都市史に近代社会の源流を辿る
イギリスの近世(16〜18世紀)は、近代経済の胎動が感じられる都市化 の時代です。産業革命 へ向かうこの大事な時期に、イギリスの都市化率は、ヨーロッパの中で最も安定して増加していたことがわかっています(Wrigley: 1985) 。そのトレンドを先導した首都ロンドンは、世界有数の巨大都市へと成長しました。地方の自治都市 においても、豊かな知識と科学技術、上品な振る舞いや景観を大切にするカルチャーが開花したのです(Borsay: 1989) 。 一方、イギリスの都市史が注目されるのは、近世における都市化 のプロセスがプロト・デモクラシー定着の歴史と重なるからです。そしてその歴史を先導したのも、中世以来、農村とは異なる経済論理実践の場となった自治都市 でした。そこでは選挙によって選ばれた市長と、住民により構成された市議会が中心となって自治組織がつくられ、その多くは法人格を付与され都市法人 civic corporation となりました(川名: 2010, 序章) 。
肝心なのは、都市行政の運営主体が国やその役人ではなく、市場と分業によって潤うビジネスコミュニティーの構成員であったという事実です。国家の形成期に強まる統治論ではなく、個々の商工業者やサービス業者、消費者らの経済論理が優先され、その傾向が強まっていた点に、後の歴史を規定するイギリス近世都市の歴史的意義を読みとることができるのです。公権力が強まる時代にもかかわらず、個人の選択力が生かされる公私混在の経済社会 。そんな都市のあり方は、決して普遍的とはいえません。近世イギリスに現れるその先例は、市場経済の発展に不可欠な社会原理となってやがて世界へ広まることになるのです。2024.05.31
【参照】 都市化 「イギリス都市史の歴史的文脈」
【関連時事】 政令指定都市
イギリス都市史研究の基盤づくり
イギリスにおける都市史研究は、1870年以降に活発になります。その動きは、都市自治への関心が強まっていたことと無関係ではありません。同国では19世紀を通じて、地方行政に対する中央政府の影響がそれまでになく強まっていたからです。歴史家の関心は、まずイングランドの中世都市に向かいました。当時の法制史について論じたF.W.Maitlandや地方都市の行政史料編纂に尽力したM.Batesonらが活躍し、戦後の都市史研究への足掛かりが築かれたのです。 2024.06.06
【関連時事】 地方自治
都市の制度
イギリス都市史の研究分野では、統治構造や産業組織など都市特有の諸制度に関する基礎知識が整いつつあります。都市の制度に関心が集まる理由は、もちろん、制度の存在を裏付ける史料が最も手に入りやすいという実践的な事情によるものですが、もう一つの理由は、民主主義社会のルーツを辿る上で示唆に富んでいるからです。代議制と多数決のルールに基づく統治が、中世の時代から今日まで途切れず続いている歴史は、他に類を見ません。 実はそのイギリスでも、名誉革命前夜の数年間、自治権剥奪の危機がありました。しかし、結局、王権による野望が実を結ぶことはなかったのです。この点は、同じ西欧社会でも絶対王政の優位が文字通り成り立ったフランスとの大きな違いです(坂巻:2024) 。 市議会の歴史は、都市毎に少しずつ異なりますが、48名の市議会議員、欠員が出るためにそこから選ばれる24名の市参事会員、そして、市参事会員の中から毎年選出される市長により構成される例がわかりやすいでしょう。市議会議員は、徒弟制を経るなどして市民権の資格を得た成人男性で、その地位につくまでにはギルドの要職につき、治安官となり、市場取引における検査役をこなすなどのキャリアトラックがありました。商売をしながら、ほぼ無償で市政に参加する人々によって社会が成り立っていた点に都市自治の特徴がありました。 都市のリーダーたちは、定期的に市庁舎に集まり議会を開き、都市財政、法律の導入、宗教問題や外部勢力への対応にかかわる幅広い意思決定を行い(川名:2010, 第1章) 、他にも、市長や市長経験者らは、判事として都市裁判所の裁判を主宰する責を負いました(川名: 2024, 第4章) 。
2024.09.25【関連時事】 地方自治
都市的土地保有 Burgage Tenure
中世イングランドにおいて、領主に一定の貨幣地代を納めることを条件に、土地の譲渡や貸借、さらには商業活動までもが自由に行える保有地が市場付近に設けられました。それは、商人や手工業者のみならず領主にとっても好ましい土地の利用方法でした。なぜなら、個人の経済力と選択力が最大限に活かされることで、市場の活性化と地代収入の増加が期待できたからです。(Ballard: 1913; Reynolds: 1977) 。
都市では、領主経済の慣習により賦役労働を義務付けられ、自由に土地を処分できない農村の慣習的土地保有に対し、こうした土地保有 (都市的土地保有)の割合が高くなりました。土地の形状は一般に街路から奥へ伸びた長方形であることが多く、街路に面した住居正面は店舗スペースとして利用されていました。都市的土地保有のクラスターは、やがて司法的・行政的特権を得ることになる市民らの経済及び生活基盤となるのです。
都市独特の土地保有が注目されるのは、「公私混在」を是とするその後の都市的制度のあり方を規定する要因をそこに見出すことができるからです。それは、個人主義、選択の自由、市場原理といった概念が市場経済の思想的基盤となる西洋経済の歴史的特徴の一つと考えられるのです。2025.05.06
参考文献
Ballard, A., ed.(1913), British Borough Charters, 1042-1216 . Cambridge.
Borsay, P.(1989) , The English Urban Renaissance: Culture and Society in the Provincial Town, 1660-1770 . Oxford.
川名 洋 (2024) ,『公私混在の経済社会』 日本経済評論社.
Reynolds, S.(1977), Introduction to English Medieval Towns . Oxford.
坂巻 清 (2024),「後期スチュアート王権のロンドン支配―特許状没収期(1683年〜1688年)をめぐって―」, 『社会経済史学』第90巻1号, 43-66.
Wrigley, E. A.(1985), "Urban Growth and Agricultural Change: England and the Continent in the Early Modern Period", Journal of Interdisciplinary History , vol. 15, pp.683-728.
近世イギリス自治都市に関する研究書
London ロンドン市
坂巻 清 『イギリス・ギルド崩壊史の研究 ― 都市史の底流 ― 』 有斐閣, 1987年
Chester チェスター市
川名 洋 『公私混在の経済社会 ― 近世イギリスにおける個人と都市法人』 日本経済評論社, 2024年
Exeter エクセター市
安元 稔 『イギリスの人口と経済発展 ― 歴史人口学的接近 ― 』 ミネルヴァ書房, 1982年
King’s Lynn キングス・リン市
小西恵美『長い18世紀イギリスの都市化: 成熟する地方都市キングス・リン 』日本経済評論社, 2015年
Leicester レスター市
川名 洋 『イギリス近世都市の「公式」と「非公式」』 創文社, 2010年
Newcastle-upon-Tyne ニューカスル・アポン・タイン市
中野 忠 『イギリス近世都市の展開 ― 社会経済史的研究 ― 』 創文社, 1995年
Norwich ノリッジ市
唐澤達之 『イギリス近世都市の研究』 三嶺書房, 1988年
York ヨーク市
酒田利夫 『イギリス中世都市の研究』 有斐閣, 1991年
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Last updated :2025/05/06
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