国際卓越研究大学 UREX 1
東北大学 大学院経済学研究科 川名 洋教授(西欧経済史)

Prof. Yoh Kawana(Ph.D. University of Leicester)


経済史のキーワード

奴隷制
Slavery

 

はじめに

 基本的人権が保障されず、人がまるでモノのように取引されることもある奴隷制は、古典・古代から続く負の歴史です。家内労働を強いられたり、産業に利用されたりするなど、その主たる形式は場所と時代によって異なるものの、財産権の剥奪、共同体からの剥離、人格の否定を伴う点は奴隷制に共通する特徴と言えます。西洋経済史との関係では、封建制下の農奴制や近世における奴隷貿易の例が広く知られています。

 一方、奴隷制は世界のいたるところで定着していたことから、その衰退の歴史も見逃せません。イギリスでは農奴制が14〜15世紀までにはほぼ消滅し、19世紀に奴隷制廃止の動きが加速しました (Whittle: 2000; Koyama and Rubin: 2022 )。各時代における経済的(労働力の減少, 生産及び管理コストなど)・思想的(個人主義、自由主義など)要因が注目されますが、根底には、地位の違いを現世的社会関係として容認しつつも、神と人間の関係性に平等の本質を見るキリスト教的宗教観の影響があったという見方も示されています (Postan: 1972; Sidentop: 2014; Morgan: 2024)



奴隷貿易

近世における奴隷貿易が注目される理由は、何と言ってもその規模の大きさにあります。例えば、サハラ砂漠、紅海、インド洋の各地域を通じて営まれたイスラムの奴隷貿易では、およそ300万人の人々がアフリカ大陸から連れ出されたと推計されています。また、16世紀にポルトガル人とスペイン人によってアメリカ大陸へ連行された奴隷の数は年間3千人程でしたが、17世紀には1万9千人に増加し、18世紀には約7万人に達したと推定されています (De Zwart and Van Zanden: 2018, 54-5)。このように、近世奴隷貿易は、様々な文化圏にまたがり広範に営まれていた悪しき取引慣行でした。



奴隷貿易の廃止

 イギリスは奴隷制を最初に生み出した国ではありません。しかし、初めて奴隷制廃止に向けて動いた国として注目されます (Porter: 1970; Anstey: 1975; Green: 1976; Ryeden: 2009; Oldfield, 2013; Fergus: 2013; Richardson, 2022)

 内乱後の17世紀後半にイギリス商人らは、ポルトガルやスペイン中心のそれまでの奴隷貿易に参入し、18世紀初期までにはその権益を掌握するに至りました (Coleman: 1977; Berg and Hudson: 2023)

 ところが、アメリカ独立戦争における敗北の衝撃は、奴隷貿易に反対するキリスト教徒や人道主義者の主張を強める一因となりました。その結果、イギリスでは、宗教的(教会)及び啓蒙思想的(世俗)観点から、奴隷制の存続は困難と考えられるようになったのです (Hopikins: 2018; De Zwart and Van Zanden: 2018, 87-88)

 やがてアメリカ合衆国における奴隷解放運動へと繋がるこうした動きは、人類史上の重要な転換点といえます。同時期におこった産業革命になぞらえれるなら、その裏側で起こっていた思想的革命と捉えることができます。



奴隷貿易廃止の思わぬ影響

 イギリスでは1807年に、またその後、オランダとフランスでもそれぞれ奴隷貿易の廃止が決まりました。その結果、アフリカ大陸の経済は混乱に陥ることになります。当時、アフリカには、アメリカ大陸の奴隷と同じくらいの数の奴隷が存在したと推定されています。アフリカの国々は、当然、大西洋を挟む奴隷貿易の廃止に反対しました。なぜなら、そこから利益が得られなくなるだけでなく、アフリカ内の奴隷の取引価格が暴落することになるからです。

 こうした事情により、西欧諸国とアフリカ諸国との間には立場の隔たりが生まれました。それは、その後、アフリカの国々に政治介入する口実を西欧諸国に与えることになるのです (De Zwart and Van Zanden: 2018, 114-115)



参考文献

      Allen, R. (2011), Global economic history : a very short introduction.Oxford.〔訳書
      Anstey, R. (1975), The Atlantic Slave Trade and British Abolition, 1760-1810. London.
      Coleman, D. C. (1977) , The Economy of England, 1450-1750. Oxford.
      Berg, M., and Hudson, P. (2023), Slavery, Capitalism and the Industrial Revolution. London.
      De Zwart, P., and van Zanden,J.L.(2018), The Origins of Globalization : World Trade in the Making of the Global Economy, 1500-1800. Cambridge.
      Fergus, C. K. (2013), Revolutionary Emancipation: Slavery and Abolitionism in the British West Indies. Baton Rouge.
      Green, W. A. (1976), British Slave Emancipation: the Sugar Colonies and the Great Experiment, 1830-1865. Oxford.
      Hopkins, A. G. (2018), American empire: a global history. Pinceton, NJ.
      Koyama, M., and Rubin, J. (2022), How the world became rich : the historical origins of economic growth. Cambridge.〔訳書
      Morgan, K. (2024), 'Edward Long's observations on Jamaican slavery and Britihs slave trade abolition', Historical Research, vol.97, pp.573-582.
      Oldfield, J. R. (2013), Transatlantic Abolitionism in the Age of Revolution: an International History of Anti-slavery, c.1787-1820. Cambridge.
      Porter, D. H. (1970), The Abolition of the Slave Trade in England, 1784-1807. Hamden, CT.
      Postan, M. M. (1972), The Medieval Economy and Society. London.
      Richardson, D. (2022), Principles and Agents: the British Slave Trade and Its Abolition. New Haven. CT.
      Ryden, D. B. (2009), West Indian Slavery and British Abolition, 1783-1807. Cambridge.
      Sidentop, L. (2014), Inventing the individual: the origins of Western liberalism. Cambridge. Mass.
      Whittle, J. (2000), The development of agrarian capitalism: land and labour in Norfolk 1440-1580. Oxford.