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はじめに |
はじめに経済成長には金融サービスの革新が不可欠であることを、先進国の金融史から学ぶことができます。中でも銀行史はその重要なテーマの一つです。実際、ポスト工業化の時代にも先進国が経済競争力を維持し続けられるのは、どこよりも早く銀行サービスの技術を進化させたからです。国際金融ビジネスにおけるイギリスやアメリカの存在感はそのことをよく示しています。 では、西洋史上、銀行はいつ頃から重要になったのでしょうか。1300年以降、中世ヨーロッパ最大の定期市、シャンパーニュ大市が衰退する歴史は、イタリア、あるいは、フランドル商人とそのエージェントらが自らその地に訪れなくとも、取引の決済が可能になった経緯に符号します(Bernard: 1972)。地元にある各都市に銀行が設立された結果、為替取引が可能になったからです。 都市と銀行このように、都市が金融の中心地になる歴史は、その後も繰り返されました。例えば、17世紀イギリスにおいて預金及び小切手発行サービスを提供し始めた金細工師、ゴールド・スミスらも、当時、西欧一の巨大都市へ成長しつつあったロンドンを拠点に活躍していたのです。 金融ビジネスを取り巻く政治的環境は、都市ごとに様相を異にしていました。例えば、パリ市においては王権による恣意的支配が顕著であり、アムステルダム市では当初より公立振替銀行の影響力が絶大でした。いずれの都市でも、民間の金融業が発展しにくい状況にあったと考えられます。 対照的に、ロンドンの金融業者らは、個人の力で国際的な商関係を構築していました。ゴールド・スミス・バンカーらは、情報源となる商人たちに近づき、信頼できる代理人を各都市に配置するなど、国際的金融ビジネスを手がけるために独自の工夫を凝らしていたというのです(Neal and Quinn: 2001)。イギリスでは、銀行史においても、個人的に蓄積された社会関係資本が効果を発揮していました。 イングランド銀行設立の経緯は広く知られています。しかし、ロンドンの金融街が後に世界の金融ビジネスの中心地へと発展する前提には、非公式な形で民間に根付いたビジネス・カルチャーの存在があったのです。2025.04.27 地方銀行 Country Banks財政革命後、銀行の役割は、ロンドンだけでなく他の地方都市においても大きくなっていきます。地方銀行の発達です。 最初の地方銀行は、1716年にイングランド中西部、セヴァン川沿いのグロスター市に設立されましたが、その数は、1760年以降増加します。東部イースト・アングリア地方のノリッジ市や中部ミッドランドのノッティンガム市のように、毛織物工業等が伸びた結果、地方都市でも為替取引や賃金の支払い、貯蓄のための銀行機能が必要になったからです(Ashton: 1948)。 しかしながら、近世イギリスの銀行業は、現代のような部分準備銀行制度といった公的な規制を遵守していたわけではなく、経営者の利益を最優先する形で展開していました(Dean: 1980)。当時の地方銀行は、金融政策とは縁の無いベンチャー・キャピタルに近い存在であったという見方も示されています(Brunt: 2006)。 もっとも、そうした見方の妥当性を判断するには、預金者の中に親族、隣人、知人、友人以外の者がどの程度含まれていたか、また、有名な南海泡沫事件の後遺症が消えぬ18世紀後半という時期に、投機的金融業の動きがどこまで広がっていたかを明らかにすることも重要でしょう。今後、さらなる実証研究が待たれるところです。 地方銀行の歴史は、イギリスの金融サービスがロンドンのビジネスエリートに独占されていたわけではなかった事実を示す上で重要な手がかりとなります。また、イギリス都市史において18世紀は「都市ルネサンス」の時代とされていますが、地方銀行の存在は、この時期に各地の都市機能が重要性を増していたことの間接的な証拠にもなり得るでしょう。 参考文献
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