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近世ヨーロッパにおいて、自治都市と農村共同体の社会条件は全く異なっていました。都市では、市民権を有する者とそうでない者の共生が成り立っていたからです。ゆえに、都市社会は他者感覚を養うのに適した地でもあったと言えます。興味深いことに、立場の違うこれら二種類の住民同士は、経済的に相互依存の関係にあったこともわかってきました (川名: 2024, 第5章)。前者がフリーメンと称されたことから、後者は非フリーメンと呼ぶのが適当でしょう。 特権としての自由フリーメンの資格は都市民に与えられた特権でしたが、自由度はまだ限られていたのも事実です。例えば、王領地の市民は、封建領主から独立することができても、王権から解放されたわけではありません。また、父親がフリーメンであれば、息子はその資格を引き継ぐことができましたが、だからといって家父長制から逃れられたとは言えません。さらに、地元では通用する営業権や免税の特権も、他の都市で通用するとは限りませんでした (Britnell: 1993)。 権利には義務が伴いました。フリーメンは、無償で治安官など不人気な役に就く責任を負い、当然、市内に定住することを強いられたのです。 フリーメンの資格を取得する方法からあることに気がつきます。そこでは個人による選択が重んじられていたということです。フリーメンの資格を得るには、徒弟制度に沿って親方になることが条件でした。地元の若者の多くは、父親の職業を継ぎましたが、外からやってくる者は、自ら職を選択する必要があったのです。もちろん徒弟となる費用を支払う親の意見は無視できなかったと考えられますが、数ある職種の中から個々に仕事を選ぶことができたことには変わりありませんでした。どの若者も、フリーメンの資格を得るには、当人による宣誓を必要としたことから、やはり制度上、個人の選択に基づいていたと言えるでしょう (川名: 2010)。 かつて M. Weber は西洋都市の特徴として、都市民が自由を大切にしたことに加え、都市が移住者に開かれていたことを強調しました 【参考 移住】。その自由とは、フリーメンに課される義務と制約を受け入れることによりはじめて得られるものでした。つまり、都市当局は自由を認めていたものの、それを受けるかどうかはあくまで個人による選択の問題であったと考えられるのです (Weber: 1958; 川名: 2024)。 この点は特筆に値します。なぜなら、このような都市史の上に経済が発展したからこそ、西洋では健全な自由主義に支えられた経済社会が自然と築かれ、維持されるようになったと考えられるからです。
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