はじめに |
はじめに いかなる時代においても、人口増加が持続するための条件は、人々が生きていくために必要な食料が十分に供給される状態を維持することでした。そこで、経済史の研究では、各国において食料供給が安定し始めるタイミングを探ることになります。食料輸入が一般的になるには、海運効率が飛躍的に向上する19世紀を待つ必要があったので、その前の時代においては、国内の高度な農業生産力に頼るしかありませんでした。現代の物差しで表現すれば、高い「食料自給率」の維持が、持続的人口増加の条件であったと言えるでしょう。
しかし、食料供給は単なる生産力の問題ではない点に注意が必要です。 食料供給の善し悪しを判断する際、いかなる時も農産物が身近に存在するかどうかを問うことが重要になります。そのように考えると、市場経済や都市化は、食料供給の点では必ずしも有利ではないことに気がつきます。そこで注目されるのが、農民と消費者との間に介在する流通のシステムや中間業者の存在になるわけです。つまり、安定した食料供給は、そもそも農業から離れて暮らす大多数にとって、農産物を身近なものにするための制度や政策の問題でもあるのです。 公開市場 The Open Market都市に住む人々にとって、農産物が身近なものと感じられるようにする制度とは何か。それを端的に示すのが、市場の歴史です。 近世前半期のイングランドには、全国に約760の市場町が存在したことがわかっています。これら小都市の公開市場は、週に1〜3回、定められた曜日に開催され、半径約7マイル圏内の住民に農産物を提供し、多くの市場は特定の農産物に特化した専門市場としても機能していました(Everitt: 1967)。各市場は、地域内で競合しないように互いに一定の間隔を保ち、なるべく開催日をずらす工夫もなされていました。このように、近世イングランドの市場町はネットワーク化が進み、消費者並びに業者らが、一週間のうちに複数の市場を利用できる流通インフラとして機能していたのです。 都市や農村で定期的に開かれた市場の目的の一つは、生存に必要な農産物やその加工品が、貧困層に行き渡るように流通のあり方を監視することにありました。例えば、主食のパンや水の代わりに消費されたエールには法定価格が設定されました。価格の高騰を招かないよう毎年の小麦の収穫量に応じて価格を調整するためです。買い占め、転売、独占を禁じることも公設市場を開催する重要な狙いでした。また、規模の大きな自治都市の市場では、生鮮食品や皮革製品の品質検査が行われ、商品価値の維持が図られていました。 こうした市場とそのネットワークの存在は、近世イギリスにおいて食料供給が安定する要件となっていたと考えられるのです。2025.03.07 穀物法 The Corn Laws自由貿易の是非をめぐる19世紀の政策的・思想的論争を想起しがちですが、穀物の輸出入を規制する穀物法は、中世に導入され始めた重要な食料政策の一つです。生存に必要な食料が人々に行き渡らない危機的状況を避けるため講じられた政策でした。 穀物の輸出入には、国内農業従事者の保護と消費者利益の増進という二つの目的が内在しています。しかし、当時、食料供給は人々の生存率を高める最も重要な要件であったため、後者の消費者利益、特に食料へのアクセス可能性を確保する視点が重視されたとしても不自然ではないでしょう(Gras:1915)。 食料政策の転換イギリスの食料政策は、17世紀中に大きく変わります。飢饉による大量死の危機(死亡クライシス)に見舞われることは最早なくなったからです。農業生産力の向上の一方で、救貧法が導入された影響が大きかったとされています。その結果、危機に対応する中央政府による食料政策の意義は薄れ、都市でも穀物貯蔵庫が廃止されるなど、食料市場への公的介入は弱まっていきました。食料余剰の兆候は、豊作に合わせて食料輸出を奨励する政策にも現れました。 一方、視点を変えれば、この時期に現れる個人主義的経済思想の萌芽は、食の懸念が払拭されつつあった当時の食料供給の事情と軌を一にしていたと見ることもできるでしょう。物質的豊かさ無しに、選択の自由といった抽象的価値観が尊重されるようになるとは考えられないからです。18世紀にイギリスにおいて再び人口が増加し始める要因の一つに、母体の栄養状態を示す周産期幼児死亡率の低下があったという研究結果も示されています(Wrigley: 2004)。 もちろん、貧困層が経済的に満たされていた訳ではありません。しかし、不足する必需品の比重が、食料から他の物品へ移る事情は、生活水準の底上げを示唆する重要な変化と言えるでしょう。また、18世紀に入っても食料騒擾が消滅することはありませんでしたが(Thompson: 1993)、その事実を強調するあまり、イギリス近世において貧困層の生存のチャンスが上昇しつつあったトレンドを見失うことになるとすれば、注意が必要でしょう。イギリスでは、1600年以降、たとえ食料価格が高騰することはあっても、そのことが死亡クライシスの引き金になることはなかったからです。 参考文献 |