国際卓越研究大学内定校
東北大学 大学院経済学研究科・経済学部 川名 洋教授(西欧経済史)

Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)

トピックス経済史・経営史


比較経済史


使用言語:英語/日本語  講義時間:22.5時間(2単位)

 
 

はじめに

 先進国のイギリスから約100年遅れて後発工業国となった日本は、アジアで最初に産業革命を起こした国として位置づけられています。両国の類似点は、単に「最初の工業国」という構図だけではありません。日本経済が異文化圏(ヨーロッパ)との交流で潤ったように、イギリスの経済も異なる文化圏(アジア)との経済関係に支えられ発展したことは広く知られています。また、17〜18世紀という産業革命に至る助走期に豊かな商業社会が出現したことも、両国共通の史的特徴と言えるでしょう。
 こうした類似点は、比較経済史を学ぶ出発点になります。本講義では、近代経済の萌芽期におけるイギリスと日本の経済に着目し、歴史上の類似点について詳しく解説していきます。
 類似点を考察する目的は、あくまで両国の「相違点」を浮彫りにすることにあります(日英比較)。それぞれの経済特性を理解し、経済の成長/停滞要因を特定するのが狙いです。
 両経済の歴史的前提を捉える比較経済史の方法は、同じ後発国でありながら異なる経路を辿り発展する、日本以外のアジア諸国の経済へ接近する際にも応用可能な基本的アプローチです。西欧中心の歴史観だけでなく、ローカル、ナショナル、そして、グローバルヒストリーに内在する強みと弱みを認識することにもつながります。
 本講義では、国際卓越研究大学のミッションに鑑み、日英両方の言語を用います。

 

プロローグ 都市と農村、商業と農業

 近年、イギリス経済史の研究者の間では、中世・近世イングランドの経済成長に注目が集まっています。賃金は上向き所得水準も高まる傾向にあったことがわかってきたからです(Broadberry: 2015; Horrell: 2021) 。この時代の経済成長は、近現代に起こるような工学技術の革新によるものではありません。ではどのようにして、長期の経済成長が達成されたのでしょうか。
 この講義では、イギリス経済史を都市と農村、商業と農業各部門とに分けて考察し、都市商業の重要性が高まり農村と農業が変容していく様子について解説します。こうした方法をとる理由は、経済を学ぶおもしろさが、その成長に伴って起こる社会変化にあることを受講者によく理解してもらいたいからです。
 もう一つの理由は、イギリス経済史について、日本経済史と比較しながら学ぶことができる点にあります。江戸時代の日本も都市(城下町)の商業が栄え、それに合わせて農業も変化したことがわかっているからです。こうした共通点をふまえて両国をよく比べてみると、それぞれの経済が近世の時代に分岐していく様子を具体的に説明できるようになるはずです。しかも、日英比較史から、産業革命はなぜイギリスに起こったのか、その理由を探ることもできると考えらはれるのです。2024.07.25

比較農業経済史

 一国の都市人口が農村人口を上回る事態は、人類史上の画期的現象と言えます。都市に住む人々へ十分な食料を供給できたのは、輸出入のお陰と考えられがちですが、イギリス経済史について学ぶと、近代以前から国内農業の生産力が向上していたことに気づきます。しかもそれは、農業従事者の割合が減少する中で達成されたのです。つまり、イギリスでは、少ない農業人口で多数の非農業人口を支える現代の職業構造へ向かうトレンドが早くから生み出されていたことになります。
 農業の生産効率が上がると、農業から得られる収入も増えるはずです。近世イギリスの農業史において、富裕な農民層(ヨーマン)や下級地主層(ジェントリ)の活躍、そして、農業経営規模の拡大が注目されるのはそのためです。
 イギリス近世は都市化の時代と言えますが、その背景には、安定した食料供給に資する農業と農村社会の変革があったのです。しかし、農業生産力の高まりに合わせて農業人口の割合が少なくなり、零細農家の比率も下がる傾向は、歴史上、決して普遍的とは言えません。この講義では、同じように近世において農業生産力の向上が見られた日本の農業史を参考に、両国経済の共通点と相違点について解説します。2024.07.26

