はじめに
西洋にはチャリティーや救貧法など富の分配を押し進める中世以来の伝統があります。一方、近世前半の国家形成の時代において西洋では、国富増大を目論む政策が重視され始めました。こうして富の分配と経済成長という近代経済学において主に扱われることになる主たるテーマが、近世の経済社会に出揃いました。
しかし、その過程で、当時の経済学者すら予期できなかった現象が起こります。それは、消費革命、そしてそれに続く産業革命を経て、人類の生活水準が飛躍的に高まる現象です。とくに欧米における衣食住の水準は、この数百年の間に16倍増加したという推計も示されています(McCloskey: 2011)。
実は、こうした歴史が経済と経済学の重要性を高めることにもなったのです。というのは、守るべき人々の数、国富の量、そして領土の価値がかつてない程大きくなったからです。当然、富の分配機能も旧態依然の状態では済まなくなりました。つまり、高水準の防衛力と統治力、そして、それらを支える財政システム無しに国家を維持することは不可能となる現実が、人類史に浮上したのです。
人口が増え、生産量と取引量が共に増える現象は、いかなる文明史においても見られたでしょう。西洋経済史に起こる経済成長が特別なのは、そのお陰で限りなく豊かな暮らしを一般の人々が追求できるようになったからです。そして、その結果、その暮らしを守り維持する超難題に立ち向かうことが、あらゆる物事の優先順位のトップとなる国際政治の世界が生み出されたからです。
2025.07.21
【レポートの課題】
マクロ経済について論じる意義は、国家形成と産業革命により飛躍的に高まった。このことについて論述しなさい。
近代経済成長
Modern Economic Growth
欧米の経済成長を、産業革命以降に顕在化するいくつもの要因により特別視する見方は、S・クズネッツにより提唱されたことは広く知られています(Kuznets: 1966)。技術革新を促す制度と知識の蓄積を基調に高い人口増加率と生産性を両立させる経済社会の構造が重視されました。自由で民主的な政治システムのもとでこうした構造が整えば、資源が乏しい国でも経済成長が可能となるモデルを比較経済史の方法をもとに提示した点に意味があります。民主的な政治システムが条件とされたのは、職業選択の自由と社会的流動性を確保することによって生まれる経済効果がはっきりと認識されていたからです。欧州と北米の国々、オーストラリアに並び、戦後の日本も好例です。
むろん、近代経済成長の理論には課題もあります。その一つは、産業革命以前の経済成長を考慮に入れていない点です。また、民主的政治システムの源流も中世まで遡ることができます。これらのことから、近代の経済成長とはいえ、その歴史的前提を無視することはできません。
もう一つの課題は、近代経済成長は成長モデルであるだけに、当然、富の分配の適正化については論じ得ない点です。経済成長と経済的不平等の相関関係は、どの時間軸を採用するか、あるいは、どの職業に着目するかによって強さが変わります。産業革命以降に目立つようになった所得格差は、20世紀前期には縮小し始めたと論じられています(Van Zanden: 1995)。
一方、合理化しやすい製造業部門と、それが困難なため労働集約的にならざるを得ない高度なサービス業部門(専門職など)が併存する限り、所得格差は無くならないことがわかっています。また、巨大な地位財市場がある限り、近代経済成長それ自体が所得格差を解消することになるとは考えにくいでしょう(Bronk: 1998;Aldred: 2009)。
2025.07.23