はじめに
産業革命後、どの国や地域においても持続的経済成長を達成するために、安定した政治体制の下で国家の建設が必須となりました。
急激な工業化をきっかけに各国の総生産量が増加すると、資源と市場の獲得が不可欠となり、当然、競争も激しくなるからです。それに合わせて中央政府の役割は、それまで以上に大きくなっていきます。
ところが、国家の建設はそう簡単なことではありません。というのは、政府と市民との関係をどのように規定すればよいか、19世紀の段階ではどの国も暗中模索の状態にあったからです。うまくいった事例もあれば、やがて壊滅的な結末を迎えるケースもありました。後から見れば、近代史は産業革命後の世界に適応すべく、人類が強いられた試行錯誤の連続であったと見ることもできるでしょう。
こうした事情から、他の国に先駆けて国家と市民との関係について広く論じられるようになった近世イギリスの思想的潮流が注目されるのです (Locke: 1689)。それだけではありません。実社会においても、政府と市民との関係が市議会において議論され、議事録が残され、住民間の合意形成に役立てられる地方行政の作法が根付いていたのです (川名: 2010)。自治都市の歴史から目が離せないのはそのためです。
2026.01.19
近世における国家形成
マクロ経済という概念が意味をなす前提に、国家という行政主体の成立があったことは言うまでもありません。その歴史を、国民国家の建設に拍車がかかる19〜20世紀に見出す見方もありますが、イギリス経済史上、国家形成の原点は、1530年代の「行政革命」にまで遡ることができます。
爾来、宗教改革によりローマ・カトリック教会の勢力が弱まる中、政治権力が政府(王権)に集中するようになる一方で、国全体の繁栄が権力行使の目的になる政治システムが整えられていきます。それは、政治権力が一部の権力者(王権)の私的目的のために行使されていた中世的政治体制からの転換を意味しました。法制度の面では、教会法や地域毎に異なる慣習に対する議会制定法の優位が認められるようになります。かくして、近世の前半期(16〜17世紀)に封建制から国制への制度変革が勢いよく進むことになるのです (Elton: 1953)。
もちろん、こうした初期の国家形成において非人格的姿勢で職務にあたる役人本位の官僚制的支配が貫徹したわけではありません。イギリスでは、「行政革命」の結果、確かに枢密院が設けられ国王裁判所の機能も高まり、国家の実務を担う役人数も増加しました。しかし、地方で実際に統治を担ったのは、政府から直接、あるいは、間接的に権限を与えられた地元のエリート層と一般の人々でした (川名: 2024, 第4章)。
例えば、各地の自治都市に法人格を付与し、行政と司法の権限を与える政策はその典型例と言えるでしょう。また、有名な救貧法の施行も各教区のイニシアチブに任される面が大きく、監督にあたる治安判事は市長が兼任し、一般の教区民自ら治安官や貧民監督官の仕事をこなしました。このように、中央からの政策をそのまま導入するというよりも、地元の現状に合わせた統治を実現したところに、近世イギリスにおける国家形成の特徴があったのです (川名: 2007)。
こうして、主権国家の成立を実現する制度変革によって、政府(王権)による権力の乱用が起こりにくい国家の基本構造ができあがりました。その後、イギリスはヨーロッパで最も競争力のある財政軍事国家となり、やがて産業革命期を迎えることになるのです。
2024.09.26
【参照】税制 絶対王政 【比較】幕藩体制
行政革命
The Tudor Revolution in Government
民主主義と権威主義。どちらの政治体制が経済的に優れているかを問う最近の思想的潮流は、決して特別なものではありません。同様の問いは、冷戦時代にも存在しました。また、国家建設の歴史を踏まえれば、時をさらに遡ることもできるでしょう。実際に西欧において経済成長と国家運営との関係は、近世には重要視され始めたと考えられます。
領域国家の運営は、いかなる政治体制であれ、中央集権的かつ官僚的になるという点で共通しています。イギリスでは「行政革命」が起こったとされる1530年代以降に、以下の二つの意味において、そうした傾向が強まったと言えます。第一に、カトリック教会の勢力が後退し、王権中心の統治が進んだこと。第二に、司法および行政における中央集権化が進んだことです。
しかし、その動きが革命的とされる理由は、その後も個人や地域の事情がないがしろにされるような政治体制にはならなかったからです。つまり、「行政革命」に続く近世前半期(16-17世紀)は、後に民主化につながる社会的事情について検証できる歴史的文脈を生み出したという意味で、特別な時代であったと考えられるのです (Elton: 1953; 川名: 2007)。
