はじめに |
はじめに戦後の経済社会では、経済力及び社会進出いずれの面においても男女間の格差は縮まりました。こうした傾向が経済先進国に目立ち、男女間の格差解消に消極的な国々の経済が停滞するのは不思議ではありません。なぜなら、性差別による経済的損失は莫大であることがわかっているからです。2007年の国連による報告によれば、アジア・太平洋諸国において女性を労働市場から排除するコストは、年間約430〜470億ドルと推計され、女性を教育から排除することによってさらに160〜300億ドルが失われると推計されました(Ogilivie: 2007)。 男女間の格差は言うまでも無く人権上の問題です。一方、その解消は経済成長を促す経済的課題でもあります。しかし、最近になるまで課題が残されたとすれば、その要因の探究は、人類共通の歴史的課題と見なすこともできます。 女性史と公私混在の経済社会近世イギリス社会の特徴は、個人の都合が優先される緩い人間関係によって物事が動く社会領域にあることがわかってきました。すなわち、市議会やギルドのように集団的合意形成によって物事が決まる公式な社会に対する「非公式な領域」の存在です(川名:2010; 川名: 2024)。それは、働く女性が目立つ社会領域でもありました。 当時のイギリスは、西欧諸国の中でも最も安定的に都市化が進んだ国です。都市経済の比重が高まるにつれて、都市の非公式な社会領域は益々重要になっていきました。女性史は、その歴史を見極める上で重要な視座を提供することになるでしょう。 都市化と女性の活躍近世都市において社会的立場が公に認められていたのは、主に男性世帯主であったことは広く知られています。経済面で言えば、女性がギルドの役員になることはなく、行政の面でも、市長や市参事会員、治安官などを務める女性はいませんでした。これらのことから、都市の「公式な領域」は主に男性の社会領域でもあったと言えるでしょう。 しかし、女性は、都市経済から排除されていたわけではありません。例えば、酪農や乳製品の製造及び販売に従事する女性が多いことから、農業経済において女性は貴重な労働力でしたが(Pinchbeck:1930) 、大きな乳製品市場は主に都市に存在しました。一方、その都市では、使用人をはじめ、紡糸工や助産師、絹織物業や醸造業など、女性が担う仕事が数多くありました(Dale:1933; Wright:1985; Pound:1988; Wilson: 1990; Hanawalt: 2007)。都市経済において女性が担う仕事の種類は、サービス業を中心に農村のそれよりも圧倒的に多かったと言えるでしょう。 これらのことから、都市化とは、女性が活躍できる経済領域が広がる現象と捉えることができます。対照的に、近世において農業の効率化および大規模化が進むにつれて、農業に従事する女性に対する労働需要は、男性賃金労働者の増加によって徐々に縮小したと考えられています(Pinchbeck: 1930)。 司法の分野でも女性のエンパワーメントが注目されています。訴訟において女性が原告、あるいは、証人となることは珍しくなかったからです(Stevens:2012)。とくに、近世前半期において国王裁判所の機能が高まる中で、女性が訴訟の原告になるケースは増加傾向にあったとされています(Stretton: 1998)。陪審制は男性中心の裁判制度でしたが、四季裁判や教会裁判では、女性による証言も重要な証拠として採用されました(川名:2024)。 都市は司法サービスの中心地でもありました。そのことからも、近世の都市化は女性にとって意味のある歴史的トレンドであったと見ることができるでしょう。 家内取引の影響むろん、働く女性たちがギルドのような公式な産業組織を築くことがなかった事実は、既婚女性には所有権が認められていなかった事情の裏返しと考えることもできるでしょう。婚姻により女性は自分の苗字を失いましたが、婚前に所有していた土地と財産も、婚姻関係が継続する限り夫の所有となりました(Stretton: 1998)。遺言書の作成も夫の承諾が必要でした。ロンドン市では、制度上、既婚女性も独身女性のように独立して商売を営むことができましたが、その特権を行使した女性は限られていたとされています(Hanawalt: 2007)。かくして、都市と農村にかかわりなく、女性個人の選択権は、当時、著しく制約されていたことは間違いないでしょう。 しかし、その一方で、働く女性にとって有益な近世都市の構造的特徴も無視できません。例えば、公開市場に象徴されるように、都市は多様な販売業者と消費者を受け入れることによりその経済的価値を高めていましたが、その中で女性は貴重なプレーヤーでした。一方、店舗や作業場が住居と一体化していた事情も、働く女性にとって有利な条件でした。実際、女性は夫の職業を手伝い、寡婦となっても夫のビジネスを引き継ぐことは珍しくありませんでした。 さらに、近世都市の住居内では、商談や金銭の貸し借りだけでなく、安価な消費財取引も頻繁に行われていたことがわかってきました。家内工業における女性の重要性は広く知られていますが、同様に、そうした「家内取引」においても女性の能力は存分に発揮されたと考えられるのです(川名: 2024, 第2章,第5章)。 都市において自由でプライベートな社会空間が点在していた事実は見逃せません。なぜなら、そこにこそ、集団的合意形成が無い代わりにパーソナルな選択力が問われる都市特有の社会的淵源を見出すことができるからです。都市の制度が主に男性の経済活動を守るために導入されたことは容易に想像できます。一方、女性主体のビジネスは、個人の都合に合わせた緩い人間関係によって守られていました。親族、隣人、友人、知人との関係が信用を見極める軸となっていたのです(川名: 2024)。 かくして、都市の「非公式な領域」への視角は、女性の役割を再認識する上で重要な歴史的文脈を見出すことに繋がると考えられるのです。 工業化、人口増加、都市化の影響かつて男女間の格差問題は、工業化の歴史的文脈に沿って論じられました。例えば、家内工業から工場制工業への移行によって、女性は労働市場において不利な立場に置かれるか、あるいは、市場から排除される存在になったと主張されました。また、工業化の初期段階において女性は、簡単に解雇されるいわば使い捨ての労働力になったという見解も示されました。多くの女性が低賃金で工場で雇用されたものの、技術革新の結果、資本集約的生産が主流になると雇用は男性にとって代わられる傾向にあったからです。 急激な工業化に着目するこれらの見方は、19世紀のイデオロギーに思想的基盤をおいている点で共通しています(Burnette: 2008)。 しかしながら、男女間格差に作用した歴史的要因は、生産様式の変化だけではありません。例えば、イギリスの中世後期が女性にとっての「黄金時代」とされた理由は、その時代の総人口の減少にありました。慢性的労働力不足の状態の中で、女性は有利な条件で働くことができたというのです(参考 「女性の活躍と結婚パターン」)。 対照的に近世前半期は人口増加の時代でした。しかし、だからといって女性の経済機会が減少したとは言えません。当該時期は都市化の時代でもあったからです。 近世の都市経済に目立ったのは、中間層の人々の活躍でした。夫の営業を支える者がいる一方で、裕福な世帯では、妻の収入へ依存しなくて済むようになるケースもあったでしょう。また、都市では職種によって女性の働き方も、当然、異なりました。かくして、働く女性の立場は、一様ではなく、時代や状況によって大きく異なり、変化の説明要因も一律ではなかったと考えられるのです(Wrightson: 1988)。
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