USX社の労使関係とコーポレート・ガバナンス


最終メンテナンス:1998111

※以下の文章は、1996921日の日本経営学会第70回大会(於:一橋大学)自由論題報告用に作成した原稿です。ほぼこのとおりに報告しましたが、完全に同じというわけでありません。

余談:報告が30分と決められていたにもかかわらず、レジュメだけを作成して予行演習をしたら45分もかかってしまった。学会1日目に、報告会場へ行かずに、一橋大学講堂でパシパシとThinkPad535をたたき、短縮をはかったが、レジュメではどうしても加減がわからないのでしゃべるとおりの原稿とした。講堂で2時間、ホテルに帰ってから2時間半ほど打ち続けて完成。このようなとき、本当にノートパソコンはありがたい。惜しむらくは、講堂が緑の樹木にかこまれていたため、開け放たれた窓から薮蚊が進入、ThinkPadの熱に惹かれて私の膝周辺を回遊して血を吸いまくったことである。

1. はじめに

  本日おとりいただいたレジュメに沿って報告させていただきます。ただし、レジュメ作成後に、30分では話しきれないことに気づきましたので、一部割愛し、レジュメの記載事項を参照いただくことになります。聞きづらいかもしれませんので、この点お詫びいたします。

2. 問題意識

  本報告ではアメリカ最大の鉄鋼メーカーであるUSX社、旧社名は、歴史研究の方はよくご存知のU.S.Steelにおけるコーポレート・ガバナンスの展開過程を、特に労働者をステークホルダーの重要な一員とみる見地から分析します。こうした課題設定を行った背景には、最近のコーポレート・ガバナンスをめぐる論議に対する一定の問題意識があります。

  第一に、よく「アメリカに学べ」と言われますが、その「アメリカのコーポレート・ガバナンス」とは何かということが必ずしも明確でないということです。漠然と「アメリカでは株主が強い」といわれることが多い一方で、バーリ&ミーンズから最近のマーク・ローに至るまで、「所有と支配の分離」や「経営者支配」を指摘しているのです。

  そこで、問題をもう少し限定して考えたいと思います。ひとつは、ベンチャー・ファイナンスなどが華々しく取り上げられることと表裏一体のこととして、成熟産業の構造調整過程でのコーポレート・ガバナンスも問われるべきではないかということです。もうひとつは、より限定して、1980年代のアメリカにおけるリストラクチャリング下でガバナンスがどのように変動したか、あるいは様々なステークホルダーによってどう争われたか、をトレースしておきたいということです。

  第二に、参考文献表に記した橘川武郎論文が要領よくまとめていますが、近年の日本企業論では、労働者を主体として組み入れる傾向にあります。言うまでもなく、日本的経営における労働者の役割が注目されたことが理論化されているのです。現実に、アメリカ企業のリストラクチャリングにおいて、日本の労使関係が参考にされたことから言っても、この提起は現実味があります。労働者をガバナンス論に組み入れることが必要だと思います。

  ところが、そうした考えでアメリカのリストラクチャリングを見ると、労働組合がどんどん譲歩して弱まったように見える80-90年代に、組合の経営参加が進展するという逆説的な現象があります。これをどう考えたらよいのでしょうか。

  U.S.SteelUSX社を分析対象とすることが、以上の問題意識から妥当であることは、話の中で明らかにしていこうと思います。ステークホルダーとしては、主に株主・金融機関・経営者・労働組合の関係を取り上げますが、必要に応じて地域社会の様々な人々にも言及することになります。

  分析視角について述べておきますと、一つは、諸主体の地位と役割を固定的に見ず、対抗と協調を通じた変化に注目すると言うことです。もうひとつは、諸主体の利害得失に基づく行動それ自体と、行動の正当化された枠組みを区別することです。同じ行動でも、それが正当と認められるかどうかで帰結が異なってくることがあり、ガバナンス論ではこのことが特に重要だと思われるからです。

3. 1970年代までのコーポレート・ガバナンスと競争力問題

3-1. 戦後アメリカ鉄鋼業における株主・経営者・労働組合の関係

  リストラクチャリング以前、つまり、第二次大戦後1960年代までの鉄鋼業の成長とガバナンスの構造については多くを語る時間がないのでごく簡単に述べます。

  まず株主と経営者の関係ですが、鉄鋼業の利益率は、1960年代以降、製造業の平均を下回るようになりました。これは株価の低迷を招き、銑鋼一貫の大手メーカーでも、一部は60年代末にコングロマリットに吸収されました。しかし、U.S.Steelを含む上位の企業ではおおむね経営者支配が安定していました。U.S.Steelの最大株主は従業員貯蓄プランで一番比率が高かったときで18.6%持っており、経営者に敵対する危険はほとんどありませんでした。

