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はじめに |
はじめに 都市経済と司法は切っても切れない関係にあります。中世都市の人々にとって独自の司法権の獲得は、公開市場の開催権や徴税請負権など他の自治権の取得と同様に特筆すべき成果でした。なぜなら、正義の解釈は、裁く者の立場によって大きく異なるからです。やがて「公私混在の経済社会」に相応しい制度運用が都市において可能になるのも、都市民の価値観が司法に反映されるようになったためと考えられるのです。 都市特権裁判所14世紀までにイギリスには400近い特権都市 (boroughs) が存在しました (Hilton: 1992)。領主裁判所や各州に配置された裁判所 (hundred court) に代わって、都市独自の裁判所、都市特権裁判所 (borough court) の開廷を認可されたことが、そのように呼ばれた理由の一つです。とはいえ、現在のように文字通り「裁判所」があったわけではなく、レスター市の例のように、当初は教会の庭などを利用した簡易な制度でした(Ballard: 1913)。 都市特権裁判所で扱われた係争は、財産に対する侵害や債務不履行、契約、会計にかかわる不正など多岐に渡りました。一方、市内の諸問題は、それとは別に市議会でも処理されるようになり、司法と行政は徐々に区別されるようになります。都市特権裁判所のもう一つの特徴は、住民による共同監視の慣習を通して生活圏の問題に関与する一方で、重大な刑事事件は扱わなかった点です。そのような事件は王権直属の巡回裁判や四季裁判所に委ねられました(Ballard: 1913; Campbell; 2000)。 このように、中世・近世を通じて、都市に相応しい司法機能が備わっていた事実は見逃せません。自治都市では、市議会が開催されるなど行政を通じて都市経済に秩序がもたらされていたことは広く知られていますが、都市特権裁判所の存在は、司法が都市の市場経済を維持するもう一つの柱であったことを示しています(川名: 2024, 第4章)。その意味で、近世前半において、同裁判所で処理された係争のうち、債権債務関係をめぐる争いがとくに際立つようになった事情は注目に値します(Muldrew: 1993; Brooks: 2008)。そうした事情は、イギリス国内の取引量が増加し、都市の流通機能が高まる傾向を、司法の面から裏付けることになるからです。 参考文献
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