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はじめに 様々な植民地主義 ** ** campus-only |
はじめに 植民の歴史には常に、取引や価値観の強制といった負の側面と、優れた技術や制度、思想の伝播といった正の側面とが存在します。感情を揺さぶられるテーマですが、いずれの影響も定量化は困難であるため、単純に正と負の側面を天秤にかけるような結論は説得力に欠けるでしょう。また、国と時代によって大きく異なる事例の差異を無視して、植民の歴史を一律に評するのも適当とは言えないでしょう。 商業圏の拡大と個人の活躍地中海及び北海・バルト海商業圏において蓄えられた西欧の商業力は、16〜19世紀にかけてヨーロッパ以外の地域へ拡張していきます。しかし、全ての国が初めから植民地の政治的支配に乗り出していたわけではありません。イギリスの場合、当初は主に商業主義が目立ち、貿易量も限られていました (Davis: 1973; Coleman: 1977)。その影響の大きさも、時期と場所によって大きく異なっていたのです(De Zwart and Van Zanden: 2018)。 例えば、ヨーロッパ人によってアメリカとアフリカ両大陸にもたらされた経済的悪影響が近世・近代を通じて深刻であったことは間違いありません(Taylor: 2002)。一方、日本や中国など東アジアに対する経済的影響は、1800年まではわずかでした。イギリス東インド会社がインド支配に積極的に乗り出すのも、18世紀半ば以後とされています (O'Brien: 1982; De Zwart and Van Zanden: 2018, 280)。実際に起こらなかったことの証明は困難ですが、インドの例では、植民地主義によって同地域の経済発展が阻まれたという主張には、多くの歴史家が疑問を投げかけています (Allen: 2011, ch.5; Koyama and Rubin: 2022)。 見過ごされがちなのは、未知の世界へ向かった一部のヨーロッパ人らの欲や信仰、好奇心や冒険心でしょう。当時、そうすることがどれくらい危険なことであったかを考えれば、個々人の決断や創意工夫を無視するわけにはいきません (Ericson: 2014)。それら無しに現在のような経済のグローバル化は決して起こらなかったとすると、西欧の世界進出が、果たして政府主体の国家的プロジェクトであったといえるかどうか。ましてや、その動きによってグローバル資本主義経済の「システム」が政策的に準備されていたとは考えにくく、そのような比喩の妥当性が問われることになるでしょう。 参考文献
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