畜産農業の源流

 中世ヨーロッパのマナーでは、村落内の耕地が村民それぞれの保有地(地条)に区分けされ、慣習に沿った農業が営まれていました。とはいえ、それぞれの保有地は柵などで区切られていたわけではなく、外から眺めれば、村民らが共同で農作業をしていたように見えたことでしょう。収穫期が終わり農閑期になると、村民であれば誰でも耕地に家畜を放つことが許される慣習がありました。そのような農地を指して開放耕地という語を用います。
 耕作と放牧が一体となるこのような農法は、農業経済史において注目すべき特徴です。というのも、後に農業生産性が飛躍的に高まる近世の農業について理解するヒントがそこに隠されているからです。
 中世の農業における牧畜の重要性は、村内の共同地や休閑地が夏には放牧地として自由に利用されていたことからもわかります。耕作と放牧が混在する農業のあり方は、変わりゆく経済状況に応じて、領主や農民が取り得る選択の幅が広がるという点においても、注目すべき特徴と言えます。そのような農業のあり方を近世日本の農業と比較してみると、それぞれの特徴についてよりはっきりと理解できるようになるはずです。2024.10.17

都市化の経済史

中世ヨーロッパの商業化
―近世における都市化の歴史的前提―

 中世ヨーロッパの経済が注目されるのは、遠隔地商業がローマ帝国滅亡以降の経済的停滞期を経て再び復活することが広く知られているからです。現在のような国家間の貿易とは異なるものの、商業が「国際的」であったところに、その後の西洋経済史の繁栄の前提がありました。
  ここで受講者は、この商業の国際化と中世都市の発達との間には重要な相関関係があったことを認識することが大切になります。なぜなら、イギリスが都市化の時代を迎える近世においても、同じような関係が現れることに気づきやすくなるからです。24.09.30

   

自治都市は歴史的「経済特区」

 イギリス都市の主たる機能は中世の時代から「経済」にあったといえるでしょう。都市は、商人や手工業者、専門的職業人らがリーダーとなって統治されました(川名:2004)。そこでは毎週市場いちばが開かれ、その管理と運営もこれらのビジネスエリートらに託されていたのです。また、市長らが主宰する裁判所が市場いちば付近で開廷されたのも、取引上の争いを速やかに処理するためでした。
 封建制の下でのこうした都市の経済運営が「特権」と考えられていたことは、興味深い事実です。というのも、中世都市は現在でいう「経済特区」と同様の効果を発揮していた言えるからです。やがて主要都市のほぼ全てで、こうした経済運営は当たり前となりました。
 都市がこのようにビジネスを担う人々によって自主的に統治された歴史は決して普遍的とは言えません。それは、日本の都市(城下町)と比較してみるとよくわかります。
 実は、イギリスでも、都市にはもともと重要な軍事的機能が備わっていました。ところが、市場経済の影響が大きくなるに従って、近世の時代までには、経済機能がそれを上回るようになったのです。経済活動が防衛のための市壁を越えて郊外へ広がる経緯はそのことをよく示しています。近世を通じて都市人口が増え続けた事実も、都市の経済的魅力が高まっていたことの証左と言えるでしょう。24.09.12

課題例
Q.制度を動かす都市のリーダー達の社会的地位と職業に着目し、近世イギリス都市の経済的特徴について論じなさい。


イギリス都市史の歴史的文脈

近世イギリスの都市化がとくに注目されるのは、宗教改革(16世紀)の世紀から産業革命期(18世紀後期)に至るまで西欧諸国において唯一都市化率が上昇し続けていたことがわかっているからです。この間、イギリスの政治、経済、社会も大きく変わりました。近代経済と近代社会の特徴が現れる萌芽期という意味で、この時代を「初期近代」、あるいは、「近世」と呼ぶのはそのためです。
 そこで、この時期はイギリス都市史にとって特別な時代であったことを認識する必要があります。近世の都市化は、後に世界を大きく変えることになる社会変動との関わりがとても深かったからです。
 これまでの研究によって、近世後半(1690〜1815年)における都市化の経済的、社会的影響は極めて大きかったことがわかってきました。当時のイギリスでは啓蒙主義を背景に消費社会が誕生したことは広く知られています(消費革命)。そうした中で主要都市は、活発な消費市場になると共に、最新の知識と情報を求めて人々が集う社交場となりました。
 このような事情がなぜ重要かと言えば、物質的豊かさと知的で上品なカルチャーが、人々の振るまいと景観を通して公共性と結びつく社会的スペースが生まれたからです。この時期のイギリスの都市化は、科学と経済の分野において優位に立つ西洋の歴史的方向性を決定づける潮流と軌を一にしていたと考えられるのです(参考「行動様式とカルチャー」
 ところが、近世前半期(1530〜1689年)の都市化の影響について積極的に論じる論考はまだ少数です。この時期の都市化を、後の近代社会の萌芽として考察する歴史的意義は、未だ明らかになっていないのです。こうした学問的空白を埋めるのが、本講義の狙いです。
 この講義では、宗教改革から名誉革命に至る約150年間を対象に、イギリス都市において「公私混在の経済社会」(川名:2024)が成立した経緯について解説します。中央集権化が進み、法による支配がいかに強まろうとも、個人の都合により自由に物事を選択できる市場の論理は決して抑圧されることはない、現代では当たり前の社会原理をそこに発見できると考えられるからです。2024.09.19


