人口増加経済史において人口変動が注目されるのは、史料が乏しい近代以前の経済動向を推定するための重要なデータになり得るからです。人口増加は概ね好況を示唆し、持続すれば経済成長の裏付けにもなります。 例えば、封建制が整った中世ヨーロッパでは、13世紀末頃まで経済が上向いていたとされていますが、同時期の人口増加はそのトレンドを裏付ける根拠になります。産業革命期に人口が爆発的に増える現象も同じです。 また、人口増加は、異なる経済を比較する際のいわば共通項となる現象でもあります。イギリスと日本の経済史が異なる経路を辿ることになったのはなぜか。この問いが意味を成すのは、両国の経済が近世に伸びた前提条件として急激な人口増加を挙げることができるからです。 工業化の歴史においても、まず目を引くのは人口増加と言えます。というのも、総人口が増えなければ、工業化に不可欠な消費市場と労働力の増大は見込めないからです。ここで経済史を学ぶ受講生は、人口増加が食糧危機を引き起こす要因というよりは、持続可能な経済成長の必要条件と見なされるようになる変化を見抜く必要があります。 とはいえ、どの時代においても、人口が増加し続けるためには、安定した食料供給が欠かせません。そこで次に、それはいつ頃から可能になったのかが問われることになります。食料の輸入が当たり前となる時期は、海運が効率化する19世紀を待たねばならなかったので、それ以前は、国内における高い農業生産力が安定した人口増加の条件でした。イギリス経済史は、そのことを示す好例でしょう。2024.10.16 持続的人口増加人口増加そのものは、歴史上、特異な現象ではありません。しかし、有機経済の限界を超えて長期間持続する人口増加は、本来、起こりえない現象です。なぜなら、人口増加が食料供給量の限界を超えて続くことはありえないからです。近代以前は、いかなる文明も「マルサスの罠」を避けることはできなかったと考えられます。 一方、19世紀以降、機械化や品種改良、化学肥料の使用、そして、造船・海運技術の向上による運搬の効率化の結果、この悪循環が解消されたことも広く知られています。しかし、それ以前にも、西欧において「マルサスの罠」を回避することに成功した地域があったことはあまり強調されることがありません。イングランドはその代表例です。 イングランドの人口は、15世紀後半には長い停滞期を脱して増加に転じ、17世紀半ばの短い停滞期の後、再び増加し始め、産業革命期に急増しました。その増加率は、他のヨーロッパ諸国やアジアの国々と比べても群を抜いていたと推定されます。ある推計によれば、1600〜1820年におけるインドと中国の人口増加率は、それぞれ55%と140%であったのに対し、イギリスの増加率は180%でした(Forman-Peck:2018, 1074)。 そのような長期にわたる人口増加の要因が科学技術の向上ではなかったとすると、経済的、あるいは、社会的要因を探らなければなりません。イギリスの経済史学者、S.Broadberryが主張するように、各国における人口増加のパターンに違いが生まれる理由を探るには、それぞれの経済及び社会動向の分析が不可欠になるからです(Broadberry:2018, 599) 。持続的人口増加の経済的、社会的要因イギリスでは、1600年以降、食糧不足によって死亡率が危機的に高まる状況は見られなくなりました。その理由は、国内の農業生産力にありました。他にも、社会に自然と組み込まれた出生率の変動メカニズムがあったとされています。その手がかりは、ヨーロッパ的結婚パターンと呼ばれる婚姻の慣行にありました。近世イギリスでは、このメカニズムが他の国々よりも効果的に働いていたことがわかっています(Hajnal:1965)。実際にイギリスでは、人口増加によって物価が上昇しても(実質賃金低下)、17世紀に入ると飢饉は見られなくなりました。経済状況に応じて出生率が適度に抑えられていたことがその理由の一つと考えられます。 これは驚くべき発見と言えるでしょう。というのも、他の西欧諸国では、食糧危機に至る高死亡率は18世紀においてもまだ珍しくなかったからです。西欧以外の地域では、それ以降も大量死の危機に見舞われたため、長期の経済成長は見込めなかったでしょう。 マルサスが主張したように、人口増加による食糧危機と大量死は、歴史上、必然的に起こる悲劇でした。ところが、イギリスの経済は、工業化以前にそのシナリオが覆される歴史的フェーズに突入していたと考えられるのです。
2024.12.14 参考文献 |