国際卓越研究大学認定校
東北大学 大学院経済学研究科・経済学部 川名 洋教授(西欧経済史)

Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)

西洋経済史Q&A


 
         

Q10 欧米の経済史が大切なのはなぜ

A. 西洋経済史なくして成り立たぬ学問的事情

 どの国にとっても経済は重要なので、その歴史について学びたくなるのは当然です。取引はどこにでも発生し、その歴史も古いからです。
 しかし、経済史学は古くからある学問ではありません。19世紀後半になってからようやく大学の正式な授業科目になりました。その背景には、16世紀頃から世界の商業利権をめぐって西欧諸国間で競争が激しくなり、欧米各国の経済力の差が明確になる事情がありました。
 イギリス産業革命の結果、経済力の差は、さらに欧米諸国とその他の国々の間でも拡大しました(大分岐)。それまでの時代には、経済的に豊かな国とそうでない国々との間の経済格差が、世界レベルで明確に認識されることはありませんでした。
 こうして、「ある国が他の国より豊かになるのはなぜか」という歴史的問いが、多くの人々の間で意味を持つようになったのです。
 アダム・スミスが18世紀のイギリスで『国富論』を著したのは決して偶然ではありません。その後、後発工業国の間では、どうすれば先進国に追いつくことができるか、国を挙げて模索が始まります。現在も、世界中で同じ問いかけが続いています。
 こうした事情に、どの国の経済史を学ぶにせよ、西洋経済史を無視できない理由があります。世界の国々の生活水準や経済的競争力には、現在でも大きな差がありますが、その理由を歴史に探るとすれば、経済的に最も豊かになった欧米の経済史との比較無しに結論するのは困難だからです。2024.09.22
【参照】比較経済史

Q9 経済状況の善し悪しは、頭数で決まる?

A. 個人の意思がものを言う婚姻と出生という聖域

 飢饉や疫病の蔓延、戦争が原因の大量死の危機をどの程度回避できるか。その答えは、ある国の豊かさを見極めるわかりやすい目安になります。西洋諸国の歴史は、人口増加が食料供給量に追いつかないために起こるこれらの出来事の繰り返しでした。それは、近現代に至るまで続いた貧困化との闘いの歴史とも言えるでしょう。
 イギリスの経済学者マルサスによる人口論のおもしろさは、悲劇的ともとれるこの歴史的事情を、人類史上、必然的に繰り返される長期の経済的トレンドとして理性的に捉えた点にあります。できることと言えば、最悪の事態を避けるために出生率を抑制する以外にはないというのです。婚姻や出生を決める個々の判断を重視し、社会政策を尊ぶ集団主義の非効率性を鋭く指摘した点が世の耳目をひきました。
 一見冷徹に思える結論ですが、真理を突いています。経済状況を左右する要因は意外にも個人によるプライベートな選択であったことがわかるのです。 2023.02.22
【参照】「人口増加」

Q8 中世の封建制について学ぶ意味は何?

A. 社会も人生のように過去の出来事に規定されている.

 世界ではこれまで、自由で民主的な政治システムを確立するため試行錯誤が繰り返されてきました。欧米諸国が近代経済を先導することになった歴史的事情です。うまくいった国もあれば、思わぬ政治体制を生み出した国もあります。そうした違いはどこから来るのでしょう。その要因は遠い昔にあったという見方があります。中世における封建制の有無がその後の運命を分けたというのです。
 スポーツや音楽に親しむ者ならすぐわかるように、上手い下手の決め手は「基礎練習」の量と質です。それを怠れば伸び悩み、秀でた技術水準に到達するのは困難になります。
 ある社会が「経済」をうまく動かせるかどうかも、実は「基礎練習」の内容にかかっていると見ることができます。経済社会を長く安定させるには、それなりの制度(技術)を巧みに操る必要があるからです。
 「基礎練習」の成果となる「財政国家」の形成が始まる時期は英仏では17世紀、一方、多くの国々では1850年以降です。こうした差の要因は、そこに到達するまで続いた封建制の質と経済変化にあったというわけです。市場経済に適応するためのいわば社会的基礎練習の期間です。
 20世紀に入りいざ御しがたい近代経済の威力に直面したある国では、為政者も人々も、十分な「基礎練」なしに本番に挑まなければならなくなりました。まさに上級者のコンテストに初級者として勝負せざるを得なくなったのです。
 そうとわかれば封建制の歴史についてどうしても詳しく知りたくなります。西欧のそれは、市場と都市経済を動力源に伸びる遠隔地商業と、組織だった国際市場向け農業という経済的基礎の上に築かれました。約500年近く続いたこの独特の歴史社会について深く学ぶと、西欧と異なる過去を持つ国々が同じ土俵で相撲を取る難しさについて、妙に納得できるようになります。そして、一度は経済面で勝者になったとしても、政治や外交を含め総合力が問われるようになると勝ち続けることが難しくなる要因が実は近代経済にたどり着くまでの道程の違いにあることも。
2022.11.05(円安が止まらない2022年)

Q7 経済だけでなく国や社会についても学ぶのはなぜ?