都市の「公式な領域」

 中世における封建制のもとでも、都市に住む商工業者らの政治的コミュニティーは、住民本位の経済運営を実践する主体として公認されていました。市内における営業権を有する男性市民(フリーメン)らは市長職と市議会を軸に自治体を形成し、経済と社会秩序の維持を自ら担うようになりました。やがて多くの自治都市は近世前半までに法人格を付与され、その位置づけは法律上も盤石になったのです。(参考「都市の制度」
 一方、都市の経済面では二つの見方が示されています。ギルド制(カンパニー制)による規制の厳しさゆえの経済効率の悪さを強調する視点と、反対に当局の監視があるからこそ取引費用が削減され市場が活性化されるという観点です。いずれの見方にも共通するのは、都市には行政と司法機能が集中し、規制や監視を目的に諸制度が蓄積されていたという考察です。これらはどれも都市を「公式な領域」として捉える方法とみることができるでしょう(川名:2010)
 このように正式に住民自治が認められたビジネス・コミュニティーであり続けたところに、イギリス都市の真骨頂が現れます。都市自治体が、現在では会社を意味するコーポレーション、あるいは、カンパニーという名で呼ばれていたのも偶然ではありません。比較経済史の視点から見ると、イギリスの都市はこの点において、日本の都市(城下町)とは大きく異なっていたことがわかります。公権力に認められた「公式な領域」であった点は同じでも、日本の都市は藩主により建設されただけでなく、19世紀半ばまで市内に居住する武士層による支配が続いていたからです。2024.07.27


国家形成期における自治都市

 さて、都市を「公式な領域」と捉える視点は、近世前半期の都市化を考察する上でとくに大事になります。というのも、この時期は、イギリスの国家形成期にあたるからです。中央集権化は1530年代から開始されます。王権(政府)が封建的領主の権力ではなく、公権力として正当化され認識されるようになる経緯に歴史的意味があります。イギリスでは、政治権力が私的な目的(領主制)ではなく、公益(国制)を念頭に行使される時代に突入したと言えます。
 例えば、慣習よりも法の影響力が徐々に大きくなり、司法のシステムも、諸制度及び組織の運用方法について争う場として整備されていきます。それに合わせて、従来のコモンローに加え、議会制定法により経済規制や社会統制も全国に及ぶようになりました。その結果、個々の経済活動に介入する公的圧力も高まることは容易に想像できます。
 そうした中、都市はそれまで以上に公式な政治組織へと格上げされるようになりました。この時期に、多くの自治都市に法人格が付与され、自治都市の法人化が進んだのです。その結果、都市政府による統治権限が強化される一方、都市支配層は、自治権の正当性を自ら裁判の場で主張する機会を意識するようになりました(川名:2024,第4章)。実務面では、市議会における集団的合意形成が益々重要になり、その経緯と議決は市議会議事録に残され正式な文書として保管されるようになったのです。市内では、以前から市区ごとに役人が配置され治安官らが巡回していましたが、救貧法(1600年頃)が施行されると、教区(教会区)が行政区に代用されるようになり、救貧税の徴収や貧困調査を名目に、酒場や家庭内にも公的監視の目が行き届くようになっていきます。かくして、近世前半のイギリス都市は、それまで以上に「公式な領域」へと変貌を遂げたと言えるのです。2024.09.18

