はじめに いかに公権力が強まろうとも決して衰えない個人の力。そこから生み出される近世イギリス都市のインフォーマルな影響力。実は、これこそイギリス自治都市に秘められた社会原理の源泉であることがわかってきました (川名: 2024)。
個人の都合を優先する多くの人々により都市の経済的価値が高められていたならば、都市を統治の視点ではなくむしろ、個人の選択力が発揮される場として積極的に考察することもできるでしょう。都市の「非公式な領域」が注目されるのはそのためです。ここで「領域」という語を用いるのは、いかに法制度の影響が強まろうとも、近世イギリス都市では、市内の生活圏が為政者の論理によって占有されることがなかった事実を強調するためです (川名: 2010; 川名: 2024)。
都市の「公式な領域」封建制のもとでも、都市に住む商工業者らは、住民本位の組織づくりを公認されていました。市内で営業権を有する男性市民(フリーメン)らは、市長職と市議会を軸に自治体を形成し、経済と社会秩序の維持を自ら担うようになりました。やがて多くの自治都市は近世前半までに法人格を付与され都市法人となったのです。 一方、都市の経済面では二つの見方が示されています。ギルド(カンパニー)による規制の厳しさゆえの経済効率の悪さを強調する視点と、反対に当局の監視があるからこそ取引費用が削減され市場が活性化されるという観点です。いずれの見方にも共通するのは、都市には行政と司法機能が集中し、規制や監視を目的に諸制度が蓄積されていたという考察です【参考 制度史】。これらはどれも都市を「公式な領域」として捉える方法とみることができるでしょう(川名: 2010)。 このように、公式に認められたビジネス・コミュニティーを母体に住民自治が実践されていたところに、イギリス都市の真骨頂が現れます。自治都市を治める都市自治体が、今では会社を意味するコーポレーション(都市法人)と呼ばれていたのも偶然ではありません。 比較経済史の視点から見ると、イギリスの都市はこの点において、日本の都市(城下町)とは大きく異なっていたことがわかります。市内が、公権力に認められた「公式な領域」であった点は同じでも、日本の都市は藩主により建設されただけでなく、19世紀半ばまで市内に居住する武士層による支配が続いていたからです。 都市の「非公式な領域」ところで、都市の働きを制度面から再現するには限界があることもわかってきました (川名: 2024, 序章)。都市には、社会的義務を負う男性市民(フリーメン)の他に、その資格を持たない老若男女が暮らしていました。とくに、都市が労働市場及び消費市場の要であり、個人の都合でそこへやってくるよそ者を数多く受け入れる開かれた社会であった点は重要です。よそ者の中には短期滞在者もいれば、やがて定住する者もいました。このような人々らは、定住者とはいえ市内で社会的義務を負う男性市民(フリーメン)ではなかったという意味で、非フリーメンと呼ぶことができるでしょう。 大多数が都市を訪れては去り、住民も常時入れ替わる現象は、個人の都合と選択がもととなって現れます。この現象は、定住者の合意形成がもととなる制度中心の原理とは本質的に両立しない、都市の重要な特質と言えます。そのように言えるのは、経済の豊かさが人口動態に支えられていたという点において、かかる現象は、農村に比して都市において圧倒的に際立っていたからです。 (川名: 2024, 第1章, 第3章)。このような見方は、定住に拘らない農村民が伝統的に多いイギリスのような社会を考察する際にはとくに重要になるでしょう。 【課題例】 参考文献
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