ヨーロッパ的結婚パターン |
ヨーロッパ的結婚パターン総人口の変化は、歴史上、マクロ経済の状態を知る上で重要なバロメーターです。近代に入ると、飢饉などによる大量死を想定する必要がなくなったので、人口変動の考察では、主に婚姻率と出生率が注目されます。 実は、このような見方が、産業革命以前の時代にも通用する地域がありました。それは、近世ヨーロッパの北西部です。その地域の結婚事情について調べてみると、経済状況に合わせてある傾向が見られたというのです。 例えば、実質賃金が下降気味の経済の下では、婚姻率が下がり、晩婚化が進みました。当然、出生率もそれに合わせて減少することになります。夫婦になった後、生計が立てられなくなる状況を避けるため、適齢期を迎えた若者らの間で合理的判断が働いていたと考えられるのです。 その背景には、同時期において他の国々では見られない家族史の特徴がありました。婚姻は親からの経済的独立を意味し、それゆえに核家族が主流だったのです。婚姻後に親や兄弟と同居する夫婦は少数でした。イギリスの例は、その典型と言えるでしょう(Laslett:1969)。 もちろん、婚姻率に作用する要因は生活水準に限りません。例えば、その時々の男女比を考慮する必要があるという指摘もなされています(Hatcher:2003)。しかし、ヨーロッパ的結婚パターンが近世イギリスにおける人口変動の説明要因の一つであるとするケンブリッジ歴史人口学研究グループの主張は広く定着しています。 イギリスでは、1600年以降、飢饉による高死亡率の危機は見られなくなったとされていますが、たとえ総人口が増えても、大量死を招くほどの深刻な事態が起こらなくなったのは、そのような結婚パターンによって自然と出生数が調整される結果になったためと考えられます。 つまり、その頃のイギリス経済は、長きにわたり人類を悩ませ続けた多産多死の悪循環から既に抜け出していたと考えられるのです。
初婚年齢、教育、人的資本総人口の急増により、資源不足に陥る例は、歴史上、珍しくありません。しかし、近世ヨーロッパでは、人々の生活水準の低下に歯止めをかける慣習があったと考えられます。その一つが、当時の結婚パターンです。経済状況が悪化すると平均初婚年齢の上昇、すなわち晩婚化が進む傾向が強まったため、出生率が抑えられ、経済に過度な人口圧力がかかることがなかったというのです。 平均初婚年齢の上昇には、他にも重要な経済効果が想定されます。人的資本の蓄積を促す効果です。子供の数が少なければ、その分、親が一人の子供に費やす教育の時間と支出は増えことが予想されます。また、教育に携わる親の年齢が高いほど、その質が高まるという考えも成り立ちます。 もちろん、当時の人々がこれらの効果を認識していたとは考えられません。しかし、近世イギリスの例のように、その時代も現代と同様に核家族が一般的であったとすると、これらの理屈を当時の家族史に当てはめても不自然とは言えないでしょう。そうした晩婚化による教育効果は、中世後期には現れていたとする見解も示されています(Forman-Peck:2018)。 女性の活躍と結婚パターン14世紀半ばに疫病の流行により激減したイギリスの総人口の動きは、15世紀後半に再び増加に転じるまで長く停滞したまま推移しました。この時期に、労働力不足により実質賃金が上昇すると共に、女性の経済的役割が高まったとされています。その理由として、穀物生産よりも労働節約的な畜産業が盛んになり、農業において女性の労働力が選好されるようになったことが挙げられます。また、使用人不足の状況も、女性の労働需要を増やす要因となりました。このように、女性の労働機会が増加した結果、女性の平均初婚年齢は上昇する傾向にあったという見解も示されています(Forman-Peck:2018)。 中世後期にこうした傾向がどの程度広く見られたかどうかは、今後の実証研究を待たねばならないでしょう。しかし、職選びや世帯形成が、個々による経済合理的判断よってなされる傾向が高まっていた可能性は注目に値します。そこから、市場経済の成熟度を見通すことができるようになるからです。
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