はじめに
戦後間もなく、経済成長を欧米型の近代経済に特有の経済現象と捉える傾向が強まりました。その後、そうした見方は修正を迫られることになります。経済成長は、古代及び古典期にも起こったことが知られており、地政学的に見ても西欧に限った現象ではなかったことも明らかだからです。
論争のもとは、経済成長を機械制工業の産物と捉えた「近代主義者」の誤った見方にありました。工業化は19〜20世紀に限った現象とは言えません。また、経済成長の要は工業部門に限らず、農業経済のイノベーションにも見出しうることがわかっています。
著名な経済史家 E.Jones は、こうした長期の経済史により把握しうる変化を「外包的経済成長」 (extensive growth) と命名し、一人当たり実質所得の上昇を伴う近代経済成長を意味する「内包的経済成長」 (intensive growth) と区別するアプローチを提唱しました。
Jones によれば、外包的経済成長は18世紀以前の日本やアジア・アフリカ諸国にも起こりました。したがって次に、これらの国々においてなぜ「内包的経済成長」が自生し得なかったのかが問われることになるのです (Jones: 1988; Maddison: 2007)。
2025.07.21
近代経済成長 Modern Economic Growth
欧米の経済成長を、産業革命以降に顕在化するいくつもの要因により特別視する見方が、 S・Kuznets により提唱されたことは広く知られています(Kuznets: 1966)。技術革新を促す制度と知識の蓄積を基調に高い人口増加率と生産性を両立させる経済社会の構造が重視されました。自由で民主的な政治システムのもとでこうした構造が整えば、資源が乏しい国でも経済成長が可能となるモデルを比較経済史の方法をもとに提示した点に意味があります。民主的な政治システムが条件とされたのは、誰にでも認められる職業選択の自由と、その結果高まる社会的流動性の経済効果がはっきりと認識されていたからです。ヨーロッパ、北米、オセアニアの国々に並び、戦後の日本も好例です。
一方、近代経済成長は成長モデルであるだけに、富の分配の適正化については論じ得ません。合理化しやすい製造業部門と、それが困難なため労働集約的にならざるを得ない高度なサービス業部門(専門職など)が併存する限り、所得格差は無くならないことがわかっています。また、巨大な地位財市場がある限り、近代経済成長それ自体が所得格差を解消することになるとは考えにくいでしょう (Bronk: 1998; Aldred: 2009)。
経済成長と不平等の関係は、どの期間を分析対象とするか、あるいはどの職種に焦点を当てるかによって大きく変動します。。産業革命以降に目立つようになった所得格差は、20世紀前期には縮小し始めたと論じられています (Van Zanden: 1995; Waldenstrom: 2024)。
2025.07.23
スミス的成長 Smithian Growth
「近代経済成長」が重視される一方で、産業革命より前に起こる経済成長の歴史的意義が過小評価されるならば大きな問題です。西欧における最初の経済成長は、機械制工業ではなく、分業と産業の分化によって起こりました。分業が進めば市場は不可欠になります。その結果、市場経済の影響が社会に広がり、経済全体の生産性も向上したと考えられています。そのような経済成長は、提唱者アダム・スミスの名に因んで「スミス的成長」と呼ばれます (斉藤: 2008)。
これまでの研究で、西欧における一人当たりの所得水準は、16世紀以降、上昇し始めていたことが明らかになってきました (Maddison: 2007; Broadberry: 2015) 。現在では当たり前となった政治及び行財政システムの萌芽も近世(16〜18世紀)に確認できます 【参考 国家形成 財政革命】。このことから、「近代経済成長」は文字通り近代に起こった経済成長ですが、その歴史的前提を無視するわけにはいかないのです。
2025.07.23
参考文献
Aldred, J. (2009), The skeptical economist: Revealing the ethics inside economics. London.
Broadberry, S., et al. (2015), British economic growth 1270-1870. Cambridge.
Bronk, R. (1998), Progress and the Invisible Hand: The Philosophy and Economics of Human Advance. London.
Jones, E. L. (1988), Growth Recurring: Economic Change in World History. New York 〔訳書〕.
Kuznets, S. (1966), Modern Economic Growth: Rate, Structure and Spread. New Haven 〔訳書〕.
Maddison, A. (2007), Contours of the world economy, 1-2030 AD : essays in macro-economic history. Oxford 〔訳書〕.
McCloskey, D. N. (2011), Bourgeois dignity: why economics can’t explain the modern world. Chicago.
斎藤 修 (2008), 『比較経済発展論』 岩波書店.
Van Zanden, J. L. (1995), 'Tracing the beginning of the Kuznets curve: Western Europe during the early modern period', Economic History Review, vol.4, pp. 643-664.
Waldenstrom, D. (2024), Richer and More Equal : A New History of Wealth in the West. Cambridge.
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