![]() はじめに |
はじめに16世紀から17世紀前期にかけて続いた長期の物価上昇は、停滞するスペイン経済にかわりイギリスとオランダの経済が伸びる遠因となるなど、ヨーロッパ北西部が近代化の基点となるその後の西洋経済史に大きな影響を及ぼしました。価格革命と呼ばれる現象です。 イギリスでは長引くインフレーションによって、国内経済も様変わりし始めました。例えば、救貧法の成立は、実質賃金の低下によって深刻化した貧困問題がきっかけとなった救貧史上の重要な変化でした。物価上昇の影響を受けたのは貧困層だけではありません。地代収入に依存する地主層も、硬直的な慣習的土地保有から地代と契約期間を自由に決定できる定期借地(lease holdings)への転換を選ぶようになったのです(Overton:1996)。長期のインフレーションによって導出されたそうした傾向は、封建制が時代遅れとなるきっかけになったと見ることもできるでしょう。というのは、定期借地を管轄する司法権はローカルな領主裁判所でなく、ロンドンのコモン・ロー裁判所に属していたからです(Morrin: 2013; Garrett-Goodyear: 2013)。 人口増加と価格革命物価上昇の要因を度重なる改鋳やスペイン銀の流入に求める見方があります。貨幣数量説をとるマネタリストの論理です。しかし、価格革命は長期にわたる人口増加の時代と重なる点にも注意が必要です。人口が増えれば消費財市場は活発化し、当然、物価は上昇すると考えられるからです(Outhwaite:1969)。物価上昇と人口増加との間の相関は、近世前半期に限った現象ではありません。それは、黒死病蔓延にいたる長期の13世期の経済においても、また、産業革命期の18世期後半にも考察できる現象でした(Miller and Hatcher:1978; Daunton:1995)。 イギリスの例では、商品によって価格上昇率に大きな違いが見られました。工業製品価格の上昇率は、農産物価格のそれよりも低かったことがわかります。貨幣賃金の上昇率を上回ることはなかったのです。こうした違いが発生したのは、工業製品と農産物に対する需要の価格弾力性が異なるためですが、農業と比べ工業は、生産性向上の恩恵を受けやすく、地代上昇の影響を受けにくいといった見方もできるでしょう。(Outhwaite:1969)。 当該期の物価上昇は、王朝名に因んでテューダー・インフレ−ションと呼ばれています。貨幣の改鋳と植民地からの地金の流入はいずれも、政府による政策に起因します。しかし、イギリスの例が興味深いのは、婚姻と出生にかかわる個人の選択によって変化する人口増加に起因した点です。だとすれば、物価上昇が長引いた主要因は、公的措置ではなく、実は個々の人々のライフサイクル上の出来事にあったと考えることもできるでしょう。2025.08.05 参考文献
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