国際卓越研究大学
東北大学 大学院経済学研究科・経済学部 川名 洋教授(西欧経済史)

Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)


経済史のキーワード

制度史
Institutional History


 
 

はじめに

 経済学は国家の存在を前提に論じられる学問です(Smith:1776)。市場や金融、企業など、どれも国家権力の裏付けがなければうまく動きません。経済理論が世界中どこでも通用すると思えるのも、国制の下にない経済活動は例外的だからです。こうした学問的特徴は、普遍性を探究する経済学の魅力でもあります。

 一方、経済と法制度の関係はといえば、各国の事情を考慮に入れて説明されるべきでしょう。植物が地域の気候や土壌に合わせて育つように、法制度は、各地域の政治やカルチャーに合わせて発達するからです。当然、歴史への目配りも欠かせません。

 例えば、近世イギリス都市の制度には、個人による選択の自由を抑圧しない特徴があることがわかってきました。そこでは、権力と結びつきやすい制度の力を抑制する働きが、初めから社会に根付いていたというのです(川名: 2024)

 制度と経済成長の間に相関があることを強調するには、こうした歴史的条件を無視するわけにはいきません。というのは、制度の副作用を抑える社会原理が働いていたからこそ、市場経済を活性化する要因として制度に注目する方法が有効になると考えられるからです(川名: 2024)

 かくして、制度史への注目は、経済について理解を深める際、普遍性と地域性にどう折り合いをつけるかという難題を提起することにつながります。それは経済史の研究が重要になる理由でもあります。市場を取り巻く各国の社会事情の違いを重く見る学問だからです。
2025.06.08


制度と社会、制度と個人

 制度を動かす主体は、主に2つの特徴を持っています。まず、いかなる制度も、その創設と維持に政府を必要とします。そして、制度が積み重なるにつれて、政府の存在意義はますます高まります。次に、制度の運用方法は、特定のステークホルダー(利害関係者)の力に依存します。ステークホルダーが政府である場合もあれば、種々の営利・非営利の団体である場合もあるでしょう。いずれの場合にも、その組織力と政治力によって制度は維持されます。

 こうした集団的利害が、個人のそれと対立すれば、当然、個人の利益を守ることは難しくなります。現代人は、複雑な諸制度の下で生活していますが、制度は個人の自由を奪う危険性をはらんでいると言えます。集団生活に欠かせないこれらの諸制度の多くは集団的合意形成のもとに法制化されるため、たとえ都合が悪い場合でも従うことが義務づけられています。

 にもかかわらず、現代社会では、個人の都合や自由な選択が尊重されているように感じられます。これは、多様な制度が導入される大前提として、それらの制度を抑制する社会原理が社会に定着しているためだと考えられます(川名: 2024, 序章)
2025.08.17

制度と公私混在の経済社会

 制度の働きを抑制する原理が、市場経済にとって重要であることは自明です。しかし、権力と結びつきやすい制度のリスクを、制度そのものによって抑制するのは簡単ではありません。ゆえに、制度運用の大前提には、制度を必要とする社会自体に、個人の自由な選択を奪わないという精神が、為政者はもとより国民の間にも浸透している必要があります。

 ここに、制度蓄積が進む国家形成の時代に、政府と個人との関係について議論が深まるイギリス経済史の文脈に注目する理由があるのです。個人の存在意義が高まる思想史の方向性は広く知られていますが(Locke,1689; Smith:1776)、最近の実証研究から、個人の都合を優先する社会原理は、実際の経済社会において実践されていたことがわかってきました。近世イギリス都市における「公私混在の経済社会」です(川名: 2024)
2025.08.18

制度と西欧文化

 西洋経済が他の経済と大きく違うのは、その働きを制御する法制度の歴史に、古代オリエント、ギリシャ、ローマ文明という異文化の影響が混在している点です。例えば、教会は、そうした事情を具体的に示す影響力の一つです。今では官民いずれの組織にも用いられるようになった法人や、現在では病院として機能するようになったホスピタルと呼ばれる救貧介護施設など、教会史に沿って生まれた制度は少なくありません。周知の如く、教会の歴史は、キリスト教の原点でもある変革と改革の歴史でもあります。同様の歴史は、世俗の制度史にも当てはまり、それは決して偶然ではないという興味深い考察も示されています。

教会は、法の原理にも影響を及ぼしたと考えられます。西欧における世俗法の働きの前提には、博愛、平等、ゆるしといったキリスト教の教えを広める教会の存在がありました。世俗法は、その教理を現世において実現する範囲内で、人間が自らつくり出す規範と考えられていたのです。こうした法の成り立ちは、神との契約の遵守を絶対視せず、むしろ人間の自由意思の介在を容認するキリスト教独特の教理に由来するとされています(Berman: 1983)

 つまり、西欧では、どの世俗法も絶対的なものではなく、それゆえに、常に修正を迫られるルールと見なされていたわけです。西欧において、立法と並んで司法があり、法曹が重視されるようになったのはそのためです。とくに近世の前半期は、法律専門職の役割がそれまでになく大きくなった時代とされています(Brooks: 2008; 川名: 2024, 第4章)。経済と社会が大きく変わる時代でもあったことを考えれば納得できるでしょう。
2025.06.08
【関連時事】三権分立
【政策課題】法曹養成制度改革


参考文献

      Berman, H. J.(1983)Law and Revolution: The Formation of the Western Legal Tradition.Cambridge, Mass.
      Brooks, C.(2008), Law, politics and society in early modern England. Cambridge.
      Locke, J.(1689), Two treatises of government.〔訳書〕.
      Smith, A.(1776), An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations.〔訳書〕.


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