  次に労使関係ですが、まず、経営と生産の基本事項は経営権に属するとされました。その反面として、産業別労働組合は、団体交渉を通じて賃金・付加給付/労働条件を引き上げることに力を集中しました。最後に、PioreSabelが言うように、職務と先任権を中心とする職場管理の体制がつくられていました。労働者は先任権システムによってBossのえこひいき、それによって互いに競争させられることを防止しました。また、業界共通の職務評価方式によって、同一労働同一賃金を確保しようとしました。そして、経営側も、一定の条件、つまり国際競争の相手がおらず、生産が安定し、労働コスト上昇分を生産性上昇か価格引き上げで相殺できる限りにおいて、この枠組みを容認してきたのです。

3-2. 1970年代における競争力問題の対応

  さて、1970年代になると、世界的な過剰生産能力が明らかになる上に、輸入鋼材が急増します。その上、ミニミルと呼ばれる電炉メーカーも台頭して、一貫メーカーの業績は悪化します。

  この競争力問題の出現に対しては、レジュメに書きましたような様々な手が打たれはしたのですが、時間がないので省かせていただきます。結論だけを言うと、何らかの構造調整が要請されていたにもかかわらず、根本的には変化がなく、ガバナンスの構造も温存されたということです。経営者も全米鉄鋼労働組合(USW)も、競争力問題の原因を、基本的に外国のダンピングや、重税・環境規制などに求めていたのです。経営側、特にU.S.Steelは、労使が協力する生産性向上運動に消極的であり、組合は成長期と同じように賃上げ・付加給付の拡大を求め続けていました。他産業に比べての株価の低迷はあいかわらずでしたが、まだ、株主に特別な動きはありませんでした。

  しかし、国際競争のない一国的成長という前提が失われた下では、ガバナンスもまた変化せざるを得ませんでした。以下、U.S.Steelの経営に話を絞り込んでみていきます。

4. リストラクチャリングとコンセッション・バーゲニング

4-1. Marathon Oil社買収の衝撃と石油会社化

  1979年、財務畑出身のDavid RoderickU.S.Steel会長兼CEOに就任します。彼は「コンペティティブな利益」追求のために、原料・資源関連産業への「資産再展開」戦略を発動します。具体的な分野はレジュメに書いてあるとおりですが、その総仕上げが、石油会社Marathon Oilの買収でした。実に593500万ドルをかけた買収で、資金は資産売却とシンジケート・ローンで調達されました。買収後のU.S.Steelは、売上高の7割以上を鉄鋼業以外の事業が占めるようになり、設備投資も石油・ガス事業が過半を占めるようになりました。

  U.S.Steelのこうした企業行動に対して、鉄鋼業を見捨てるディスインベストメントであるとの批判が高まりました。工場閉鎖地域の労働者が態度を先鋭化させたのはもちろん、政府・議会も鉄鋼業を保護することに警戒的になりました。

  しかし、そうした批判にもかまわずU.S.Steelはその後も石油会社化をおしすすめます。申し訳ありませんが、順序が前後して算用数字2の(3)を先に申し上げます。84年にはハスキー・オイル社を買収し、86年にはテキサス・オイル・アンド・ガス社を買収しました。

  この買収は、U.S.Steelが新たに普通株を発行して、それをテキサス・オイルの株式と交換するという、株式交換によって行われました。マラソン・オイルを買収した際に巨額の負債を抱え込んだため、現金による買収をすることができなかったのです。

  これらの買収を通じてU.S.Steelは油田を比較的安いコストで獲得し、また、説明は省きますが繰越損失金による税額控除で税金を節約しました。

  さらに19867月には、社名をUSXに改名し、組織改革を行いました。本社の下に鉄鋼業、マラソン・オイル、テキサス・オイル、多角化事業の四つの事業ユニットをもうけ、それぞれ独立採算で運営することにしたのです。

