都市化とは
都市化といえば、都市人口が増え、大都市がいくつも生まれる過程を想像します。一国の経済において、都市に住む人々の割合が増える現象を示す用語であることは間違いありません。しかし、重要なのは、その用語に含意される社会変化の方向性にあります。 ある社会において職業の数と種類が増加し、農業中心の経済ではあり得ない暮らし方や働き方が主流になっていくこと。つまり、都市化とは、都市に暮らす人々の政治的、経済的、文化的影響力が増し、都市特有の価値観や思想が社会に浸透し、古い規範やルールが作り変えられていく過程を指す用語なのです。 経済史の観点からみれば、それは、市場経済の影響が社会全体に広がるプロセスと見てもよいでしょう。都市の起源は必ずしも経済にあるわけではありません。しかし、その軍事的、宗教的機能は時代が進むにつれて弱まっていきます。例えば、16〜17世紀にかけてイギリスの首都ロンドンが急成長した要因は、そこが衒示的消費地となったことに加え、貿易及び金融の拠点となったからです(Fisher:1948)。また、地方においても、都市は、取引の論理を広く農村に浸透させ、市場向け農業の比重を高める効果を発揮していました(Britnell:1993)。 このように考えると、都市化とは、ある国において経済成長のスピードを高める社会条件がどの程度整っているかを見極めるバロメーターと見なすこともできるでしょう。しかも、GDPのような経済指標と違い、経済の質、すなわち、経済成長を促す制度や価値観の広がり具合も考察できる利点があります。都市化を指標に各国における市場経済の伸び代を見定めることもできるのです。 産業革命までの300年間に、イギリスでは他の西欧諸国を差し置いて都市化が持続しました。こうしたの事情がとくに注目されるわけは、世界市場の開拓が始まるこの肝心な時期に、都市が、古いしきたりから個人が解放されるという人類史上類を見ない社会変動の発信地となったからです。 都市には法と経済と科学に関する高度な知識が集積されました。また、都市の人々は、生存するための手段を他者に委ね、残された時間でそれぞれの欲求を満たす場と機会を自由に選べるようになっていきました。それは、個人にとって生きるための選択肢が著しく広がることを意味しました。近世ヨーロッパにおいて、ロンドンやアムステルダムといった主要都市が大きくなるプロセスから目が離せない理由がここにあります。イギリスの地方都市に「公私混在の経済社会」が成立する様子が注目されるのもそのためです(川名:2024)。 2024.06.30
参考文献
Britnell, R. H. (1993), The commercialisation of English society, 1000-1500. Cambridge.
Fisher, F.J.(1948), 'The Development of London as a Centre of Conspicuous Consumption in the Sixteenth and Seventeenth Centuries', The Transactions of the Royal Historical Society, 4th series, vol. 30.
川名 洋 (2024)『公私混在の経済社会』 日本経済評論社.
都市の思想
都市には、古い制度や価値観を覆していく力が生まれます。例えば、20世紀前期のアメリカの大都市に注目した研究者らは、一人ひとりが生きるために、職場やサークルなどを通じて繋がる人間関係が、家族や親族関係よりも重要になる都市独特の社会に注目しました。また、同じような所得水準の人々がカルチャーを共有しながら集住することによって、都市にはいくつものゾーンができあがります。俯瞰すると、それは異なる種が共生するまるで生態系のように見えるというのです。都市をこのように説明した研究者らは、シカゴ学派と呼ばれ注目されました。都市の特徴を社会学を応用して科学的に考察しようとしたからです(Jansen:1996)。 このように人々の暮らしや行動様式も大きく変わる背景に、急激な産業発展があったことは間違いありません。しかし、都市化は近現代に限った現象ではないので、古い制度・価値観を変えていく都市の歴史は、それ以前にもあったはずです。調べてみると、現代でも通用する制度や価値観の多くは、実は産業革命よりも前に起こった都市化において見出されることがわかってくるのです。近世都市から目が離せない理由がここにあります。 西欧近世の都市化には、世界中の他の地域では見られない特徴があります。それは人類史上、経済的に最も豊かになった近代に帰着する歴史でもあったという点です。古代ギリシャやローマ時代の例のように、歴史上、都市の影響が強まる時代は珍しくありません。ところが、その勢いが近代のような経済的豊かさを伴うことはありませんでした。都市人口の比率の面で、あるいは、制度や価値観の面でも、都市が農村を圧倒することはなかったのです。 西欧都市の成功要因は、どこよりも盤石な市場機能にあったと考えられます。そう言えるのは、取引と社会的分業の進展が、伝統的しきたりや社会規範によって阻止されなかったからです。2024.09.30
参考文献
Jansen, H.S.J. (1996), ‘Wrestling with the angel: on problems of definition in urban historiography’, Urban History, vol. 23, 277-99.
行動様式とカルチャー
18世紀にイギリスで起こった都市化は、都市を基点として生じる社会変化の好例と言えます。都市に集う中間層の人々の影響により、後にソフトパワーとなって世界に影響を与える行動様式や価値観が社会に浸透したからです。当時、イギリスの都市化率は上昇し続けていましたが、それは単なる人口増ではなく、洗練された都市文化の影響が大きくなる現象でした。都市史学者、P.ボーゼイは、その現象を「都市ルネサンス」
と名付けました。(Borsay:1977, 96-7)。 当時の都市は2つの意味で、疫病の蔓延と貧困問題に苛まれ政治的にも不安定なそれまでの諸都市とは全く異なっていました。一つは、経済的豊かさが顕著に現れた点です。もう一つは、中間層の人々の躍進です。18世紀以前にも都市には裕福な市民はいましたが、共通の価値観を共有し、それを公の場で積極的に表現することはありませんでした。一方、18世紀の都市は商工業者らに加え、収入の安定した法曹、医師、薬剤師ら専門的職業人らが活躍し独自の価値観を表現する場となったのです。その結果、啓蒙思想の広がりと相まって、それまでとは全く異なる生活圏が構築されたというのです。
具体的には、舞踏会や演奏会を目的に上品な社交場が設けられ、建築も新古典派様式が主流になるなど、市内は様変わりしました。市内にはプロムナードが整備され、公共の場も洗練されたスタイルに改良されていったのです。産業革命前夜のこの時期は工業都市が成長する時代でもありましたが、歴史ある自治都市は対照的に、サービス業中心の衒示的消費地として経済的価値を高めました。
同時代人ヴォルテールは、都市を地主階級の洗練された趣味が下層の人々に浸透する場と見なしました。一方で、同じ楽観論でもアダム・スミスは、都市を中心とする商業化が封建制の衰退を導いたと考えました。(schorske:1966,96-7)。中間層という語は用いられなかったものの、スミスの見立ての方が、18世紀におけるイギリス都市の事情をより的確に捉えていたと言えるかもしれません。2024.09.30
参考文献
Borsay, P.(1977), ‘The English Urban Renaissance: The Development of Provincial Urban Culture c. 1680-c. 1760’, Social History, vol.2,(1977), 581-603.
Schorske, C. E.(1966), 'The idea of the city in European thought: Voltaire to Spengler', O. Handlin and J. Burchard, eds., The historian and the city.
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Last updated : 2024/09/30
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