国際卓越研究大学認定校
東北大学 大学院経済学研究科・経済学部 川名 洋教授(西欧経済史)

Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)

人口増加
Population Increase


 

はじめに

 経済史において人口変動が注目されるのは、史料が乏しい近代以前の経済動向を推定するための重要なデータになり得るからです。人口増加は概ね好況を示唆し、持続すれば経済成長の裏付けにもなります。

例えば、封建制下の中世ヨーロッパでは、13世紀末頃まで経済は上向いていたと推定されますが、同時期の人口増加はそのトレンドを裏付ける根拠になります。産業革命期に人口が爆発的に増える現象も同じです。

 工業化の歴史においても、まず目を引くのは人口増加と言えます。というのは、総人口が増えなければ、工業化に不可欠な消費市場と労働人口の拡大はそもそも見込めないからです。

 ここで経済史を学ぶ受講生は、人口増加が食糧危機を引き起こす要因ではなく、持続可能な経済成長の必要条件と見なされるようになる歴史的文脈の変化に気づくことが大切です。工業化の時代に世界の総人口に占める西欧人の割合は急激に増えました。しかもこの時期の人口増加は、大量死を招くことなく、持続的経済成長に繋がったのです。人の数が増える現象という点では同じでも、中世の人口増加と近代のそれとでは、歴史的意味が異なるのです。

 ところで、近現代における人口増加の特徴は、食料供給の障壁が低減し、都市や国外への移住など、人々が生活圏とライフスタイルを選択できる範囲が広がる点にあるとされています。(Bacci:2000) 西欧の人口史が興味深いのは、産業革命よりも前から同様の傾向を示す注目すべき経済社会が現れることです。 2024.10.16

持続的人口増加

 人口増加そのものは、歴史上、特異な現象ではありません。かつてデンマークの経済学者 E. Boserup が主張したように、人口が増えなければ、経済に必要な灌漑システムや交通インフラの整備などの労働集約的な巨大事業は成り立ちませんし、そもそもその利用者が少なければ事業を計画する意味もないでしょう。

 しかし、有機経済の限界を超えて長期間持続する人口増加は、本来、起こりえない現象です。なぜなら、人口増加が食料供給量の限界を超えて続くことはありえないからです。近代以前は、いかなる文明も「マルサスの罠」を避けることはできなかったと考えられます。

 一方、19世紀以降、機械化や品種改良、化学肥料の使用、そして、造船・海運技術の向上による運搬の効率化の結果、この悪循環が解消されたことも広く知られています。しかし、それ以前にも、西欧において「マルサスの罠」を回避することに成功した地域があったことはあまり強調されることがありません。イギリスはその代表例です。

 イギリスの人口は、15世紀後半には長い停滞期を脱して増加に転じ、17世紀半ばの短い停滞期の後、再び増加し始め、産業革命期に急増しました。その増加率は、他のヨーロッパ諸国やアジアの国々と比べても群を抜いていたと推定されます。ある推計によれば、1600〜1820年におけるインドと中国の人口増加率は、それぞれ55%と140%であったのに対し、イギリスの増加率は180%でした(Forman-Peck:2018)

 注目すべきは、近世後半期(長期の18世紀)の人口趨勢です。というのは、中世末以来の人口増加によってイギリスの総人口は17世紀半ばに有機経済の限界点に達し(ペスト襲来前の14世紀と同水準)、イギリス経済は「マルサスの罠」にかかってもおかしくない状態にあったと考えられるからです。17世紀半ばの短い停滞期はそのことを示唆しています。

  ところが、その後も婚姻出生力は高まり、周産期幼児死亡率も現象傾向にあったというのです(Wrigley:2004)。イギリスの総人口は、18世紀後期の産業革命を待たずに増加し始めていたのです。

 そのような長期にわたる人口増加が科学・医療技術の向上によるものではなかったとすると、経済的、あるいは、社会的要因を探らなければなりません。イギリスの経済史学者、S.Broadberry も、各国における人口増加のパターンに違いが生まれる理由を探るには、それぞれの経済及び社会動向の分析が不可欠になると主張しています(Broadberry:2018)2025.02.16
【参照】「人口動態が示す、近代経済への道標」

経済的、社会的要因

 イギリスでは、1600年以降、食糧不足によって死亡率が危機的に高まることはなくなりました。高い農業生産力もさることながら、社会に自然と組み込まれた出生率抑制のメカニズムが働いていたと考えられます。その結果、経済に加わる人口圧力が抑えられたというのです。そのメカニズムを知る手がかりは、ヨーロッパ的結婚パターンと呼ばれる婚姻の慣行にありました。

  近世イギリスでは、このメカニズムが他の国々よりも効果的に働いていたことがわかっています(Hajnal:1965)。実際にイギリスでは、食料問題を招く急激な人口増加によって物価が上昇することはあっても(実質賃金低下)、深刻な飢饉は起こらなくなりました。経済状況に応じて出生率が適度に抑えられていたことがその理由の一つと考えられます。

 これは驚くべき発見と言えるでしょう。なぜなら、他の西欧諸国では、高死亡率を招く食糧危機は18世紀においてもまだ珍しくなかったからです。西欧以外の地域では、19世紀に入っても大量死の危機に見舞われることがあったため、長期の経済成長は見込めなかったでしょう。

 マルサスが主張したように、人口増加による食糧危機と大量死は、歴史上、必然的に起こる悲劇でした。ところが、イギリスの経済は、工業化の時代以前にそのシナリオが覆される歴史的フェーズに突入していたと考えられるのです。 2024.12.14
【参照】「個人の意思がものを言う婚姻と出生という聖域」

人口史の比較

 ところで、人口増加は、異なる経済を比較する際の共通項となりうる現象であると言えます。イギリスと日本の経済史が異なる経路を辿ることになったのはなぜか。この問いが意義深いのは、近世前半期に総人口が急激に増加した点で、両国の経済は共通していたからです。2025.03.04
【参照】比較経済史


参考文献

  • Bacci, M.L.(2000), The population of Europe: a history, trans. C. D. N. Ipsen and C. Ipsen. Oxford.
  • Broadberry, S.,et al., ‘Clark’s Malthus delusion: response to ‘Framing in England 1200-1800’, The Economic History Review , vol. 71 (2018), pp. 639-664.
  • Forman-Peck, J. and Zhou, P., ‘Late marriage as a contributor to the industrial revolution in England’, The Economic History Review, vol. 71 (2018), pp. 1073-1099.
  • Hajnal, J.(1965), 'European marriage patterns in perspective', in D.V. Glass and D.E.C. Eversley, eds., Population in history.London.
  • Wrigley, E.A.(2004), Poverty, progress, and population. Cambridge.

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