国際的流通拠点
ロンドンがイギリスの主要な貿易拠点となった背景には、16世紀前半に大陸ヨーロッパ市場の玄関口であったアントワープとの取引が活発化したことが挙げられます。中世後期から続く羊毛生産の優位性により、イギリスの毛織物工業は拡大傾向にありました。1570年代にスペインが低地諸邦を支配下に置くまでは、イギリス製の毛織物はロンドンからアントワープへ輸出されていました(Davis:1973)。
当時のイギリスの経済成長は、中世以来の西欧経済史の流れの中で位置づけるべきものです。その中でロンドン経済は、全国の輸出品が集まる毛織物専門の卸売市場であるブラックウェル・ホールを中心に活況を呈していました(Barron:2000)。それだけでなく、当時は農村工業の広がりを背景に安価な消費財の流通量が増加し、人口増加による食料品需要の拡大に伴い農産物の流通量も増加傾向にありました(Chartres:1977; Thirsk:1978)。このような国内市場の活性化に伴い、首都ロンドンの経済機能はさらに拡大していきました。
2025.08.06
【参照】食料供給
衒示的消費地
ロンドンの成長を促した要因は実物経済だけにあったわけではありません。当時のイギリス国内事情も大きく影響していました。富裕層が冬に首都に集まり社交を楽しむ「ロンドン・シーズン」は有名ですが、この時期に注目されるのは、郊外のウェストミンスターに集中していた国王裁判所の司法機能の重点化です。1530年代の修道院解散後に教会領の不動産が民間に売却されたことは広く知られています。また、この頃続く長期のインフレーション(価格革命)は、不動産価値をも押し上げていたと考えられます。これらの影響により、不動産の譲渡や相続をめぐる訴訟も増加したことが知られています。また、商業の発展に伴い債務不履行など商業上の係争も数多くロンドンの裁判所に持ち込まれるようになりました。
16世紀イギリスにおけるこうした特殊な事情によって、富裕層とその関係者らが多くの使用人と家族を伴って首都に滞在する機会が増えた結果、ロンドンは衒示的消費地として潤ったというのです(Fisher:1948)。その賑わいは、雇用や婚姻の機会を求める人々を引きつけることになりました。この頃、女性や若者の移住が活発になるのはそのためです(Elliott:1981)。
こうした歴史が注目されるのは、首都経済の成長基盤が消費需要により潤うサービス業にあったことを明確に示しているからです。その傾向はやがて全国に波及し、イギリスの消費革命へと繋がっていくのです。
2025.08.07