はじめに |
はじめに経済史の講義では、各時代の特徴について社会階層別に説明されることがよくあります。そこには大切な意味があります。経済学では消費者と生産者を区別して説明しますが、現実には、個々の経済力や生きる力に差があるわけですから、実際の経済を再現するとなれば、同じ消費者や生産者の間でもそれぞれの所得や職業の違いに目配りが必要になります。そこで、経済史学では、社会階層や職種・職業の違いを考慮しながら、経済成長において注目されるようになるのはの要因や市場経済の意味を読み解くスキルが求められるのです。 また、社会階層に注目することによって経済社会の発達を的確に把握する効果も期待できます。例えば、農民が土地取引や移住を選択できないような社会では階層化は起こりにくいはずなので、ある時代に階層化が進んでいたことに気づけば、その時代に農民らの選択肢が増えつつあったことも想定しやすくなります。 中間層という概念が西欧近世において注目されるようになるのは、その時代に経済活動が個人の選択に委ねられるようになる傾向が一層強まることと無関係ではないのです。とくに、移住の機会と選べる職の種類が増えることになる都市化が注目されるのはそのためです。 中間層と自由生産・流通・消費の質は、個人の選択の自由度が高まるほど向上します。この原理を阻害する身分制度が早期に消滅した西欧で近代経済が成立したのは偶然ではありません。「中間層」という用語が、当時の人々の間で意味を持つようになるのは、この歴史的流れと密接に関連しています。それは、個人の努力と運次第で、出世もするし、零落もありうる流動性の高い社会の構造を捉えるのに適した概念だからです。職業選択において地縁や血縁に必ずしも制約されない近世イギリスは、そのような社会の一例とされています(Stone: 1966)。 中間層の人々が活躍する時代は、経済的自由が定着し始める時代でもありました。イギリスにおいて「中間層」という言葉が使われ始めたのは17世紀頃のことです。当時の社会情勢を紐解けば、その理由を理解することができるでしょう。経済面では、人口増加と国内外の市場の変化が顕著であり、司法や行政の面では、地主エリート層に限らず都市や教区のリーダー達の役割が増していました。また、文化面では、宗教改革によって西欧の人々の価値観が大きく変化したことは周知の事実です。このような状況下で、都市部に移り住む人々は増え、職業選択の幅も広がっていきました(Wrightson: 1994)。2025.02.23 中間層と個人中間層の人々は、個人の才能と努力に基づき、知識と技術を活かす職業的倫理観を有しています。これらの人々の生き方は、不労所得に依存する地主層や、他者に雇用される労働者とは異なっていました。「中間層」という用語が意味を成すのは、政治、経済、社会のあらゆる領域において、そうした倫理観を重視する人々の影響力が拡大するからです。これらの人々の価値観、言動、経済力、そして道徳観が、経済と社会のあり方を大きく変えるエネルギー源となるからです。 また、中間層の人々とは誰かを問うことも重要です。ここでは、国家形成が進み、官僚制が強まる近世の時代性を考える必要があります。当然、公務員の数は増えるわけですが、イギリスでは、民間人の影響力が際立っていました。国家形成の時代にもかかわらず、中間層の歴史が、統治の論理に独占されなかったところに、歴史的意義があるのです。当時、経済力を付けた農村のヨーマンや、都市の貿易商人や金融業者、また、専門職を有する医師や薬剤師、法曹や聖職者らの活躍が注目されるのは、そのためです。 中間層の結束力中間層の歴史の面白さは、そこに属する人々がどのようなグループや組織を形成するのかを考察できる点にあります。一見、自立心の強い人々の集まりのように見えますが、実は共通の価値観に基づく結束力にその特徴が現れることが分かっています。 少し矛盾するようですが、個人の選択力が試されるようになるからこそ人々の間では結束力が高まるのです。社会が流動的になり個々にとって将来予測が難しくなると、当然、不安も大きくなるからです。西欧の都市史から明らかなように、中間層の人々の組織力は、古くからある農村共同体や地主エリート層のそれとは全く異なる社会原理によって高められていくのです。種々の営利・非営利組織(クラブ・協会、会社)が近世に目立つようになるのは偶然ではありません。(Barry: 1994;Clark:2000).また、こうした現象が、近世の国家形成期に目立つようになる点に歴史的意義があることは言うまでもありません。 実はこのことがよくわかると、自治都市やギルド、ホスピタルや教区など、中世からある社会組織との連続性や違いについてどうしても調べてみたくなるのです。 参考文献 |