国際卓越研究大学認定校
東北大学 大学院経済学研究科・経済学部 川名 洋教授(西欧経済史)
Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)

イギリス経済史
The Economic History of England

     
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イギリス都市史≫  西洋経済史 Q and A

 


  はじめに≫

  公私混在の経済社会≫

  中世は最初の都市化の時代≫

  案外似ている企業社会と農村社会≫

  羊毛生産から織物工業へ≫

  市場の外でも許される個人による選択≫

  農業生産性の高さが光る工業国家の歴史的前提≫

  市長職も商人(あきんど)が担う経済大国の底力≫

  経済選択が許される「個人」の位置づけ≫

  16~18世紀は近代経済の夜明け≫

  歴史が動く16~17世紀≫

  「産業革命」は近代経済の始まりにあらず≫

  東を向いて東風にあたる意味≫


      
はじめに
 ユーラシア大陸の西側に興った高度な商業経済はイギリスを起点にアメリカ大陸へと広がり、大西洋を挟んで活発化する人の往来と貿易を促進しながら、さらに北米の経済をも潤していきます。こうして成立した欧米経済圏は、工業製品輸出と国際金融を基礎に、グローバル経済という大舞台を演出することになるのです。
 演じるアクター個人の能力と独創性がどこよりも大事にされる筋書きがこの壮大な歴史の見所。その結果もたらされる国際公共財の影響は、言葉を通して世界の学問、ビジネス、政治の分野に及び、古い発想を転換するきっかけをつくり出しています。

 
公私混在の経済社会
 市場の働きを制御する諸制度を長く機能させるには、個人の生き方が何よりも重要であるという価値観が社会に浸透していなければなりません。「公私混在の経済社会」です。イギリスでは、近世前半期(16~17世紀)においてすでに、そのような社会が自治都市を中心に成立していたことがわかってきました。 制度は、個人による選択の自由を妨げる場合があるゆえに諸刃の剣となることが、個々の消費者や移住者はもちろん、為政者らの間でも認識されていたとしか思えない証拠が揃いつつあるからです(川名: 2024)
 立法が活発化し市場を規制する制度が増えても個人の力は決して衰えない事情は、今では経済先進国社会の基底構造と言えますが、その傾向は名誉革命前から顕著になる都市化とともに定まり始めていたと考えられるのです。2024.05.20

 
中世は最初の都市化の時代
 中世の時代。14世紀半ばまで続く人口増加とその後の疫病蔓延による人口減。そうした中でも都市に住む人々は自治権を許され、内外に取引のネットワークを広げてゆきました。その結果、市場向け農業生産が伸び、人の移動も活発になっていきます。民富の蓄積と社会的分業が進み、住民自ら国政選挙を行う制度も定着し始めていたのです。この時すでに経済とプロト・デモクラシーはまさに隣り合わせの関係にあった事情が見えてきます。
 その中心となるのがこの頃各地に現れ、今も変わることなく地域経済の要として存在し続ける自治都市でした。アダム・スミスが『国富論』を著すのは18世紀。それまでには財政国家と消費社会を誕生させるこの国の前提には、これら自治都市に市場と救貧のカルチャーを定着させる中世以来の長い経済成長の歴史があったのです。 2020.07.15

 
案外似ている企業社会と農村社会
 中世経済のような遠い昔の歴史を理解するのは難しい。ところが、イングランド中世の農業について調べていくとおもしろい ことに気づきます。思いのほか現代企業社会と似ているところがあるからです。
 ビジネスのルールが変わるとき、背後に人材や資源の奪い合い、人手不足の問題やイノベーションの効果、それに市場の変化などいくつもの要因があることが想像できます。雇う側、雇われる側はその都度、難しい選択に迫られます。
 人口の増減、都市建設、市場開設など中世農村の外部環境も変わっていきます。村を治める領主も、そこで働く農民たちもその都度、難しい選択に迫られました。経済状況に応じて農地を売り買いし、よりよい経済条件を求めて移住する農民も少なくなかったことがわかっています(Campbell: 2009)。農民数が減れば領主の暮らしも打撃を受ける。 場合によっては倒産ならぬ廃村に追いやられる可能性もあったのです(Hoskins: 1946)。
 もちろん安易な比較は歴史研究では禁物。でも状況があまりにもよく似ているので、古い話と切り捨てるのは少しもったいない気になるのです。2022.11.01

