国際卓越研究大学 UREX 1
東北大学 大学院経済学研究科 川名 洋教授(西欧経済史)

Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)


経済史のキーワード

経済史学
理論と方法

 
   

はじめに

経済学と経済史学

経済学の地政学的前提

消費革命のインパクト

産業革命の学問的意義

はじめに

 経済学の目的が主に現代の経済の動きを説明することにあるのと同じように、経済史学の目的は、過去の経済の動きを説明することにあります。理論と歴史それぞれの方法は異なるものの、研究の目的に大きな違いはありません。

 経済史学は、経済学と同様、欧米発祥の学問です。しかも、これら2つの学問分野は、ともに近代において発展を遂げたという点でも共通しています。19世紀後期には経済学の方法めぐる大論争が繰り広げられたことでも知られています (Cipolla: 1991; Hodgson: 2001)
2025.09.27

経済学と経済史学

 経済学では、統計的・数理的に予測可能な内因性の変化が分析対象になります。一方、他の影響は全て、外因性の変化と見なされます。経済学の特徴は、このように説明すべき要因と、説明を要さない(あるいは、予測不可能な)要因を選別する点にあります。そうすることで、説明しうる規則性や相関関係を明確に示すことができるようになるのです。

 一方、経済史学では、過去に起こった幅広い経済的事象や出来事が分析対象になります。対象となる人間は、経済学と同じように、個人の場合もあれば集団の場合もありますが、経済史学が経済学と大きく異なるのは、人と社会の動きを予測する学問ではない点です。人体のメカニズムは同じでも、人の精神と心理は個人により異なり、しかも人は様々な文化と社会規範を生み出し続ける社会的生き物です (Keynes: 1891; Cipolla: 1991)。人間の世界は多様性が支配し、その動きを正確に予測することは難しいと考えられています。過去に起こった金融危機がそのことを証明しています。

 こうした経済史学特有の方法は、必然的に考察対象を経済以外の分野に広げることになります。経済史学では、経済と関係が深い政治、社会、文化と諸制度も説明要因と見なされます。当然、政治学、社会学、人文科学など周辺諸科学との協同作業が必須となります (Cipolla: 1991)

 また、経済史学において、いかなる事象も、その要因も、時代性を無視して説明されることはありません (Keynes: 1891)。現在、通用する説明でも、時代が変われば通用しなくなることを想定しています。このように長期的視点で物事について思考する力は、人類固有の優れた能力です。経済史学はその能力を最大限生かすための学問と言えます。
2025.09.27

経済学の地政学的前提

 多様な経済理論を修得し、それらを批判的に検証することは、視野を広げるために不可欠な作業です。それゆえに、経済史学にとって経済学は重要なパートナー的学問と言えます (Fischer: 2018)。一方、経済学にとっての経済史学の意義は、必ずしも明確ではないようです。そこでまず、経済学が必要とされるようになった時代と社会について考えてみることが大事になります。どの学問の方法もその社会的・歴史的起源に規定される傾向が強いからです。

  経済学は「近代化」の産物です。つまり、それは欧米の歴史に沿って構築された学問であることを意味します (【参考】 「経済史入門」)。経済学特有の近代主義は、個人の選択を正当化する経済学の方法に現れるわけですが、欧米人にとってそうした価値観に違和感は少ないため、詳しく語るメリットは小さいでしょう。

  一方、個人が共同体や自然の中に溶け込んでいるアジアのような文化圏において、そのような思考方法が容易に共有されるとは限りません。経済学を西洋の学問と捉えるならば、経済理論の習得と共に、その背後にある欧米的な価値観を読み解く作業が重要になります。そうすることで、理論について理解する以前に、その根底にある欧米の価値観をどこまで受容できるかが問われることになるという真実に突き当たるはずです。

  経済理論が欧米以外の文化圏で受容されるかどうかは、欧米の価値観について「何をどのように説明するか」に懸かっていると考えられます。その意味で、「経済史」について学び、考えるメリットは極めて大きいと考えられるのです。
2025.09.27

消費革命のインパクト

 近年、近代経済の萌芽期を近世 (16〜18世紀) に位置づける歴史観が定着しつつあります。消費革命の歴史はその大きな柱の一つです。とくに注目されたのは、中間層の人々に特徴的な消費者行動でした。その認識は、「生産」の歴史に偏る経済史学の潮流を大きく変えることにも繋がりました。

消費革命中間層の歴史は、支配層と被支配層による二項対立的な構図を想定する分析手法や唯物史観には馴染みません。なぜなら、消費と中間層いずれの歴史も、当時のヨーロッパが社会的流動性が高い社会であったことを示しているからです。また、中間層の繁栄とその経済効果を数理学的に説明することも困難です。なぜなら、経済成長の根源的要因は、資本及び労働の生産性の向上にではなく、定量化が難しい思想と価値観の変化にあったからです (McCloskey: 1998; 2011)2025.11.18
【参照】経済学と経済史学の知的基盤

     

産業革命の学問的意義

 経済を歴史学的に捕らえる経済史学には、他にはない方法論上の特徴があります。それは、社会全体を俯瞰する見方を推奨している点です。人体の機能が、数多くの臓器や細胞の調和ある働きによって維持されているのと同様に、経済もまた、多様な社会領域、組織、制度が相互に依存し合うことで初めて、その機能を果たすことができると考えられるからです。副作用を考慮しない医療があり得ないのと同じように、経済史学において、経済と政治、社会、文化との関連性を無視してその効果を論じることはできません。

 経済史の講義で「産業革命」を取り上げる理由の一つは、かかる主張の正しさを具体的に検証するためです。そこでは、産業技術や資本蓄積、金融サービスの向上について解説されるだけでなく、政治システムや社会規範、カルチャーや宗教の側面にまで視野を広げます。なぜなら、産業革命の歴史から、持続的経済成長を可能にした経済構造は、特定の政治、経済、社会、文化的条件においてのみ成立しうることが、これまでの実証研究を通じて明らかにされつつあるからです。

 このように、経済史学には、過去の歴史を学ぶということ以上に、経済の本質をどう捉えるべきかについて問う方法論上の課題を浮き彫りにする狙いがあるのです。そこには、過去の経済事情に対する歴史認識を通じて、これまで見えなかった本質を見えるようにし、見えていた常識を疑うようにするという、どの学問にも共通する基本的な作用が想定されているのです
2026.03.13

参考文献

      Cipolla, C. M. (1991), Between History and Economics: An Introduction to Economic History, trans. C. Woodall. Oxford.
      Fischer et al., eds. (2018), Rethinking economics: an introduction to pluralist econmoics. London.
      Hodgson, G. M. (2001), How economics forgot history: the problem of historical specificity in social science. London.
      Keynes, J. N. (1891), The scope and method of political economy. London.
      McCloskey, D. N. (2006), The bourgeois virtues: ethics for the age of commerce. Chicago.
      McCloskey, D. N. (2011), Bourgeois dignity: why economics can’t explain the modern world. Chicago.

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