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はじめに 近世における奴隷制 ** ** campus-only |
はじめに近世における奴隷貿易が注目される理由は、何と言ってもその規模の大きさにあります。例えば、サハラ砂漠、紅海、インド洋の各地域を通じて営まれたイスラムの奴隷貿易では、およそ300万人の奴隷がアフリカ大陸から連れ出されたと推計されています。また、16世紀にポルトガル人とスペイン人によってアメリカ大陸へ連行された奴隷の数は年間3千人程でしたが、17世紀には1万9千人に増加し、18世紀には約7万人に達したと推定されています (De Zwart and Van Zanden: 2018, 54-5)。このように、近世の奴隷貿易は、様々な文化圏にまたがり広範に営まれていた悪しき取引慣行でした。2024.06.26 奴隷制の廃止イギリスは奴隷制を最初に生み出した国ではありません。しかし、初めて奴隷制廃止に動いた国として注目されます。 内乱後の17世紀後半にイギリス商人らは、ポルトガルやスペイン中心のそれまでの奴隷貿易に参入し、18世紀初期までにはその権益を掌握するに至りました (Coleman: 1977)。 ところが、アメリカ独立戦争における敗北の衝撃は、奴隷貿易に反対するキリスト教徒や人道主義者の主張を強める一因となりました。その結果、イギリスでは、宗教的(教会)及び啓蒙思想的(世俗)観点から、奴隷制の存続は困難と考えられるようになったのです (Hopikins: 2018; De Zwart and Van Zanden: 2018, 87-88) 。 やがてアメリカ合衆国における奴隷解放運動へと繋がるこうした動きは、人類史上の重要な転換点といえます。時期を同じくする産業革命になぞらえれば、その裏側で起こっていた思想的革命と捉えることができます。 奴隷制廃止の思わぬ影響イギリスでは1807年に、またその後、オランダとフランスでもそれぞれ奴隷制の廃止が決まりました。その結果、アフリカ大陸の経済は混乱に陥ることになります。当時、アフリカには、アメリカ大陸の奴隷と同じくらいの数の奴隷が存在したと推定されています。アフリカの国々は、当然、大西洋を挟む奴隷貿易の廃止に反対しました。なぜなら、そこから利益が得られなくなるだけでなく、アフリカ内の奴隷の取引価格が暴落することになるからです。 こうした事情により、西欧諸国とアフリカ諸国との間には立場の隔たりが生まれました。それは、その後、アフリカの国々に政治介入する口実を西欧諸国に与えることになるのです (De Zwart and Van Zanden: 2018, 114-115)。 参考文献
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