|
はじめに |
はじめに イギリスでは、1563年の制定法により、徒弟制度が法制化されました。その効果は都市の徒弟数に明確に現れました。ロンドンでは、16世紀半ばから17世紀半の約100年間にその数は3倍に増加したと推定され、1600年までに毎年4000〜5000人の徒弟が市内のギルドやカンパニーに登録されるようになったというのです (Brooks: 1994)。地方でも徒弟制度を有する自治都市は若者を広範囲から引きつけました。例えば、イギリス東部のノリッジ市やグレート・ヤーマス市、イプスウィッチ市の徒弟の出身地は、全国に広がっていたのです (Patten: 1976)。 徒弟制度と公私混在の経済社会西洋の自治都市を、封建領主から距離を置く政治的コミュニティーの形成に見出す見解は広く知られています。そのような見方から、自治都市がフリーメン中心の定住者の社会であった印象を強く受けます(都市の公式な領域)。一方、都市は、多くのよそ者を受け入れる社会でもありました。しかも数年で他の地へ移住する者も少なくなかったことがわかっています(都市の非公式な領域)。 徒弟制度は、これら2つの社会領域にまたがるユニークな制度でした。その働きから、イギリスの近世都市は、「公式」と「非公式」両領域が重なる「公私混在の経済社会」であったことがわかるようになるのです (川名: 2024)。 参考文献
|
