国際卓越研究大学 UREX 1
東北大学 大学院経済学研究科 川名 洋教授(西欧経済史)

Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)


経済史のキーワード

宗教改革
The Reformation

 
    

はじめに

西洋経済史の宗教的背景

市場経済の宗教的淵源

植民地主義の宗教的淵源

プロテスタンティズムと経済成長

§参考文献§

はじめに

 西洋経済史において近世という時代に注目が集まるのは、後に近代経済の特質を規定することになる重要な出来事が、16〜18世紀の約300年の間にヨーロッパに起こったからです。なかでも統治の形を変える国家形成、価格メカニズムの効果を発揮する市場経済、生産構造を大きく変える産業革命は、そのことを示す重要なキーワードです。これら制度的、思想的、構造的変革は、近代経済が西洋に起こったことを表す歴史的刻印となり、現代に残されています。その意味で、近世は、近代経済の前提となる社会変動の時代であったと言えるでしょう。

 16世紀前期に起こった宗教改革は、中世から近代に至るこうした変革期の出発点となった画期的な出来事の一つでした。
2026.02.25

西洋経済史の宗教的背景

近世ヨーロッパは、キリスト教会の強い影響力のもとに構築された宗教社会でした。その意味で宗教改革の影響を無視するわけにはいきません。

 宗教改革は、経済学者の言う「宗教的市場」が社会に誕生するきっかけとなりました (Iannaccone: 1997)。つまり、主に北西ヨーロッパにおいて、ローマ・カトリック教会の権威が後退した後、宗教的価値観を個人が選ぶようになる前例のない社会がヨーロッパに成立したのです。その結果、しばらくの間、教会内外において激しい対立と抗争が続いたことは広く知られています。

 しかし、経済史の視点において注目すべきは、その後のヨーロッパ社会において異なる宗教思想に対する「寛容の精神」が問われるようになった点です。その経緯は、選択の自由が尊重される西洋特有の経済思想の発達と並行して進むことになったからです。
2026.02.25

市場経済の宗教的淵源

 宗教改革後の混乱期を経て、個人による選択を尊ぶ経済思想が強まるのは、決して偶然ではないでしょう。宗教的寛容の精神は、信仰のあり方を個人が選択することになるスピリチュアル・エコノミーの産物です。その傾向は、中世に始まる遺贈の慣習に見出されるものの (川名: 2024, 第6章)、宗教改革によって、選択の幅が大きく広がったことは想像に難くありません。その影響は、教会内に留まらず、世俗社会の倫理観にも作用を及ぼしました (Weber: 1930)。それゆえに、宗教改革は、貧困と消費に対する人々の価値観の幅を広げ、やがてモラル・エコノミーに代わる市場経済発生の遠因となったという解釈も成り立ちます 【参考 救貧法 消費革命

 宗教改革は、中間層の人々の活躍や個人主義の台頭、資本主義経済の発達を促したと考えられています。また、宗教改革が科学革命の要因となった経緯は広く知られています。その科学革命を産業革命の遠因と捉えることもできるでしょう。J.モキアが提唱したように、近世後期は、産業的啓蒙主義の時代でもあったからです (Mokyr: 2002)

 このように、宗教改革は、大局的に俯瞰すれば、その後のヨーロッパ経済が「改革と改良」を基調とする持続的な成長トレンドを生み出すための、歴史的な号令となったと捉えることができるでしょう。宗教改革において実践された既存の権威に抗う姿勢は、イノベーションと新規性を尊ぶカルチャーと共鳴し、近代経済の精神的基盤へと受け継がれていったと考えられるのです。
2026.02.26

植民地主義の宗教的淵源

 宗教改革の影響は、植民地主義のあり方を大きく変えました。新天地を求め北米へ移住したイギリス人らは、中南米へ進出したスペイン・ポルトガルの入植者とは、移住の動機もさることながら、社会組織のあり方も著しく異なっていました。移民の年齢構成において最も目立っていたのは、15〜24歳でした。17〜18世紀においてイギリスから北米へ渡った移民の構成にプロテスタンティズムが及ぼした影響を数量的に明らかにすることは難しいものの、その多くが自立心の強い若者であった事情は注目に値します (Thomas: 2009)。後にアメリカ合衆国が誕生し、それが世界情勢に多大な影響を及ぼすに至った経緯は、宗教改革がもたらした「意図せざる結果」の最たる事例に位置づけることができるでしょう。
2026.02.28

プロテスタンティズムと経済成長

 宗教改革と経済成長の関係で言えば、プロテスタント教徒の勤勉さと資本主義経済の発達に相関関係を見出した M.ウェーバーのテーゼが有名です。オランダ、イギリス、アメリカ合衆国のように、歴史上、経済的成功が顕著な国と地域では、プロテスタント教徒の割合が高かったことから、ウェーバーの主張は現在でも関心を集めています (Weber: 1930; Rubin: 2017)

 むろん、特定の宗教と経済パフォーマンスの関係性を「説明する」のは簡単ではありません。しかしながら、ある社会規範や倫理観が、労働生産性や教育水準の向上を促進したという結果自体に不自然さはありません。信仰は社会規範や倫理観の実践と不可分であることを踏まえると、そこに宗教的影響を見出す視点もまた、不自然とは言えないでしょう。そこから少し背伸びをすれば、近年、経済成長の主要因として注目されつつある、西欧に特有な制度の「安定性」の要因を探るヒントになるかもしれません (Broadberry and Wallis: 2025)

 近年、技術革新の側面から「ウェーバー・テーゼ」を捉え直す新たな視点が、当時の活版印刷の普及を例に提唱されています。 プロテスタンティズム特有の倫理観がマクロ経済に好影響を与えたとするならば、情報伝達の高速化の影響は無視できないというのです (Rubin: 2017)。こうした見方には、今世紀に飛躍的に進展することが期待されるIT技術への注目度が反映されているものと考えられます。
2026.03.01

参考文献

      Broadberry, S., and Wallis, J. J. (2025), 'Growing, Shrinking, and Long-Run Economic Performance: Historical Perspectives on Economic Development', Journal of Economic History, pp. 505-39.
      川名 洋 (2010) 『イギリス近世都市の「公式」と「非公式」』創文社/講談社.
      川名 洋 (2024)『公私混在の経済社会ー近世イギリスにおける個人と都市法人ー』 日本経済評論社.
      Iannaccone, L.R., Finke, R., and Stark, R. (1997), 'Deregulating religion: the economics of church and state', Economic Inquiry, vol.35, pp.350-364.
      Mokyr, J. (2002),The gifts of Athena : historical origins of the knowledge economy. Princeton, N.J.〔訳書
      Rubin, J., Rulers, religion, and Riches. New York.
      Thomas, K. (2009), The ends of life: roads to fulfilment in early mode