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はじめに |
はじめに一人の人間とは異なり、国家には明確な意思がなく、豊かさを求める点では同じでも、国家自体を労働力の単位と見なすことはできません。そこで、国家の意思決定には議会を必要とし、国家の経済力を高めるためには、国民の間に蓄積された富の一部を活用するシステムが必要になります。それが、税制です。 税制について理解するには、まずその制度が重要になる経済史の文脈を理解するのが早道です。政府が民に税を課すこと自体は、どの時代においても珍しいことではありません。しかし、近世は特別な時代であったと言えるでしょう。というのは、その時代に経済政策が、公共の課題と捉えられるようになる政治思想上の変化が西欧に起こるからです。すなわち、国力の増強には経済力が肝心であること、そして、経済力をもとに国力を伸ばすことが政府にとって必須の政治課題であることを、多くの人々が認識できるようになる政治的、経済的、社会的状況が生まれたのです。 効率のよい税制とは、その必要性を国民が納得しないかぎり、実現が難しい制度です。近世イギリスにおいて税制改革が活発になるのは、国民にとって国家の必要性が明確になりつつあったからです。国家形成の時代と言い換えることもできます (川名: 2007)。 財政国家の形成ところで、経済成長の論理には、技術革新による生産力に注目する見方と、経済活動を制御する制度の良し悪しを判断する見方があります。税制は後者の視野に入る好例と言えるでしょう。 とはいえ、国内に効率的な税制を整えるのは、そう簡単ではありません。国家財政の財源を増やす手段は、歴史上、侵略と略奪に求められる場合が多かったのです。 そもそも国内の政治的統一と安定した社会基盤なしでは、税制を効率的に動かすことはできないでしょう(スペインやロシアの例)。また、小国であれば、国防のコストと税収のバランスが釣り合いません(オランダの例)。一方、大国であっても、絶対主義や官職売買がまかり通るような社会では、効率的な徴税を実現するのは難しいでしょう(フランスの例)(O'Brien: 2011)。 かくして、効率のよい税制には、制度をとりまく政治的・経済的事情が重要であったことがわかります。近世前半期(16〜17世紀)のイギリス経済が注目されるのは、そこでは、民富の蓄積を国力へ転換する税のシステムが効率よく働き始めていたからです。財政革命に繋がる時にかなった税制の改良と税制を支える政治改革が行われていたというのです (Brewer: 1989; Braddick: 1996)。 中世におけるイギリスの税制国防は国家が必要とされる理由の一つです。それゆえ、中世と近世いずれの時代においても、軍事費を賄うため徴税が不可欠となる事情は変わらなかったでしょう。しかし、中世の税制は、3つの点いおいて近世の税制とは異なっていました。 第一に、税制の主な目的が王権中心の封建制を維持することにあった点です。宮中経費が財政支出の主な項目となったことはそのことをよく表しています。当然、納税者が財政の必要性を自分事として認識することはあまりなかったと考えられます。実は、そこに中世における徴税が非効率となる原因がありました。この点は、国益の増加が税制の目的となり、納税者がその必要性を納得できる国内外の条件が整った近世の事情との大きな違いです。 第二に、財政の収入源が限られ、かつ、課税の方法も非効率的であった点です。財政の主な収入源が王領地の地代と売却益に限られる状態は近世に入っても続きました。領地の売却の例では、1530年代以降に始まる修道院領の没収と売却が有名です。推計によれば、1539年から1547年までの間に売却益は80万ポンドにも及んだとされています (Braddick: 1996)。 一方、こうした一時的な対策は、税制改革を遅らせる要因にもなりました。17世紀半ばまで、開戦時の場当たり的な手法が修正されることはありませんでした。しかも、直接税(特別税)と間接税(関税)いずれの場合も、その都度、議会の承認を必要としたため、政治的混乱無しに重税を課すことは難しかったでしょう。17世紀半ばの内乱の引き金になった船舶税が注目されるのは、通例を示す例外であったからです (Coleman: 1996)。 第三に、民富の蓄積が不十分であった点です。それは、現在では自明の、経済成長と税収増の相関関係に対する認識を阻んだ理由でもあったでしょう。例えば、各州や特権都市に課された割当税は、経済動向を無視して導入されたため、好況時の恩恵を受けにくい税制でした。一方、特別税 (lay subsidies) は、納税者個人の財産に課されたために累進制があり、経済条件を反映しやすい税でした。ところが、徴税代理権の授与により、地元の論理で動く地方のエリート層が徴税に介在したため、確実な税収を見込めなかったというのです (Cornwall: 1988; Braddick: 2000)。 これらの諸課題の存在を認識することは重要です。なぜなら、そうすれば、近世前半期(16〜17世紀)の国家形成とそれを可能にした税制改革の時代が、イギリス経済のその後の成長を決定づける歴史的転換期であったことを理解しやすくなるからです。
物品税の導入むろん税は、何時の時代でも、誰にとっても歓迎されるものではありません。とりわけ、直接税の改革は困難を極めたでしょう。例えば、17世紀末に導入された土地税は、税収増をもたらした一方で、土地の価格と他の収入に応じて州と自治都市毎に課税総額が割当られたため、経済変化に対して硬直的でした。また、商工業者は負担を免れ、北部諸州の課税額が南部よりも低く設定されるなど不公平感は否めず、その結果、改良するにしても、納税者の間の対立をかえって助長する結果になったと考えられます (Daunton: 1995)。一方、関税などの間接税の方も、貿易が活発になる時代に増税すれば、取引から得られる便益が低下することは明らかです。 こうした中、新たな税制として17世紀に導入された物品税が注目されるのは、増税と経済成長が両立するイギリス経済の特徴を読み解くヒントがそこに隠されていると考えられるからです。 参考文献
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