東北大学 大学院経済学研究科・経済学部 川名 洋教授(西欧経済史)

経済史
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西洋経済史のすすめ
 経済学入門のテキストを開く前に、西洋経済史をしっかり学ぶ意味は小さくありません。近現代の経済的豊かさは、主体的に物事を選択できる個人を重視するカルチャーに負うところが大きく、なぜそう言えるのか納得しなければ、近代経済のメカニズムを解く経済学の学びもつまらないものになるからです。
 経済について説明する際、マーケットの影響をあえて狭く捉え広く複雑な社会と区別して説く方法(例えばミクロ経済学など)には、説明が曖昧にならぬよう工夫する経済学者の思いが込められています。しかし「社会」を遠ざけるその工夫には、実は他にも深いわけがあるのです。
 西洋経済の特質は、個人の価値判断が社会全体を見据える政府のそれよりも優越する原理にどこよりも早く到達したその歴史に現れます。『国富論』を著したアダム・スミスが注目されるのもそのためです。
 ところが、19世紀から20世紀前半を通じていつの間にか、再び社会全体が優先されるようになる。 急激な工業化や都市化によって、逃れようとする対象が、それまでの「政治的権力者」から貧困や不平等などの「社会矛盾」に換わり、その解消を約束する「政府」のイニシアチブが再び重視されるようになるという思想的揺り戻しの現象が起こったというわけです。
 おもしろいのは、この歴史には前段があって、中世の時代には互助を促す農村共同体の縛りや領主による支配が当然視され、近世(16世紀〜)に入ると今度は中央政府のパターナリズムを社会が招き入れることになった経緯を私たちは西洋経済史から学ぶことになります。
 経済学ではまず個人の選択について勉強します。その作法には、社会の論理よりも個人の論理が優越するという、決して盤石とは言えない西洋特有の思想を大事にしたい人々の思い(歴史観)が込められているように見えるのです。しかし、この肝心な前置きが経済学の初学者に語られることはあまりありません。
2022年10月改訂(初出2018年6月)

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Last updated : 2024/05/27

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