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はじめに |
はじめにヨーロッパの農業史を個人主義の起源から説き起こす講義は、珍しいかもしれません。しかし、近世における「高度有機経済」の成立を重く見るならば、共同体的農業を所与の条件とみなす従来の歴史観は説得力を持ちえません (Wrigley: 2016)。さらに産業革命に先立って「農業革命」が起こったことを想定すれば、新農法に挑んだ個々の農民の主体性に着目しないわけにはいかないでしょう (Kerridge: 1967)。 イギリスの農民が個人主義的であったとする A.Macfarlane の主張が注目を集めた理由がここにあります (Macfarlane: 1978)。中世から近世にかけてイギリスでは、自由自足的な零細農家と家父長制的な拡大家族は少数派であったというのです【参考 家族史】。財産継承が遺言によって行われたため、家系の存続は世帯主や寡婦の裁量に委ねられていました。また、農民らは生涯にわたって同一の農村共同体に帰属していたわけではありません。移住はライフサイクルにおける欠かせない選択肢の一つだったからです。 イギリスの封建制が、土地取引や市場向け農業といった市場経済の特徴を内包していたことは、広く知られるようになりました。また、農民層内部において早くから階層分化が進行していたことも明らかになっています 【参考 社会的流動性】。農業が個人主義的であったと考えられるのは、こうした歴史的事情と全く矛盾しないからです。
農業革命の歴史的前提かつて、農業革命は、産業革命と同じ時期、すなわち、18世紀後半〜19世紀前半にかけて起こったとされていました。しかし、従来の見解に反し、農業生産性の向上は、それ以前の段階から着実に進んでいたことが実証されています。中世から近世にかけて各地で見られた、エンクロージャーの影響は広く知られるところですが、16世紀半ば以降の農法の改良や新たな商品作物の導入も、生産力向上の要因であったと主張されています (Kerridge: 1967)。 農業の改良が促された近世前期の歴史的諸条件も重要な論点です。長期の人口増加に加え、とくに、技術移転の効果は見逃せません。宗教的迫害のために低地諸邦から逃れてきた移民により、イギリスに排水の技術や先進的な農法が伝えられたことは広く知られています。 かくして、産業革命の前提となる農業生産性の向上は、長期の農業史として考察されるべき現象と言えるのです。 参考文献
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