はじめに工業化の歴史において、製造業の生産規模が注目されることは言うまでもありません。不安定な国際市場向けの大量生産には、当然、リスクが伴います。産業革命期における工場制の導入が画期的なのはそのためです。 しかし、イギリスでは、中世後期から近世にかけて、すでに織物工業の生産量は著しく増加していました。当然、個々の職人が商人に直接製品を納入するだけでは、増産は実現しなかったでしょう。では、産業革命期よりも何百年も前に、なぜ増産が可能となったのでしょうか。問屋制度の歴史にそのヒントを見出すことができます。問屋制度の発達が注目されるのは、その歴史から、分業体制を効率化することにより増産が可能となる初期の生産力促進の要因を明らかすることができるからです (Coleman: 1977)。また、織物工業や農村工業の発達、プロト工業化、女性史などは全て、問屋制度と関連が深い経済史のキーワードです。問屋制家内工業が注目されるのは、長期の経済成長を理解する上で欠かせないこうしたテーマとの関連が深い専門用語だからです。 家内工業労働者と機械を一箇所に集め大量生産を行う工場制工業に対し、内職に従事する労働者を組織して行う生産様式を、家内工業と呼びます。いずれのタイプも、生産に必要な原材料、道具、機械を買い揃える資本家のビジネスであった点は同じですが、工場や据え置きの大型機械を使用しない分、家内工業の場合には初期投資のリスクが小さかったことは明らかです。家内工業は小規模な事業として始めることができたので、資本家は、銀行から多額の融資を受けることや個人投資家から投資を募る必要もありませんでした。産業革命以前の生産様式が主に家内工業であったのは、そのためです。 このような生産様式は、資本家によって各工程で働く労働者らに原材料や中間財、道具が貸し出され、分業体制が組織されたことから、問屋制家内工業(the putting-out system)、あるいは、単に問屋制度と呼ばれることもあります。
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