はじめに遠方の地域との取引が増えれば想定すべき市場圏も当然大きくなります。西洋経済史のおもしろさは、市場圏の拡大に呼応して制度と組織が着実に変化していく様を考察できる点にあります。農業におけるエンクロージャーや、政治の分野で目立つ国家形成はその好例と言えるでしょう。 17世紀におけるビジネスの世界に出現する新しいタイプのカンパニー、東インド会社が注目されるのもそのためです。 株式会社の登場東インド会社の歴史を考察する際に、香辛料や綿織物の取引など実物経済への影響や植民地主義について考えるのも大事ですが、より広い経済的・社会的インパクトに着目することも重要です。株式会社設立とその後の証券市場の拡大により、不動産以外の資産形成の手段が増える結果となったからです。東インド会社は、地主以外の社会層にも投資のチャンスをもたらし、蓄財方法の民主化を促進したといえます。また、そのようなチャンスは家計収入を増やすインセンティブとなったでしょう。収入増から得られる個々人の満足度は、投資の可能性を踏まえれば、それまで以上に大きくなったと考えられるからです。 不特定多数の人々からの投資を呼び込み、事業の大規模化を容易にする経営モデルは、豊かな経済を実現するために必須の知的財産となりました。その起源を東インド会社の歴史に辿ることができます。証券取引や多国籍企業の経営が常識となった現代の視点に立てば、東インド会社が設立は、産業革命期の工場制導入にも比肩する、歴史的な転換点であったと捉えることもできるでしょう。 二つの東インド会社商業と産業はともに、経済成長を達成するための有効な手段です。しかし、これら二通りの経済的営みには、歴史上、重要な違いがありました。原材料の輸出入が限られる近世において、商業の方が、外国の資源の量と質に依存する度合いが圧倒的に大きかったからです。その意味で、イギリスとオランダ両国に設立された東インド会社の比較史は、示唆に富む商業史になり得るでしょう。 両会社ともに主力となったのはアジア貿易でしたが、イギリス東インド会社の主たる貿易相手国はインドと中国であったのに対し、オランダ東インド会社の取引相手国は、インドネシアと日本でした。最新の研究から、こうした棲み分けが、両会社の経営力や競争力に大きな影響を及ぼしていたことがわかってきました。イギリス東インド会社とオランダ東インド会社の命運を分けた主たる要因は、貿易相手国の違いにあったというのです (Erikson: 2014)。 同じアジアの国や地域でも、政治的、経済的事情は、当然、異なっていました。グローバル経済史の行方が、そうした違いを色濃く反映して形作られたという発見は、注目に値します。なぜなら、先進国と発展途上国をそれぞれ一括りにするような従属理論では、近代世界の成り立ちをうまく説明できないことがわかるようになるからです。
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