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はじめに 市場経済の思想的展開 ** |
はじめに市場とは、不特定多数の売り手と買い手が取引する場所であり、そのための制度でもあります。商業の発達を示す用語ですが、歴史的文脈に応じて、その場所(市場)に着目する場合と、制度について説明される場合があります。いずれの場合にも、歴史上、当局の監視下において取引のルールと慣習を維持する機能が重視されます 【参考 公開市場】。 ところが、近代経済において市場といえば、その経済効果に注目が集まります。すなわち、売り手と買い手による自由な選択に応じて働く価格メカニズムです。そこでは、ルールや慣習、当局による監視など、個人による選択に作用しかねない影響力は副次的要件となりました。こうして、市場には特別な意味が付加されました。当然、市場経済という用語にもその意味が強く反映されるようになったのです。 経済学と経済史学の知的基盤市場に対するこのような見方は、歴史上、普遍的とは言えません。にもかかわらず、その影響力は絶大です。市場の働きへの注目は、やがて市場経済を促進する思想を生み、かかる思想は学問へと発展しました。ここに経済学の理論的支柱となる市場原理が確立されるのです (Smith: 1776; Marshall: 1890)。 市場に対するこうした見方が重要なのは、様々な経済的営みの中で特に「売買」がもたらす経済効果に注目が集まるようになるからです。そこでは、消費者一人ひとりが自由な選択を行う主たるアクターに位置づけられます。実はこのように消費者の存在が重視されるからこそ、その行動を考察する経済学の評価が高まったという見方もできます。かかる経済学の方法は、自由で民主的な政治思想と整合的だからです 【参考 消費革命】。 一方、市場をこのように捉えるようになった経済社会は、どこでどのようにして発達したのかを問う経済史学の課題も見えてきます。不特定多数の売り手と買い手が取引する場所とそのための制度の発生は、歴史上、決して珍しい現象ではありません。ゆえに市場経済は、文字通りの意味で言えば、いかなる時代にも、どの地域においても想定できます。しかし、市場に特別な経済効果が見出され、その理屈が経済成長の説明要因となる歴史は、特定の地域に限られます。ことに西洋経済史が注目されるのは、欧米ではその効果を信頼する価値観がどこよりも勢いよく広まったことがわかっているからです (Hundert, 1995)。2025.12.05 市場経済の思想的淵源西洋経済史の文脈に沿って誕生した市場には、他の地域の市場にはない特徴がありました。それは、売り手と買い手の私的な裁量を最大限尊重する制度となった点です。当事者個人の自由な選択に任せることによって、市場において価格メカニズムが働くと信じられるようになったのです。むろんその正否と是非は現在でも論争の的となっていますが、本来、合意形成を必要とする「制度」に、個人の都合を最優先する論理がそのまま適用されるようになる経緯は注目に値します【参考 『公私混在の経済社会ー近世イギリス都市における個人と都市法人』】。 その思想的淵源を、自由主義 (Liberalism) に見出すことができるでしょう。そこで強調されたのは、物事の道理を決める主体はあくまで個人であり、政府と慣習の力は、個人の裁量権を侵さない範囲内で認められるという原理原則です (Locke: 1689; Smith: 1776)。 ここで受講者は、そもそも自由主義がヨーロッパ特有の思想であることを改めて認識することが重要になります (Freeden: 2015)。なかでも近世に提唱された自然権や社会契約といった概念は広く知られています。その結果、ヨーロッパでは、私的・公的いずれの領域においても、個人の自由が尊重されるという、歴史上、類を見ない社会(近代社会)が成立することとなったのです (Welzel: 2013)。 自由主義についてよく知る必要があるのは、西洋の市場において、売り手と買い手の自由な裁量が重視されるようになった理由を、近世起源の思想の面から納得できるようになるからです。 参考文献
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