国際卓越研究大学 UREX 1
東北大学 大学院経済学研究科 川名 洋教授(西欧経済史)

Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)


経済史のキーワード

公開市場
The Open Market

 

はじめに

近世前半期のイングランドには、約760の市場町が存在しました。これら小都市の市場いちばは、週に1〜3回、定められた曜日に開催され、半径約7マイル圏内の住民にとって便利な農産物取引の場を提供していました。また、その多くは、特定の農産物の取引に特化した専門市場としても機能していました (Everitt: 1967)。各市場いちばは、地域内の他の市場いちばと開催日が重ならないように配置されたので、消費者並びに業者らは、一週間のうちに複数の市場いちばを利用することができたのです (川名: 2010)。これらの市場いちばは、開催形式に因んでオープン・マーケット(公開市場)と呼ばれていました。

 マーケットと言えば、今では証券市場を思い浮かべることになるでしょう。しかし、経済史では、安価な食料品が取引される市場いちばを指す用語になります。それは、西欧経済の歴史的連続性を示す代表的な制度でもありました。街の真ん中で市場いちばが開かれる西欧都市は、現在でも少なくありません。公開市場は、教会と並び、開かれた西欧都市の象徴的存在であったと見ることもできるでしょう。



公開市場の機能

 イギリスの中世都市では、主食のパンや水の代わりに消費されるエールに法定価格が設定されました。価格の高騰を招かないよう麦の収穫量に応じて価格を調整するためです。経済的弱者に配慮するこのような方針は、 公開市場の運用に共通していました。生存に必要な農産物やその加工品が、貧困層に行き渡るように流通のあり方を監視する機能は、その一つです。当然、公開市場では、商品の買い占めや転売は禁じられていました。こうした経済的弱者への配慮から、公開市場の運営に教会の強い影響が働いていたことがわります(Kirkland: 2024)。また、規模の大きな自治都市公開市場では、生鮮食品や皮革製品の品質検査が行われ、商品価値の維持が図られていました。

 イギリスでは1600年以降、食料不足による死亡クライシスは発生しなくなったとされています【参考 死亡率公開市場が注目されるのは、食料供給の安定に少なからず効果を発揮していたと考えられるからです。
【参照】市場経済



公開市場の増加

 中世ヨーロッパの交換経済は、歳市 (fairs) と週市 (weekly markets) という二種類の市場いちばによって活性化されていました。教会暦に沿って年に数回規則的に開催された歳市は主に卸売市場として機能し、そこでは遠方から訪れる商人らが中心となり、家畜やチーズなどを専門に扱う売場が設けられました。過去の取引で成約した大型の決済が行われるのも歳市の特徴でした。一方、週市は、毎週一定の曜日と時間に開かれ、そこでは主に地元で生産される食料や手工業原材料が売買されていました (川名: 2012, 抜粋)

 イギリスにおける週市開催認可数は、13世紀の第3四半期をピークに1200〜1349年の間に数千に達していたと推定されています。このような週市数の増加傾向は、まず人口増加とそれに伴う農産物・手工業製品需要の全国的な拡大によって説明されるでしょう。しかし、この増加は、増える取引量を反映した単なる数量の問題ではない点に気づくことも大切です (川名: 2012, 抜粋)

 肝心なのは、市場いちばを監督し法的位置づけを明確にする制度の有用性が認識され、取引という本来個人的な営みが形式の上で公権力の影響下に置かれるようになる経緯です。つまり、週市の増加の歴史的意義は、商業が発展し取引の制度基盤が全国的に整う方向づけがなされるということにあったのです。それは、都市民や農村民、領主個人ではなく、王権という広域権力に認知される市場いちばが増えることによって達成されたのです (川名: 2012, 抜粋)



公開市場の「公式」と「非公式」

 歴史上発達する公開市場の起源を辿ると、取引は、元来、個人の都合による自発的な経済行為であったことを改めて想起することができます。市場いちばはそもそも公権力とは無縁でした。例えば、イギリスでは、9〜10世紀頃、商人や手工業者、農民らが城や 修道院付近に集まり、また日曜日には教会の庭に集まり取引が頻繁に行われるようになったことが知られています。しかし、12世紀に至るまで、market という言葉が制度や権利を意味する法律用語として使われることは少なかったというのです (川名: 2012, 抜粋)

市場いちばにおける取引の行方を左右したのは、地元の慣習や個人の裁量であったと言えるでしょう。 というのは、そこでは、取引に対する個々人の意欲、排除の思想が弱い開放性、さらには、当事者間の信用が重視されたからです。また、12〜13世紀頃の建設都市では、肝心な公開市場の開設も、その経済効果にあやかる領主の個人的動機がきっかけとなる場合が多かったのです (川名: 2012, 抜粋)

 実は、このような市場いちばの繁栄にこそ、正式な「週市」増加の原動力があったと考えられます。公権力と個人それぞれの影響力の接点に、パブリックな制度が出現したのです。公開市場の歴史には、都市に公私混在の経済社会が発生する経緯を理解する重要なヒントが隠されていると考えられるのは、そのためです。(川名: 2012, 抜粋)



参考文献

      Everitt, A. (1967), 'The Marketing of agricultural produce in England', in J. Thirsk ed., The agrarian history of England and Wales, vol. 4. Cambridge.
      川名 洋 (2010)『近世イギリスの「公式」と「非公式」』 創文社/講談社.
      川名 洋 (2012) 「中世・近世イングランドの商業化―都市史の視点―」, 中野 忠他編, 『一八世紀イギリスの都市空間を探る―「都市ルネサンス論」再考』 刀水書房.
      川名 洋 (2024)『公私混在の経済社会―近世イギリスにおける個人と都市法人―』 日本経済評論社.
      Kirkland, J. S. (2024), 'The 1444 Sunday law of London', Historical Research, vol.97, pp.295-307.