都市の「非公式な領域」

 ところで、都市の働きを集団的合意形成を要する制度面から再現するには限界があることもわかってきました。というのも、都市は、労働及び消費市場の要であり、個人の都合でそこへやってくるよそ者を数多く受け入れたからこそ、経済的にも潤っていたと考えられるからです。
 多くの人々が都市を訪れては去り、住民もしょっちゅう入れ替わる現象は、都市の制度面とは違って、個人の都合と選択が元となって現れます。それは集団的合意形成に基づく制度蓄積とは異なるものの、都市の重要な特徴と見るべきでしょう。なぜなら、経済の豊かさが激しい人口の出入りに依存する様子は、どの農村と比べても都市において際立っていたからです(川名:2024,第1章)。このような見方は、定住に拘らない農村民が多いイギリスのような社会を考察する際にはとくに重要になるでしょう。
 そこで、この講義では、いかに公権力が強まろうとも決して衰えない個人の力に注目し、近世イギリス都市に現れるインフォーマルな影響力について解説していきます。実は、これこそイギリス自治都市に秘められた社会原理の源泉であることもわかってきたからです。都市の経済が個人の都合を優先する多くの人々により動いていたならば、都市を「非公式な領域」と見ることもできるでしょう。ここで「領域」という語を用いるのは、如何に法制度の影響が強まろうとも、市内の生活圏が為政者の論理によって占有されることがなかった事実を強調するためです。(川名:2010;2024)2024.07.29

課題例
Q.イギリス近世都市を「公式な領域」ととらえる分析方法と、「非公式な領域」ととらえる方法との違いについて、参考文献をもとにまとめなさい。

移住、分業、消費

 生産力が高まる要因の一つは機械化にあります。産業革命が注目されるのはそのためです。しかし、イギリスにおいて生産力は、それ以前から緩やかに上向いていたと考えられます。その要因は、主な生産活動の場の変化にありました。人々が農村を離れ生産人口が都市に集中する経緯です。都市化によって多くの人々が農業ではなく加工業、サービス業に従事するようになる歴史が注目されるのは、分業が進み、商品の開発や差別化によって経済的付加価値が生み出される機会が飛躍的に高まるからです。
 このような都市化と産業構造の変化には重要な社会的意味があることを読み取る必要があります。それは、個々人がそれぞれの技能に応じて異なる仕事に就くことが当たり前になるということです。つまり、都市化とは、生産力を高めるだけでなく、市場の影響により個の能力が解放される重要な歴史的プロセスでもあったのです。
 ところで、都市に暮らす就労者は、都市の重要な消費者でもありました。都市では、幅広い種類の物品が身近に出回るので、人々の消費意欲がかき立てられるのは当然です。実際、17世紀前期のイギリスでは、都市に出回る物品の種類が徐々に多くなっていたことがわかってきました(川名: 2024, 第2章)。これは重要な発見です。というのも、物品の種類が増えれば、個々人にとって、意味のある消費の選択肢も広がり、消費意欲も高まると考えられるからです。さらにそれは、働いてより多くの収入を得ることの意味が豊になることを示唆します。17世紀に「勤勉革命」が起こったとされるゆえんです(De Vries:1994)
 かくして、生産だけでなく消費の面でも、都市化は個の力が解放されるプロセスであったことがわかるのです。
 この講義では、近世前半期におけるイギリスの都市化のについて解説していきます。そのキーワードは、移住、消費、分業です。これらはすべて個人による選択を伴うという意味で都市を「非公式な領域」として捉える理由になるからです。ここでも同時期(江戸時代)に都市人口の増加が顕著になる日本との比較の視点が重要になります。それにより、イギリスの事例が決して普遍的ではなかったことを認識することができるからです
2024.07.30