近世ヨーロッパにおける政治変革の歴史では、イギリスの名誉革命やフランス革命が有名ですが、実はそれよりも100年以上も前から、ローカルな便益と、国家のそれとの間で折り合いをどうつけるかが問われ始め、種々の制度を設ける際にも重要な論点となっていたのです (Hindle: 2000)。その根拠は、単なる思想的な潮流に留まりません。実際の経済活動においても、官僚的、中央集権的な潮流とは異なる、私的で非公式な社会原理が都市に定着していたこともわかってきました(都市の「非公式な領域」) (川名: 2024) 。
いかに国家が重要になろうとも、個人や地域の力は衰えることのない、このような近世イギリス特有の社会原理は注目に値します(公私混在の経済社会)。なぜなら、それはやがて経済思想へも影響を及ぼし、近代において先進国経済を支える制度づくりの大前提となり、世に広まることになるからです。
2025.02.15
諸国家併存体制
The European State System
ところで、西洋経済史において領域国家の形成は重要なテーマです。なぜなら、ローマ帝国崩壊後に西欧において形作られる政体の中で、近現代に最も重要な効果を発揮するのが領域国家だからです。
西欧には、歴史上、様々な規模の政体が発生しました。マナー、都市法人(自治都市)、都市国家、都市同盟や神聖ローマ帝国などが知られています。一方、ローマ帝国が滅びた後、ヨーロッパ全域を支配するような大帝国が長期にわたり成立することはありませんでした。
中でも、最も効果的統治を実現したのが「国家」という行政単位でした。西欧は、いくつもの比較的小さな領域国家によって構成され、その特徴は19世紀以降の工業化の時代においても維持されました。E.Jonesは、『ヨーロッパの奇跡』という著書において、このような地政学的特徴を諸国家併存体制として積極的に捉えました (Jones: 2003)。
諸国家併存体制の経済的優位性は、二つの点から説明することができます。一つ目は、国家間の競争を促す効果です。それは、産業革命を起こした最初の工業国が、商業的権益をめぐる国際的競争を経て誕生したことからも説明できます。二つ目は、技術移転の効果です。一国において政治的・宗教的迫害を受けた人々が、その国の知識と技術を携えて隣国へ移住することができたからです。Jones によれば、移民の受入は、経済停滞に対する保険の作用を国家にもたらしたというのです。
西欧における諸国家併存体制のもう一つの特徴は、各国が競合する一方で、共通の文化が存在したことです。例えば、キリスト教会はもとより、他にも時間や暦、金融・取引のルール、封建制や言語(ラテン語)などがありました。こうした事情から、ある国で発生する運動が、瞬く間にヨーロッパ全土に広がる現象も納得できます。ルネサンスや宗教改革、科学革命やフランス革命などが想起されます。イギリス産業革命の後、西欧各国の経済が圧倒的速さで伸びたのも、こうした前例を踏まえれば決して不自然とは言えないでしょう。2025.05.21
【比較】アジア経済史
【関連時事】EU連合 移民政策 西欧文化
参考文献
Braddick, M. J. (2000), State formation in early modern England c.1550-1700. Cambridge.
Elton, G. R. (1953), The Tudor Revolution in government: adminstrative changes in the reign of Henry VIII. Cambridge.
Greif, A, and Rubin, J. (2024), 'Endogenous Political Legitimacy: The Tudor Roots of England’s Constitutional Governance', Journal of Economic History, vol.84, pp.655-689.
Jones, E. L. (2003), The European miracle, environments, economies and geopolitics in the history of Europe and Asia. 3rd ed. Cambridge.〔訳書〕
川名 洋 (2007年)「『長い17世紀』のイングランドにおける国家形成―公権力と市民性をめぐる研究動向―」, 『社会経済史学』, 第73巻第2号.
Hindle, S. (2000), The State and Social Change in Early Modern England, c.1550-1640. London.
Locke, J. (1689), Two treatises of government. 〔訳書〕.