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はじめに |
はじめに西洋経済史のおもしろさは、現代社会が成り立つ条件を理解する上で参考になる歴史的特徴をいくつもそこに見出すことができる点にあります。市場経済の歴史と弱者救済の歴史との関係はその一つです。古代オリエントに起源を持つ教会の影響が大きかったと考えられます。 ヨーロッパには、「経済成長」の歴史よりもはるかに長い「富の分配」の歴史がありました【参考 救貧法】。それは、福祉経済の歴史を近現代史の枠内に留めることができない理由でもあります。 現代社会には、様々な慈善団体が存在しますが、中世ヨーロッパにおいても事情は同じでした。例えば、修道院やそこから派生した施療院・救貧院の存在は広く知られています。弱者をいたわることを目的としたこれらの施設は、ホスピタルと呼ばれていました (川名: 2024, 第6章)。都市には他にも、カンパニーやギルドと呼ばれる組織が構成員の福祉を目的に数多く誕生しました。商業中心地とされるヨーロッパの中世都市ですが、種々の慈善団体の存在を踏まえれば、救貧や介護を担う組織のクラスターとして捉え直すことができるでしょう。 慈善活動における「公式」と「非公式」「チャリティ」は、ラテン語訳聖書の中の caritas を語源とし、隣人愛を指す用語として、また、後には社会的弱者の救済を目的とする活動の総称として用いられるようになりました (McIntosh: 2012)。富の分配機能を有するいくつもの慈善団体が、世俗の社会組織や福祉制度に先行して設けられ、その後も存続する経緯に、西洋経済史の特徴が現れます。西ヨーロッパでは、中世に封建制が、そして、近世に入ると救貧法が成立しますが、チャリティーは、いずれの制度とも異なる独特の論理に基づいてヨーロッパ社会に早くから定着しました。そこには、生産・消費と並んで、富を活用する個人の選択肢を広げる意味がありました。 むろん寄付と遺贈に基づくチャリティーが、主に富裕層の魂の救済を目的としていたことは間違いないでしょう。ホスピタルやギルド、学寮などの慈善組織には、中世・近世を通じて領主層や都市支配層らの資金と関心が集まっていたことがわかっています (川名: 2024, 第6章)。 しかしながら、チャリティーを富裕層による自己満足と捉えるのは一面的でしょう。遺贈者の魂と貧困者の両方を救済する行為に対し、当時の人々が違和感を覚えることはなかったと考えられます (Maddern: 2015)。例えば、教区民の葬儀の後、故人の意思に沿って教会委員の管理の下で教会の出入口付近でなされる施しは、貧困者らが期待する当然の慣習でした (Gittings: 1984)。近代福祉国家は弱者を救済する制度に支えられています。同様にチャリティーも、当時の教区社会を支える主たる制度となっていたのです。 一方、中世の慈善組織は、プライベートな組織でありながらその運営に市議会を構成する都市のエリート層が深く関与したからこそ、その活動が公共性と結びつく理屈が社会に定着したと解釈することもできるでしょう。その意味で、チャリティーは、まさに「公私混在の経済社会」の一部と捉えることができるのです (川名: 2024, 第7章)。 例えば、ホスピタルと総称された施療院・救貧院は、市議会による監督の下で法人格を付与され、地域ではよく知られた救貧介護施設として運営されるようになりました (川名: 2024, 第7章)。このように、都市のエリート層が早くから救貧に関与する流れは、救貧法導入に先駆けて各自治都市が独自に救貧政策を推進するようになる経緯に繋がっていきます (Slack: 1988)。2025.06.26 参考文献
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