国際卓越研究大学
東北大学 大学院経済学研究科 川名 洋教授(西欧経済史)

Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)


経済史のキーワード

技術革新
Technological Innovation

 
    

受講者用 EHKR 002

はじめに

 技術革新に対する歴史的見方は、大きく二分されます。そのインパクトに着目するならば、産業革命が重要な転換点となるでしょう。新技術が次々と応用され、生産や流通の分野に浸透していくスピードは、産業革命以降、加速度的に増しています。

 一方、当初はささやかな変化しかもたらさず、その歩みは緩やかであっても、時を経るにつれて改良が積み重ねられ、やがて社会全体を揺るがすほどの大きな影響を及ぼす技術革新も存在します。西洋経済の優位性は、そのような長期の技術的進歩にあったとされています(Jones: 2003)


長期の技術史

 技術革新について理解するポイントは、現代人の目から見れば古く些細なイノベーションであっても、やがて近代経済という社会的果実をもたらすその継続性にありました。

 例えば、中世封建制の時代から、家畜としての馬と馬具の利用は軍事面で重要な役割を果たしてきましたが、近世に入ると経済面での重要性が増しました(Miller and Hatcher: 1995;Edwards: 1988)。内陸交通の手段として、また、運河の利用においても馬は存分に効果を発揮したからです。18世紀に競馬が都市郊外で行われるようになると娯楽としても欠かせなくなります(Borsay: 2006)

 16〜18世紀における近代経済成長の前提条件に軍事力や国内市場の拡大、上品な消費文化の広がりがあったことを踏まえると、馬具の進歩の歴史的意味がわかるようになるでしょう。入植者によって北米にもたらされた馬を手に入れた原住民らの生活水準が飛躍的に向上したことは、あまり知られていない興味深い歴史です。

 中世に活用された技術革新がその後の歴史に影響を及ぼした例は他にもあります。12~13世紀にかけて最新の建築技術を駆使し巨額の資金を投じて建設された教会群は、宗教改革や世俗化の時代を迎えてもなお、救貧のカルチャーを支え、西欧人の文化的アイデンティティの表象であり続けました。現代では、都市景観の要としてツーリズムに寄与しています。また、近代において主戦場が陸から海洋へ移ったことを踏まえれば、中世における船舶技術の発達から目をそらすわけにはいかないでしょう(Jones: 2003)

 印刷技術は西欧独自の発明ではありませんが、その効果は、やがて近代化の流れを生み出す科学革命、農業革命、軍事技術の向上などにおいて、絶大でした。知識と情報の蓄積や伝播が容易になった結果、社会が大きく変わる様子は、IT革命の只中にいる現代人にとっても想像しやすいでしょう(Jones: 2003)

 近代以前のヨーロッパでは、地域内において紛争は絶えませんでしたが、異民族による支配が繰り返されることはなく、それゆえに、社会の基盤となる制度や文化が長期にわたり引き継がれました。西欧の地政学的条件が西欧経済にとって重要であったと考えられるのは、そうした歴史的連続性を背景に、技術の面でも知識の継承が可能となったからです(参考 諸国家併存体制)
2025.02.05
【参照】「技術とはいったい誰のもの?」


参考文献

      Berg, M. (2005), Luxury and pleasure in eighteenth-century Britain. Oxford.
      Borsay, P.(2006), A history of leisure. Basingstoke.
      Edwards, P.(1988), The Horse Trade of Tudor and Stuart England. Cambridge.
      Jones, E.L.(2003), The European miracle, environments, economies and geopolitics in the history of Europe and Asia. 3rd ed. Cambridge.〔訳書
      Miller, E., and Hatcher, J. (1995), Medieval England: Towns, Commerce and Crafts. London.
      Griffiths, T., Hunt, P. A. Hunt, O’Brien, P. K.(1992), ‘Inventive activity in the British textile industry, 1700-1800’, The Journal of Economic History, vol. 52 , pp.881-906.

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