はじめに |
はじめに1086年に作成されたドゥームズデイ・ブック(検地帳)から、当時イングランドには、約300万人の人々が暮らしていたと推計されます(Britnell: 1993)。その数は、王国最初の公式な人口統計データと言えるでしょう。その時以来、1801年に最初の人口センサスが導入されるまでの約700年間の人口趨勢を明らかにするのは容易ではありません。というのは、ある時期に生存していた人の数や、出生数、死亡数、移住者数の増減を確実に裏付ける史料は、存在しないからです。 税を徴収する必要性から、住民数を把握することは、世俗と教会のいずれの指導者にとっても不可欠であったはずです。それゆえ、人口史料の不足は意外に思われるかもしれません。しかしながら、たとえそうした史料が残され、そこから世帯主の数を推計できたとしても、女性や子供の年齢に基づいた世帯構造の推定や、未婚女性数、貧困者数といった人口統計の作成は困難です。 それでも、イギリス経済史の強みは、長期の人口統計の信頼性にあるといっても過言ではないでしょう。公の課税記録から私的な日記に至るまで、様々な目的で作成された種々の史料を詳細に分析することによって、人口趨勢・人口動態の推計が示されるからです。歴史人口学の成果です。 中でも教区簿冊は、近世における人口史の基礎史料として広く知られています。全国に1万以上ある教区において登録された信者らの出生、婚姻、埋葬の記録です。教会の文書が、現代の歴史統計学者らにより分析され、その成果が世界水準の人口史として公にされるところに、西洋経済史らしさが現れます。(Wrigley:1981)。こうして示された人口推計をもとに、現在では産業革命の要因を説明することもできるようになりました(Allen:2009)。 人口史の比較ところで、近代人口統計成立以前の総人口推計は、比較経済史において重要な意義を有します。長期の人口趨勢は、異文化圏の経済史を比較する際の効果的なデータとなるからです。イギリスと日本の経済史が異なる経路を辿った要因は何か。この問いが意義深いのは、近世前半期に両国が総人口の顕著な増加を経験したという共通点に着目し、その後の相違点をより明確にする上で最初の一歩を踏み出すことになるからです。 近世前半期にイギリスと日本の両国で人口増加が確認されれば、両国の経済が同じ時期に上向いていた可能性を指摘できます。そうした可能性をもとにそのメカニズムを比較分析することで、工業化へと向かう両国の歴史的基盤の相違点を明確にすることができると考えられます。2025.03.04 参考文献 |