A. 技術とスタイルは簡単には切り離せない.

 ある国で誕生した技術が国境を越えて広がり、やがて世界中で親しまれ公共財となる。芸術やスポーツはそのよい例です。おもしろいのは、文化が異なる他の地で技術が広まる際、もともと使用されていた服装やルール、言葉なども温存される事実。クラシック音楽のコンサートや柔道の試合などを観ればすぐにわかりますね。
 西洋経済史を学ぶ際、このことを思い出す必要があります。というのも、先進国の技術がどのように模倣され、他の地で如何にしてイノベーションが起こり、生産性が高まり、生活水準が向上するのかを主に研究することになるからです。 
 経済発展を促す技術にも、当然、その発祥の地独特の「スタイル」があって、その中身は言葉やルールだけでなく、働き方や取引の方法、個々の生き方や為政者の価値観なども含まれます。技術を向上させたいなら、スタイルも真似せざるをえない。ところが演奏会や試合なら終わればもとの暮らしに戻ることができますが、経済の場合にはそうはいかない。スタイルの重要性に気づき社会に取り入れるようになれば国柄も徐々に変わっていくからです。
 だからこそ西洋経済史を西洋以外の国で学ぶ意味があるのです。技術とその発祥の地のスタイルはそう簡単には切り離せない真実をどう受け止めるべきか。経済史研究では自ずと、技術の移転元と移転先それぞれの国とその社会のあり方が問われることになるのです。(自由と人権の水準が問われる21世紀) 2022.09.01

Q6 西洋人が最初に世界市場を開拓したのはなぜ?

A. 「偶然」も後から思えば「必然」と思える.

 欲深いという人間の性質はどの国や地域でも変わらないはずです。昔読んだ外国の逸話や童話を楽しむことができるのは、文化や住む環境は違っても人としての価値観を共有できるからです。ところが、命がけで食料や日用品を探し求めた近世ヨーロッパの人々は、他の人々と何が違うのか未だにはっきりしません。技術や知識の面だけなら他の文明の方がよほど豊かだったかもしれないので、なおさら不思議になります。
 実はここに西洋経済史について研究する面白さがあるのです。西洋は如何にして経済的に豊かになったのかがわかれば、現代世界の真の原動力は何かも理解できますし、さらに経済について視野を広げて学ぶべき理由も納得できるようになるからです。
2021.10.01
【関連】消費革命

Q5 技術とはいったい誰のもの?

A. 「欲」と「気配り」はどちらも大事.

 インターネット(WWW)の普及の裏に、自らの画期的発明を誰でも無料で利用できるようにしたイギリス人T. J. Berners-Lee卿の英断があったことはよく知られています。もし使用料を要求していれば億万長者になれたはず。でも公共善を優先したところに美談が生まれるわけです。
 ところが、せっかくの新しい発想もその考案者個人の得(または徳)にならない世の中なら、努力する人は減り、せっかくのアイディアも日の目を見ることはなくなってしまいます。中世ヨーロッパ都市で定着していた徒弟制度が興味深いのは、そんな人間の性を見越してか、技術を媒介に私と社会との間の仲介機能を果たしていた点です。
現在のような特許制度がない時代に親方は7年以上、弟子の生活をまる抱えで世話をし誰にも真似できない技の伝承を行っていました。弟子はその修行を経れば都市で一人前の親方として正式に商売することができました。一方、その修行は、都市の市民権を手に入れ市政参加の権利を得るための条件でもありました。個人の技の伝承には「市民」を育てる社会的意味もあったのです。
 才能をいかしてある特定の「技術」の習得に打ち込む若者は多い。それが巨万の富に直結するゆえに競争が激しくなれば、技の鍛錬に費やす時間は長くなり社会性を育む時間は益々短くなります。技術は個人が高めるものでも、それは社会の中でしか達成できないという現実をつい忘れがち。技術と社会の両立が求められるこの世の課題は、スポーツや芸術の世界から科学やAIの世界まで共通していておもしろい。
(横綱の資質が問われる2017年末)

Q4 「移動」が経済のキーワードになるのはなぜ?

