はじめに 取引や契約上のトラブルは民事裁判所で争われます。ゆえに、適切な司法制度の有無はどの時代にも、経済的関心事になりました。西欧には、中世以来、適用される司法権に応じて裁判所が複数設けられる歴史があります。中でも商業に見合った司法が都市に適用されるようになる点は特筆に値します。なぜなら、都市が取引の中心地になる理由について、制度の面から納得できるようになるからです。 都市と司法 都市経済と司法は切っても切れない関係にあります。中世都市の人々にとって独自の司法権の獲得は、公開市場の開催権や徴税請負権など他の自治権の取得と同様に特筆すべき成果でした。なぜなら、正義の解釈は、裁く者の立場によって大きく異なるからです。やがて「公私混在の経済社会」に相応しい制度運用が都市において可能になるのも、都市民の価値観が司法に反映されるようになったためと考えられるのです (川名: 2024, 第4章)。 コモン・ローイギリスはヨーロッパの国ですが、法と司法に関していえば、大陸ヨーロッパ諸国とは著しく異なる歴史を有しています。イギリスの法は、当初からコモン・ローを基盤としていたためです。 周知の如く、ヨーロッパの大陸法は、ローマ法の系譜を引き、理論的かつ学術的性格が強かったため主に大学における研究教育を通じて発展しました。それに対して、コモン・ローは、複数の王国が10〜11世紀にかけて統合され成立したイングランド王国の歴史的事情を背景に、王国全域の事案に通用する慣習法として12世紀に成立しました。ゆえに、コモン・ローの第一の特徴として、時の社会事情に即した極めて実践的な法であった点を挙げることができるでしょう。 もう一つの特徴は、イギリス固有の法として成立した点です。コモン・ローは、アングロ=サクソン人やノルマン人など、多様な民族が混在する社会において、王国内のどこでも、また誰にでも適用される文字通り全国共通の法として発展しました。この点は、特筆に値します。なぜなら、そのことからコモン・ローは、初めから近代の国内法と同様の位置づけにあったと言えるからです。 かくして、ローマ法の伝統を継承しつつ中世ヨーロッパにおいて法制度の改革が進展した時に、イギリスではコモン・ローがすでに定着していたのです。封建制に即した法でありながら全国的に通用し、法典化されない慣習法でありながら国家統治に効果的に利用されるようになったコモン・ローは、中世経済はもとより、その後のイギリス経済の発展にも多大な影響を及ぼすことになるのです (Van Caenegem: 1973)。 星室庁 The Court of Star Chamberイングランド王国の統一以降、王権の国家運営に助言を与えていた国王評議会 (Curia Regis) の機能は、枢密院 (Privy Council) に継承されることになります。その枢密院では、事実上、法の審理が行われる場合もありましたが、1487年の制定法により、その慣行は星室庁と呼ばれる法廷へと継承され、制度化されました。その名称は、使用された部屋の天井に、星の文様が施されていたことに由来します (Baker: 2002)。 16〜17世紀前期に存在感が増したこの新たな法廷は、中央集権化の進行を示す好例と見なされることがあります。陰謀や反乱等を企てる被疑者らを、王権直属の司法官らが、各地で収集される情報に基づいて裁くことができたからです。そうした手続きは、陪審制を採用するコモン・ロー裁判とは、全く異なる手続きを司法へ持ち込むことになりました。というのは、経済規制と社会統制が強化される中、密告者の役割が高まり、人々の生活圏にも政府の監視が及ぶようになったからです。 経済史学の受講生にとって星室庁は、馴染みのない法律用語かもしれません。しかし、その歴史は、国家形成期のヨーロッパにおいて、経済活動へ加わる公的強制力の程度を計る上で重要な知識となります。例えば、星室庁が内乱勃発前夜の1641年に廃止されたことから、イギリスでは絶対王政が短命に終わった事情を認識することができます。星室庁の歴史は、公権力が恣意的に行使されないように、立法、行政、司法を分離する三権分立の原則を導くことになる反面教師的な事例と捉えることもできるでしょう (Hayek: 1960)。
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