プロト工業化
イギリス産業革命の背景に、西洋人による植民地の開拓があったことを想起する学生は少なくないでしょう。綿織物はインド綿の輸入代替による産物であり、マンチェスターの工場で生産されるその原料はアメリカのプランテーションから運ばれていたからです。
しかし、生産工程の機械化や工場における大量生産のようなプロセス・イノベーションのきっかけを、植民地貿易に探るのは困難でしょう。プロト工業化の歴史はむしろ、産業革命がヨーロッパに内在する要因によって起こったことを示しています。
プロト工業化の理論によれば、農村を中心に問屋制家内工業が発達したことこそ、工場における大量生産体制への経路であったというのです。そのような農村では、半農半工の状態の零細農家の農民らが安価な労働力となっていたため、問屋制は価格競争力の面で優位な制度でした。しかし、生産量が増えれば同制度は、収穫逓減の問題を抱えることになります。工場制への以降はそうした問題を克服する効果的手段となったのです(Clarkson:1985)。
2025.05.17
農業の地域間分業
手工業の発達は、どの時代にも見られる現象です。ところが、プロト工業化には、海外市場向けの問屋制家内工業の成功が不可欠でした。ここで大切なのは、その条件が、中世以来続く長期の農業経済史によって満たされていたことを認識することです。例えば、西欧中世における毛織物工業の場合、当初から海外市場向けの手工業でした。しかも13世紀に水車が利用されるようになると、農村は都市よりも有利な生産条件を提供できるようになったのです。イギリスでは、その後の産業構造を決定づける技術移転となりました(Carus-Wilson:1941)。
毛織物工業は、現在の自動車産業のように、国際競争が激しい産業でした。毛織物は、中世に商業化が進んだ地域を反映してイタリアやフランドル産が有名でしたが、16世紀までに良質な羊毛輸出国イギリスが、未仕上げ製品の輸出国となりました。比較的貧しい原料輸出国であったイギリスが、現在でいう輸入代替工業化を先取りする形で工業製品輸出国へ発展する経緯は、大航海時代よりも前から始まる重要な歴史的フェーズでした。
プロト工業化が工場制へ移行する第一局面になるのは、海外市場向けの増産が起こるからです。その前提には、耕作には適さない牧畜農業地域の存在がありました。牧畜は耕作程、労働力を必要としません。イギリス北部のそのような地域の農家では、余った家族労働を家内工業の仕事に振り分けることができたのです。一方、穀物生産に適したイギリス南東部の地域では、農村工業は後退し、食料生産が中心になりました(Clarkson:1985)。
このように、プロト工業化は、国際経済で用いられるいわば比較優位の論理に則って、イギリス国内の地域間分業を促進することになったのです。イギリスの農業では、異なる地質や地形など自然環境に適合した農地利用が促された結果、各地に特色ある農業地域が生まれました (Thirsk:1987)。農村工業を基盤に伸びるプロト工業の歴史は、そうした農業経済史の延長線上において捉えることができるのです。
2025.05.18
参考文献
Carus-Wilson, E. M.(1941), ‘An industrial revolution of the thirteenth century’, The Economic History Review, vol. 11 , pp. 39-60.
Clarkson, L.A.(1985),Proto-industrialization: The First Phase of Industrialization?. London.
Hudson, P.(1996), 'Proto-industrialization in England', in S.C. Oglivie and M. Cerman, eds., European proto-industrialization. Cambridge.
Hudson, P.(1989), 'The regional perspective', P. Hudson, ed., Regions and Industries: A perspective on the industrial revolution in Britain. Cambridge.
Thirsk, J.(1987), England’s Agricultural Regions and Agrarian History, 1500-1750. London.