 
羊毛生産から織物工業へ
 大航海の時代が始まる前からイングランドの産業構造は大きく変わっていきます。同国は羊毛輸出国から付加価値の高い毛織物の輸出国 へと変貌を遂げたのです。中世の織物は仕上げ工程を大陸の職人に依存していたのでまだ未完成品でしたが、近世に入るとその技術を取り入れて 新たな商品を生み出します(新毛織物)。こうした産業構造の転換は、16世紀後半から17世紀にかけて毛織物の中央市場として機能した首都ロンドン(坂巻: 2006)が急成長する要因でもありました。
 ポイントは、同国を工業立国に押し上げた初期の産業史が、ヨーロッパ内の商品市場と政治的論理(プロテスタント移民の受け入れ)に導かれ動いていた事実にあります。やがて産業革命へと繋がっていく経済成長の流れは、意外と目立たないところから始まっていたのです。2023.02.20

 
市場の外でも許される個人による選択
 市場経済の特徴は、個々の経済的選択が大切にされるその社会規範に現れます。経済史には、西欧ではいつ頃からそうなったのかを考察するおもしろさがあります。例えば、結婚のタイミングや独身を貫く生き方が個人の経済的選択と深くかかわるなど現代人にとっては当たり前の理屈が、イングランドでは近世までには定着していました(ヨーロッパ型結婚パターン)。この点は、日本経済史との大きな違いです(斎藤: 2022)。
 一方、あまり知られていないのが、人生の終末に行う選択です。封建制の下では相続に選択の余地などないと思われがちですが、実際はその逆で、生前蓄えた資産を誰のために、また何の目的で活用するかは、個人の選択に任されることも少なくなかったのです。遺言書が数多く残され、ホスピタルという名の救貧介護施設が増えていくイギリス中世の事情はそのこと をよく示しています(Houlbrooke: 1998: 川名: 2024)
 興味深いのは、そうした傾向が都市と商業が伸びる12~13世紀に早くも見られるようになる点です。個人の蓄えを、親族と社会とで分かち合う構図 は、財政福祉国家が登場する以前から定着し始めていたことに気づかされるのです。2023.03.20

 
農業生産性の高さが光る
工業国家の歴史的前提

 村の慣習や家のしきたり、家族全員で行う農作業、そして代々受け継ぐ小さな農地。自給自足に近いこの小農経済から抜け出し個人主義 的農業へ向かうトレンドは、エンクロージャーの時代(16世紀)よりはるか前に始まります。よい暮らしを求めて有利な土地や自由な都市へ移住する農民が増える傾向も 中世の時代に目立つようになります。肝心なのは、これらの動きが政策ではく個人の意志にもとづき起こる点です。構造変化が自然と進む事情にイギリス経済史のおもしろさがあります。
 産業革命前夜にはどこよりも生産性が高まる農業にこそ、世界市場を席巻することになる経済力の秘密があったのです。しかも高水準の大規模農業経営は、次なる工業国、アメリカ合衆国でも形を変え国の基盤づくりで繰り返されることになるのです。2022.06.09

 
市長職も商人(あきんど)が担う
経済大国の底力

 近世都市の司法と行政は、商人(あきんど)が担っていた事実はあまり知られていません。行政革命が起こる1530年代までには市議会を束ねる「市長」を、織物商や小間物商、肉屋や製靴工ら地元の経済人の中から選ぶ選挙が毎年行われるようになり、大きな都市の住民らは、今でいう国会議員を選出する選挙の(被)選挙権も持っていたので、イギリスのプロト・デモクラシーの歴史はとても長いのです。
 このような国がどこよりも早く先進工業国となり世界経済を牽引した偶然についてよく考えてみたくなる。というのも、やがて何千キロも離れた私たちの 都市でも、市民の代表者を選挙で選ぶのが当たり前になるからです。2021.05.18(香港が激変する2021年6月)

