はじめに |
はじめに技術革新に対する歴史的見方は、大きく二分されます。そのインパクトに着目するならば、産業革命が重要な転換点となるでしょう。新技術が次々と応用され、生産や流通の分野に浸透していくスピードは、産業革命以降、加速度的に増しています。 一方、当初はささやかな変化しかもたらさず、その歩みは緩やかであっても、時を経るにつれて改良が積み重ねられ、やがて社会全体を揺るがすほどの大きな影響を及ぼす技術革新も存在します。西洋経済の優位性は、そのような長期の技術的進歩にあったとされています(Jones: 2003) 長期の歴史技術革新について理解するポイントは、現代人の目から見れば古く些細なイノベーションであっても、やがて近代経済という社会的果実をもたらすその継続性にありました。 例えば、中世封建制の時代から、家畜としての馬と馬具の利用は軍事面で重要な役割を果たしてきましたが、近世に入ると経済面での重要性が増しました(Miller and Hatcher: 1995;Edwards: 1988)。内陸交通の手段として、また、運河の利用においても馬は存分に効果を発揮したからです。18世紀に競馬が都市郊外で行われるようになると娯楽としても欠かせなくなります(Borsay: 2006)。 16〜18世紀における近世的経済成長の前提条件に軍事力や国内市場の拡大、上品な消費文化の広がりがあったことを踏まえると、馬具の進歩の歴史的意味がわかるようになるでしょう。植民者によって北米にもたらされた馬を手に入れた原住民らの生活水準が飛躍的に向上したことは、あまり知られていない興味深い歴史です。 中世に活用された技術革新がその後の歴史に影響を及ぼした例は他にもあります。12~13世紀にかけて最新の建築技術を駆使し巨額の資金を投じて建設された教会群は、宗教改革や世俗化の時代を迎えてもなお、救貧のカルチャーを支え、西欧人の文化的アイデンティティの表象であり続けました。現代では、都市景観の要としてツーリズムに寄与しています。また、近代において主戦場が陸から海洋へ移ったことを踏まえれば、中世における船舶技術の発達から目をそらすわけにはいかないでしょう(Jones: 2003)。 印刷技術は西欧独自の発明ではありませんが、その効果は、やがて近代化の流れを生み出す科学革命、農業革命、軍事技術の向上などにおいて、絶大でした。知識と情報の蓄積や伝播が容易になった結果、社会が大きく変わる様子は、IT革命の只中にいる現代人にとっても想像しやすいでしょう(Jones: 2003)。 近代以前のヨーロッパでは、地域内において紛争は絶えませんでしたが、異民族による支配が繰り返されることはなく、それゆえに、社会の基盤となる制度や文化が長期にわたり引き継がれました。西欧の地政学的条件が西欧経済にとって重要であったと考えられるのは、そうした歴史的連続性を背景に、技術の面でも知識の継承が可能となったからです(Jones: 2003)。2025.02.05 技術移転 Technology Transfer近代経済は、物質的豊かさのみならず、その豊かさが科学技術の発展に深く依存するようになった点に、その特徴が現れます。それ以前の経済は、自然の力と人力に深く依存していました。それゆえ地理的違いや慣習の違いも、経済成長を促したり、阻害したりする大きな要因になり得ました。 経済活動が科学技術へ深く依存するようになるということは、そうした要因が小さくなることを意味します。なぜなら、科学技術は、場所にかかわらず学ぶことが可能で、条件さえ整えば、どの地においても応用できる可能性が高いからです。近代経済において、技術移転の効果が重視されるのはそのためです。 さらに、こうした事情は、科学技術の商品化を意味します。科学技術の普遍的価値は、そのまま優れた商品価値に繋がるからです。商品価値が上がれば、当然、技術開発へのインセンティブは益々高まることになります。 かくして、近代経済において、特許や知的所有権といった概念が重要になるのも頷けるでしょう。商品経済において、標章やブランドが法律で保護されるのは、模造品が出回れば、商品開発の費用が回収できなくなるからです。科学技術も商品と同じように莫大な開発費がかかります。模倣が可能とわかれば、当然、それらを阻止する制度が必要になるでしょう。 ところで、技術移転が効果を発揮するのは、近代だけではありません(参考「羊毛生産から織物工業へ」)。実は、中世及び近世ヨーロッパでは、技術移転を促進する上で効果的な政治システムが構築されていたのです。2025.02.05 参考文献 |