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はじめに職業選択の自由には、経済的な意味があることは言うまでもありません。労働生産性は、強制されるよりも自ら選んで働く者の方が高まる傾向にあるからです。社会的流動性は、職業選択の自由度をはかる目安になります。また、ある国の社会的流動性の高さがわかれば、その国の経済が慣習の力ではなく、個人による選択力によって成長することを想定しやすくなるでしょう。 都市化が進めば社会的分業のペースも早まります。西欧近世は、都市化と社会的流動性の間の相関関係が著しく高まる時代でした。どの文化圏の都市経済も、社会的分業や職業の階層化を促すいわば触媒の働きがあった点は共通しています。しかし、西欧が特別なのは、厳しい身分制や移住を禁じる制度によって都市の経済効果が妨げられることが少なかった点です。農村に生まれた子供たちが、将来、農業以外の職業につくことは珍しくなく、地主層の次三男が都市の専門職やビジネスに携わる機会も増加していました。また、数多くの婚姻が、都市と農村の男女間で成立していたこともわかっています。
国家、都市、商業の影響近世ヨーロッパにおける社会的流動性を考察する際には、すでに明らかになっている点と、未だに解明されていない点とを整理する必要があります。社会的流動性の主な促進要因は、国家形成、都市化、そして商業化であったことがわかっています。また、最も流動性が高かったと考えられる社会層は、中間層であったことも議論の余地は小さいでしょう (Stone: 1966; Brooks: 1994; Barry: 1994; O’Day: 2000)。 一方、社会的流動性が、地主層や低所得者層の人々にどの程度の影響を及ぼしたかについては、未だ不明瞭なままです。とくに、低所得者層の生活実態を再現するのは、史料が少ないため極めて難しい作業です。近年の研究によって、近世都市の制度が流動性の高い社会を前提に動いていた可能性が見えてきました。例えば、徒弟制度は、そのことを解明する糸口になりそうです。 それにしても、賃金労働者からジェントリに至るまで、幅広い社会層の間で社会的上昇と下降の可能性が常にリアルに存在していたイギリス近世社会は注目に値します。なぜなら、江戸時代の例からわかるように、そのような社会は決して普遍的ではなかったことがわかるからです。 参考文献
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