位置づけは見直されるようになりました。産業の近代化を生産要素別に調べてみると、総生産量増加の説明要因として、資本、労働、土地それぞれの生産性に目立った向上は見られなかったというのです (Crafts:1985)。 機械化と工場制による生産構造の変化が起こったのは綿織物業や鉄鋼業など一部の産業と職種に限られ、経済全体を俯瞰すれば、伝統的手工業が勢いよく後退することはありませんでした。また、この時期の工業化では、地域差が顕著であったことも指摘されているのです 【参考 産業地域】。 かくして、1930〜1940年代に著名な経済史家 J. H. Clapham が主張したように、産業革命期の経済変化は漸次的な現象であったことが、戦後になって実証される結果となったのです (Hudson: 1992)。 長期的経済発展の一局面後に A. J. Toynbee が産業革命と命名することになる1760-1840年のイギリスにおける経済成長の歴史は、戦後の学問的潮流において定量的検証が進み、やがて修正がなされました (Dean and Cole: 1962; Crafts:1985)。その背景には、戦後続いたマクロ経済政策の行き詰まりと、経済理論の転換があったことは確かでしょう (Fine and Ellen: 1990)。 しかし、再考の理由はそれだけではありません。近代経済成長の条件となるいくつもの重要な歴史変化が、近世に見出された事実も見逃せません。産業革命を、近代的産業構造へ向かう長期の経済発展の一局面と捉える歴史観が提唱されているのは、そのためです。
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