課題例
Q. 近世イギリスの地方都市において消費市場が豊かになっていたと考えられる根拠について、参考文献をもとにまとめなさい。

エピローグ 近代経済への隘路

 欧米諸国はイギリスにおける機械化と鉱物資源利用の方法を模倣しつつ第1次大戦が始まる1914年までに早くも工業化に成功しました。その事実から、産業革命が起こる18世紀後半までは、各国の経済力の差はそれ程大きくなかったと考えられます。つまり、西欧ではどの地域でも有機経済の枠内で市場経済は高度に発達しつつあったと考えられるのです(スミス的経済成長)。
 しかし、それは、どの国においても産業革命が起こり得たことを意味するわけではありません。
近世(16〜18世紀)における各国の経済事情をみると、イギリス経済との相違点が浮き彫りになります。近年注目されているのは、イギリス以外の国々では、労働節約的なイノベーション(機械化)へのインセンティブが弱かったという点です。そうした国々の経済はイギリスとは異なり、高賃金経済ではなかったからです(Allen:2009)
近世の段階では、経済成長を阻害しうる政治的・制度的条件にも各国の間で差があったことがわかっています。例えば、全国に法の支配が及ぶような中央集権的国家の形成は、当時、必ずしも一般的なトレンドではありませんでした(ドイツとイタリアの例)。また、たとえ国家統一がなされても、独裁政治を牽制する議会制や地方自治を社会に定着させるのは容易ではなかったこともわかってきました(フランス)。さらに、この時期に活発化する植民地の獲得でさえ、政治体制の違いなどにより常に経済成長につながるとは限らなかったのです(スペインとポルトガルの例)。
 このように、近世においてイギリスに似た政治的、法制度的、思想的特徴を兼ね備えていた国は、珍しかったことがわかります。かつて提唱された資本主義経済論や発展段階論からは、どの国においても条件さえ揃えば産業革命が起こり、経済は順番に発展するという印象を受けます。しかし、イギリスとの比較経済史から、実際には、産業革命への途は多くの国々にとって自然な経路ではなく、むしろ険しい隘路であったことが明らかになるのです。
 そのことに気がつけば、近世における各国経済の特質を比較する意義だけでなく、産業革命後に世界がどう変わるかも理解しやすくなるでしょう。後発工業国によるキャッチアップには国民的努力が不可避となる一方で、古い制度及び思想や価値観の変革とともに政治的混乱が起こることも容易に想像できます。古い考えが根強く残れば、先進国に追いつくやいなや、元の思想と価値観へと回帰し始める可能性も想定できるでしょう。
 どこにでも適用しうるように思える工学技術的革新と大量生産体制ですが、実は各国の事情により特定の歴史的経路に沿って実現された事実は重いのです。現在でもその経路への依存性は、各国経済の特徴に作用する決して侮れない歴史的パワーとなって現れます。だからこそ、歴史学的方法で経済を捉える経済史学のアプローチが生きるのです。
 日本もアジアの国では唯一、経済面ではいち早く欧米諸国に追いつくことができました。その事実から、近世の日本でも市場経済が高度に発達しつつあったことが示唆されます。キャッチアップの過程で近世後期に発達した在来産業の影響が大きかったことは、そのことをよく示しています(Tanimoto:2006)
 しかし、だからといって、日本に産業革命が自然に起こることは想定できません。というのも、日英両国を比較してみると、経済のみならず、政治や社会の面で、経済の急成長(持続的経済成長)を阻害しうるいくつもの相違点が浮き彫りになるからです。中でも市場経済を動かす上で要となる都市の位置づけや社会構造、人間関係を規定する制度と社会原理の違いは、そのわかりやすい例と言えるでしょう。日英いずれの近世社会でも有機経済の枠内で市場経済が発達しつつあった点は同じですが、近代的経済成長を生む可能性の点では、両国の間にはやはり大きな違いがあったと結論できるのです。2024.08.03

参考文献

  • Allen, R.(2009), The British Industrial Revolution in Global Perspective. Cambridge.
  • Broadberry, S.N.(2015), British economic growth, 1270-1870. Cambridge.
  • De Vries, J. (1994), ‘The industrial revolution and the industrious revolution’, The Journal of Economic History, vol.54 , 249-70.
  • 川名 洋(2004) 「近世イングランドにおける都市経済基盤とその変容過程 ―内陸都市レスターの事例―」, イギリス都市・農村共同体研究会, 東北大学経済史・経営史研究会共編, 『イギリス都市史研究 ―都市と地域―』, (日本経済評論社, 2004年)所収.
  • 川名 洋 (2010)『イギリス近世都市の「公式」と「非公式」』創文社/講談社.
  • 川名 洋 (2024)『公私混在の経済社会』日本経済評論社.
  • Horrell, S. et al.(2021), 'Family standards of living over the long run, Englnad, 1280-1850', Past and Present, no.250, 87-134.
  • Tanimoto, M., ed. (2006), The role of tradition in Japan’s industrialization: Another path to industrialization. Oxford.

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    Last updated : 2024/08/15

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