A. いつの時代にも動きたい人、動かしたくない人がいる.

 14世紀半ばに中世ヨーロッパを襲ったペストの蔓延は有名。あまり知られていないのは、人口が激減し多くの村で人手不足となったために、よりよい収入を求めて移動する農民の平均収入は、増える傾向にあったことです。一方、領主や村のリーダーたちは村を守るため何とかして移住を阻止しようとします。あげくの果てに移動を制限したり、一定以上の賃金は払わないようにしたりできる法律をつくって、住む場所を変えれば損をする制度を導入しました。それでも、人の移動は止まらない。やがて移住は当たり前の選択肢となり、移住民の影響は宗教や福祉の分野でも波紋を広げていきます。
 移動の自由が保障されている今では考えられないと思うかもしれませんが、実は世界を見渡すとこの自由を大事にしている国は未だにそれほど多くないのです。国境を越える移動の自由を公式に認めるヨーロッパ連合が画期的に思えるのはそのためです。その他の国では、出入国を厳しく管理したり、定住することに様々な特権を与えたりして、「なるべくなら動かないで」というメッセージを発し続けます。言葉の違いや家族のあり方、学校のクラブやサークルの運営など、文化や慣習を視野に入れれば、居場所を変えたい人を阻止する思いは案外大きいことがわかりますね。
 でも科学やビジネスの発展を真剣に考えれば考えるほど、移動の自由は無視しえません。あちら立てればこちらが立たぬ経済では、結局、動きたい人、動きたくない人、そして、動かしたくない人の間の終わりなき駆け引きが続いていることに気づくことになるのです。(人口が減り働き手が不足する2017年)
【関連時事】「東京23区内の大学定員規制の撤廃」日本経済新聞 2022年10月18日≫

Q3 経済について学ぶ際、「地理」が大事なのはなぜ?

A. 生産や取引は、たいていどこかの土地で行われる.

 土地の理に即して人々が暮らしている様子を学校で習います。地理といいます。国や都市、山、河、海の名称を覚えるのは、人間一人ひとり固有の名前があるように土地により異なる理がある世の成立ちを大事にしたいから。ところが、経済や社会に法則を見つけようとすると、必然的にこの理屈を軽んじるか、無視せざるをえなくなります。「場所によるでしょう」では科学にならないからです。
 特効薬がどの土地の人間にも効くように、地球上、どこにでも適用できる理屈があればすばらしい。でも歴史から見えるのは、場所が違えばうまくいかなかったり、不都合になったりする経済の理屈です。経済史学では、人間の暮らしが長いこと逃れたくても逃れられない「土地の理」に適応することで成り立ってきた事実を明らかにしていきます。そうすれば、全世界共通のルールを決めるのがどれほど難しいかよくわかるし、うんと背伸びをしないと何も決められない現実を直視できるようになります。学校で習った「地理」の勉強は、実はこの現実を理解するための最初の一歩であったことにも改めて気づくことになるのです。
(国連の役割が問われる2017年)

Q2 経済を知るにはその背景や文脈が大事になるのはなぜ?

A. 人も会社も国も、お金を遣う理由は様々.

 肉まん一個100円、同じ価格の解熱剤一箱と一冊の本があるとします。手持ちの300円を遣うならどのような組み合わせでも300円を失うことには変わりはありません。あるお客が同じ品を300円分買うなら、空腹なのか、病気なのか、それとも退屈なのか、その客の事情はなんとなく想像がつきます。ところが、空腹な客が、あえて薬や本を買ったなら、なぜそのような買い物をしたのか、訳を知りたくなるでしょう。そこで、お客の真意や置かれている状況、性格などに配慮してその背景についてじっくり調べなければなりません。お客のポケットから300円がなくなることは小学生でもわかりますが、買い物の訳について深く知るには長い人生経験が必要になりますね。
 この当たり前の理屈は、経済について知ろうとする際、案外大切になります。対象が一人の消費者ではなく国や地域、政府や企業の「買い物」ならば、その背後にある政治や文化、歴史に関する広い知識がどうしても必要になるのです。背景事情が見えない経済事象はおもしろみに欠けますね。試しに端午の節句に屏風なしで兜を飾ってみるとその意味がよくわかるでしょう。2017.05.01

Q1 経済について学ぶには「経済史」が大切になるのはなぜ?

A. 時代が変われば衣替えする経済の学び方.

 野球やサッカーチームの監督が交代するとスタメンの顔ぶれも変わります。どの監督にも独自の哲学や戦術があるからです。では国を治める者が変われば各分野のキープレーヤも変わるでしょうか。歴史教科書で習うビスマルクやレーニン、サッチャーが今の日本に登場したとしましょう。各人の哲学や思想は全く違うので、政策立案のために雇われる識者の好みも変わるはずです。でもだからといってインフルエンザ特効薬の効き目や、航空機が飛んだりスマートフォンが機能したりする理屈は変わるわけではないので、それらの研究に携わる人たちの「二軍落ち」はありそうにないですね。変わりやすいのは、政治や経済など「社会」のあり方とその原理を説くリーダーたちです。なぜなら統治者の理想に合うように政治や経済について説明しなければ、うまく国を治めることができなくなるからです。
 そうはいっても本当かどうか疑う人も大勢いるはず。だからそのことを確かめるために、統治者が変わるとどのようにして政治も変化し経済の理屈も変わっていくのか、経済の歴史を丹念に調べ納得する必要があります。むしろそうしないと、経済に関する知識の「正しさ」は、薬の効き方や、飛行機やスマートフォンの機能の「正しさ」と同じだとつい勘違いしてしまうかもしれません。侍ジャパンのスタメンは、誰が監督になっても変わらないと言い張る人がいればきっと恥ずかしい思いをすることになると想像できるのです。
 (2017年WBCでの活躍に期待)


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