はじめに 封建制下のイギリス農村では、マナーと呼ばれる領地経営のための仕組みが機能していました。その中軸であったマナー裁判所(領主裁判所)はかつて、領主による農民支配の装置と見なされました。農村民の立場からすれば、マナーは農村を治める単位と見ることもできるでしょう。 マナー制度と市場経済しかし、そうした一面的な見方には注意が必要です。近年の研究では、人口移動が激しくなる中世後期において、各農村の経済・社会秩序を維持するマナー制度の機能が積極的に評価されています(Gibbs: 2023)。領主や農民の暮らしは、市場向け農業生産と農産物の活発な取引によって潤っていたことから、封建制と市場の働きの間に矛盾はありませんでした (Miller and Hatcher: 1978)。土地取引でさえ珍しくはなかったのです。 かくして、イギリス経済史を見る限り、封建社会は市場経済の働きを内包していたことがわかります (Broadberry: 2015, Ch.2)。封建制の下で都市経済が栄えたのも、自然な成り行きと言えるでしょう (Platt: 1976;Coleman: 1977; Hilton: 1992)。 中世の日本にも、マナーと類似の荘園という制度がありましたが、比較経済史の観点から見れば、イギリスのマナーと日本の荘園は、それぞれの社会的位置づけや機能の面で大きく異なっていたことがわかります。中世日本の社会は果たして市場経済の働きを内包していたのか。興味深い論点です。
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