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はじめに |
はじめに遊休資本をいかに効果的に経済活動へと活用できるかは、金融システムの質に大きく左右されます。その意味で、17世紀初頭に株式会社として設立された東インド会社は、画期的な経営組織と言えます。なぜなら、ビジネスに必要な資金を不特定多数の投資家から集める民間金融のイノベーションに成功したからです。そのノウハウは、その後、公的使命を帯びた金融機関にも応用されるようになりました。1694年におけるイングランド銀行の設立です (Dickson: 1967)。 イングランド銀行の設立以来、国が不特定多数の投資家から資金を長期に借り入れることは当たり前になりました。しかも、国家に備わる徴税権と税収を支えにこの公的金融は、投機的な民間会社よりもリスクが小さい安定した投資先を提供することになりました。 また、金融サービスの付随物として発行された証券は、市場で活発に取引されるようになり、新たな資産形態を形成するようになりました。これにより、証券は一般の物品と同じように、必要に応じて現金化できる流動性の高い資産として位置づけられるようになったのです (Murphy: 2009)。 こうした経緯から、現代にも通用する金融システムの雛形が、今からおよそ350年前に誕生したことがわかります。戦時下に起こる財政革命の歴史を紐解けば、競争が激しいグローバル経済の下で国力を維持し続ける条件が、優れた税制はもとより、民富の蓄積に裏付けられた人民の担税力と投資力、そして、そうした力が安定して発揮される独特の政治体制によって整いつつあったことも明らかになります(名誉革命)。2024.03.14 公私混在の金融ビジネス植民地貿易の展開と資本市場の拡大。17世紀後期に実施された公的借入が特に注目されるのは、その結果、後にイギリス経済の成長要因となるこれら2つの歴史的フェーズの土台となる金融制度が構築されたからです。イングランド銀行の設立はその代表例ですが、その設立後、すぐに資金が集まった経緯から、その時すでにイギリス国内に潜在的な個人投資家が数多く存在していたことは間違いありません。出資者の多くは、ロンドン及びその周辺に在住する商人、金融業者、公務員、専門的職業人らであったことがわかっています (Dickson: 1967; Li: 2019)。当該時期における首都機能と中間層の人々の影響力を考えれば、こうした事情は不思議ではないでしょう。 貸し手となったのは個人だけではありません。とくに、1660年以降、ロンドン市や、東インド会社といった、法人も政府への重要な貸し手となりました。スペイン継承戦争の際の公的金融を支えた出資者には、イングランド銀行、東インド会社、南海会社が名を連ねていました (Dickson: 1967)。 目を引くのは、イングランド銀行設立前から、政府への貸し手として活躍していたゴールド・スミス・バンカーの存在です。預金サービスによるビジネスの成功と豊富な資金力を背景に、金融ビジネスにおける新たなアクターとしてその存在感を示していたからです (Braddick: 2000)。 参考文献
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