国際卓越研究大学認定校
東北大学 大学院経済学研究科・経済学部 川名 洋教授(西欧経済史)

Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)


教会
Church


 
 

はじめに

 人類史において初めて飛躍的経済成長を遂げた先進諸国は、ユーラシア大陸北西部に位置していました。ところが、そうした国々の文化的起源はといえば、古代オリエント、ギリシャ、ローマ文明に辿ることができます。中でもキリスト教会は、そのことを示す最も重要な制度の一つです(Berman:1983)

 教会は、イエスの復活を祝うイースターから50日目に起こる聖霊降臨(ペンテコステ)から始まったとされています。そのイエスに仕えた十二弟子の後継者らがキリストの奇跡と教えを異教徒へ伝道する中で結ばれる精神的な絆に教会の本質があるようですが、経済史の視点から教会史へ接近する場合には、教会の組織運営や地理的分布などの側面も重要です。教会は、やがて「西欧」と呼ばれるようになる特別な経済圏の制度史に決定的影響を及ぼすことになるからです。

 周知の如く、教会は当初、多様な信仰のあり方が模索され不統一でしたが、西欧では、ローマ帝国時代に教会の制度的礎が築かれました。その立役者らの名前は、現在でも広く知られています。人物で言えば、初期の宣教師の聖パウロと聖ペテロや、教皇ではグレゴリー1世、ウルバヌス2世、そしてグレゴリウス7世らが有名です。また、世俗の権力者では、コンスタンティヌス帝を挙げることができるでしょう。さらに、歴史的出来事の面では、ニケーヤ公会議や十字軍などが想起されるでしょう。

 古代オリエント発祥のキリスト教会が西方のローマ帝国に広まった経緯は、西欧が独自の経済圏を形成する上で見逃せない歴史的前提と言えます。なぜなら、欧米特有の制度と組織づくりのあり方を規定する初期の歴史的事情をそこに見出すことができるからです。2025.06.08

教会の社会的影響

 むろん教会は、東方へも広がり、独自の発展を遂げたことは周知の事実です。しかしながら、西欧の教会は、やがて経済的に最も豊かになる同地域の経済発展の質を規定したという意味において、特筆すべき特徴があったと言えるでしょう。

 教会史を紐解くと、教皇改革や宗教改革など時代の変化に適応する教会内部の変革が目につきます。教会内の改革は、世俗社会の制度と価値観を変えていく力となって現れます。例えば、16世紀におけるイギリス国教会の設立は、17世紀のイギリス革命を経て、その後のイギリスにおける国家形成に大きな影響を及ぼしました。

 教会と世俗社会との関係によって動く西欧史の特徴は見逃せません。実は、ここに教会史と経済史の関係に着目する意味があるからです。

 経済史を理解する上で教会史が重要と言えるわけをもう少し掘り下げてみましょう。西欧のキリスト教会による影響について考察する際、改宗した異教徒の数や入信者数は必ずしも参考になりません。教会内の規範がいつの間にか世俗の思想へと溶け込んでいくところに、キリスト教会独特の影響力を見出すことができるからです。経済との関連で言えば、個人と社会、多様性と役割の両立と、それらを貫く平等という理念を重視する独特の価値観は、今や文化圏を越えて経済社会に根付いています。

 キリスト教会の教義は、民主主義や人権思想、社会契約の理念に帰結し、宗教改革やフランス革命、アメリカ独立戦争、ロシア革命など、いくつもの政治変革に共通する思想基盤となって、世俗の世界に再現され続けているという見方があります。弱い者が強くなり、強い者が弱くなるというキリスト教会特有の社会原理は、西欧社会に深く浸透し、無神論者さえも無意識のうちに影響を受ける社会規範として作用し続けているというのです(Cupitt:2008; Holland:2019)

 このような見方が興味深いのは、古典派経済学やマルクス経済学などの経済思想にも教会の影響が及んでいた可能性を無視できなくなるからです。経済学が普遍性を指向し人間中心の理論である点も、ペンテコステに始まる教会特有の教義に由来するという考えも成り立ちます。その指向性は、国際性を唯一の評価基準とする学会の動きにも現れているようです。2025.06.16

教会史料の影響

 もちろん、こうした思想史の実証は簡単ではありません。しかし、世俗化によって強まるヒューマニズムの影響を乗り越える新視点は注目に値します。より確実なのは、経済史を通して当時の人々の日常が、教会の影響下に置かれていた事実を再現することになる点です。経済史の史料の中には教会関連文書が少なくないからです。

  例えば、イギリスには、教区簿冊(parish registers)と呼ばれる史料があります。教会における洗礼や婚姻の秘蹟と埋葬の記録です。歴史人口学を切り開いたケンブリッジ・グループの人口史研究は、全国の古文書館に残された教区簿冊から有効な史料を抽出し進められました(Wrigley and Schofield:1981)。また、都市の教区では、聖職禄の財源となる復活祭献金の記録がつけられていました。イースター・ブックと呼ばれるその史料群は、人口動態の分析に有用であることがわかってきました(川名:2024, 第1章)

 教会の監督の下で作成される遺言書は、職業、富、親族・社会関係の記録になりますし、遺産目録に記録された奢侈品の種類から、消費パターンの変化を読み取ることができます(Weatherill:1988)。また、教会裁判の記録を分析することによって、家族の中の人間関係や隣人との社会関係の様子もわかるようになります(Meldrum: 2000)

 救貧が元来教区教会の責務であったことを考えれば、救貧法が教会区(教区)の枠組みを利用して導入されたのは自然な成り行きと納得できるでしょう。 宗教改革後、教会のあり方は新旧の立場に分かれ多様化しますが、イギリス国教会の教区では、教会委員会会計簿(the churchwardens' account)や貧民監督官会計簿(the overseers' account)など種々の文書が作成されました。これらの史料から、近世において教区の社会的機能が高まる様子を捉えることができるのです(川名:2010, 第3章)
2025.07.11

参考文献

  • Berman, H.J.(1983), Law and revolution: the formation of the Western legal tradition.〔訳書
  • Cupitt, D.(2008), The meaning of the West : an apologia for secular Christianity. London.
  • Holland, T.(2019), Dominion : the making of the Western mind. London.
  • 川名 洋 (2010)『イギリス近世都市の「公式」と「非公式」』創文社/講談社.
  • 川名 洋 (2024)『公私混在の経済社会』 日本経済評論社.
  • Meldrum, T.(2000), Domestic Service and Gender 1660-1750: Life and Work in the London Household. Harlow.
  • Weatherill, L.(1988), Consumer Behaviour and Material Culture. London.
  • Wrigley, E.A., and Schofield, R.S.(1981), The Population History of England, 1541-1871: A Reconstruction. Cambridge.

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