 
経済選択が許される
「個人」の位置づけ

 身分や出自に囚われず生きる自由は現代人の特権と思われがちですが、イギリス史にはそんな生き方のルーツを探るおもしろさがあります。選択が許される個人の存在を前提に農業経済が成り立っていたと考えられるからです。
 個人の意義をプロテスタンティズムが浸透する時代(16~17世紀)に見出す理論は有名ですが、それよりも数百年も前に遡り「個人主義」の兆候を発見する大胆な見解も示されています(Macfarlane: 1978)。労働市場や土地市場といった概念も、職業選択と移動の自由が個々人に認められていたのなら、歴史上においても想定しやすい。 2022.07. 21

 
16~18世紀は
近代経済の夜明け

 生産と消費が国力と結びつくとき、あらゆる経済活動がマクロ経済的意味を持つようになります。その発端となるGDPという 概念が登場するのは20世紀になってからですが、その萌芽を、17世紀の政治算術に確認することができます。同じ測量でも秀吉の検地と違うのは、その主たる対象が農業ではなく都市で伸びる商工業とサービス業にあったこと。リーダー達が国際市場の開拓を見据えていたことです。
 一方、都市化によって社会的分業と経済成長が止まらなくなるのも16世以降。痛みを伴う分、救貧法がまず都市に定着するのも偶然とは思えない。個人と公共それぞれの経済論理が市場を介して結ばれるイギリス独特の社会原理は、やがて世界を驚かせることになる。2020.07.16

 
歴史が動く16~17世紀
 市場のルールと消費社会の定着。豊かなマクロ経済は軍事財政をも下支えする。そして、同じ頃、公共善を念頭に国政が動くよう制度も整い始める。
 ポイントは、これらの動向に合わせて経済効率の面で最も有効な行政単位として「国家」がつくられ、住民はその必要性を認め納税者としてその存在を納得するようになったこと。そうとわかれば、その後、国と納税者との同じような関係が世界に広まり定着したからこそ、いつになっても国際紛争が止むことはないという不都合な真実を受け止めざるを得なくなる。
 見落としがちなのは、「国家」は「国民」が操るものに改良されるべきとしたイギリス国民の思想的特徴。他の歴史を見ればその模倣は、技術の習得や法制度の導入と違ってそう簡単ではないこともわかるようになる。
(ウクライナ侵攻が始まる2022年2月) 2022.04.20


 
「産業革命」は
近代経済の始まりにあらず

 学校の世界史で学ぶイギリスの「産業革命」。それは近代経済の始まりというよりも、近現代へ向かう長期的経済成長のフェーズという 理解が定着しつつあります。
 あまり知られていないのは、中世には始動する市場向け農業や遠隔地商業、近世における人口増加や安定した都市化、それに消費社会の誕生です。工業化の加速、すわなち「産業革命」をこれらの延長線上に位置づけようというわけです。
 思えば、金融サービスの中心地、ロンドンの成長にしても、課税と公債発行を駆使する財政国家の形成にしても、はたまた現代の多国籍企業にも似た東インド会社の設立にしても、イギリス経済の見所は、「産業革命」期よりもはるか前の時代に顕著に現れる。資本制工場の設置とは異なり、簡単には真似できない独特の諸制度とカルチャーに鑑み、長期にわたる同国の繁栄の秘訣についてどうしても知りたくなる。2020.11.26

 
東を向いて東風にあたる意味
 イギリス経済史と言われてまず思い浮かべるのは「産業革命」ですが、蒸気機関や工場制など機械工学的イノベーションと同じくらい 世界経済にとって決定的な出来事が同時代にありました。アメリカ合衆国の建国です。独立後の北米大陸がアメリカらしいのは当然ですが、それ以前、まだイギリスの影響を受けていた時代(17~18世紀半)はイギリス史の一部と捉えても不自然ではない(Gaskill: 2014)。もっと言えば、独立後も経済面では、本国イギリス資本の影響が19世紀を通じて継続し、合衆国経済の発展を後押ししていたのです。
 おもしろいのは、近世イギリス経済の拡張の先に西海岸、太平洋、そして東アジアがあるという思えば逃れようのない地政学的事実。日米が出会うまでの長い歴史物語を辿ると、その筋書きは思いもよらないところから始まっていたことに気づくことになるのです。 2021.08.16


参考文献

 
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Last updated : 2024/05/20
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