  こうしてRoderickの思惑通りにいくかと見えたのですが、ちょうど石油価格が低迷しだしたときにテキサス・オイルを買収したこと、普通株を発行して株主持分を薄めたことが事態を急旋回させます。株価が85年秋の33ドルから86年夏には14.5ドルへと低下し、また先ほど紹介した従業員貯蓄プランの持分も86年に4.9%まで落ち込んでしまったのです。

  つまり、多角化という手っ取り早いリストラクチャリングの方法をとったにもかかわらず、その過程で株主の利益を十分に実現できなくなったということです。経営者と株主の利害の乖離が起こり、そこに乗っ取り屋が登場するのです。しかし、その前に鉄鋼業におけるリストラと労使関係を見ておきたいと思います。算用数字2に戻ります。

4-2. リストラクチャリングの展開と諸対立の先鋭化

  1982年から83年にかけて、アメリカ鉄鋼業は戦後最大の不況を経験し、U.S.Steelは鉄鋼業本体においても徹底したリストラクチャリングに着手します。その労働面での中心は、工場閉鎖・大量レイオフでした。81-85年に生産能力が780万トン、従業員が62000人弱削減されました。その他の数字は時間がないので表をご覧になってください。

  このレイオフは、職場の混乱をいとわないものだったようです。例えば、職員層も減らされたのですが、各シフトの監督者層をどんどん削減した結果、昼間のシフトのフォアマンが24時間トラブルに対処するという事例まで出現しました。

  労使関係においては、会社は組合に譲歩を強く要求するようになりました。1983年労働協約改定交渉では、賃金の約10%削減、早期退職奨励などが取り決められました。詳しくはレジュメをご覧ください。これによって鉄鋼業界全体で14億ドルが節約されたと組合は主張しています。

  しかし、この時期の最大の特徴は、会社側が単に組合に譲歩させただけでなく、労使関係の従来の枠組みを自ら破壊するスタイルで大規模にリストラをすすめ、その過程に対する労働者や地域の諸階層の関与を排除しようとしたことでした

  例えばサウス製鉄所の事例です。81年にU.S.Steelは、組合の譲歩と州当局の条件整備があればレール工場に設備投資をすると約束しましたが、後に10時間労働などいっそうの譲歩がなければだめだと言い出し、ついには投資を撤回して製鉄所の大半を閉鎖しました。この過程で、シカゴ大司教、――キリスト教の司教です――が「関係当局、政治家、組合幹部、地域社会の代表、宗教界の人々」との協議、工場の転用を申し入れましたが、U.S.Steelは拒否しました。また、85-86年にはデューケンス製鉄所でも、USWのローカルや市民団体が、閉鎖設備を買い取って従業員所有企業とするプランを出したのですが、会社は拒否しました。

  これらの過程で見られた象徴的な発言を、厚東先生もふれられたラルフ・ネーダーが書き留めています。まずロデリック会長は、サウス製鉄所について、工場を買い取ろうとする人々に「サウス製鉄所をまかせたら、いま働いている1100人の従業員もいまから2年以内に失業するに決まっている」と言い、デューケンス製鉄所については、「U.S.Steelが、プロの経営者をもってしても利益を生み出せなかった工場をコミュニティ・ベースのグループが所有するという考え、この事業のことをよく知らないいくばくかの人々が、突如としてそれを手に入れ、天から降ってくる金でそれを生存可能なものにするという考えは、私にはちょっとした茶番に思える」、と言ったのです。一方、サウス製鉄所存続のプランを出したカッセルという弁護士は、次のように述べました。「経済性がそれほど悪いなら、なぜ地元の人々にデータを公開しないのか?そうした情報を知りたいという地域の人々に彼はなぜ協力しようとしないのか」。

  ここでは、単に効率性や生産性だけが争われていたのではありません。工場の可能性を評価し、運営することに誰が関与する権利をもつのかという、統治主体の資格が問われ、経営者権力の正当性に疑義がはさまれていたのです。

  さらに、外注問題をめぐっても厳しい攻防があったのですが、時間がないので、仲裁裁定でしばしば会社側が負ける、つまり、不当労働行為とみなされるくらい、強引にすすめられたことだけを述べておきます。

  このようにして、労使の対立は、利害関係自体の鋭さという意味でも、従来のルールが破られていくという意味でも先鋭化していきました。

  株主と経営者、経営者と労働組合、この二つの対立は、1986年後半に一つに結び合って爆発します。

4-3. ロックアウト/ストライキとテーク・オーバー

  1986年は労働協約改定交渉の年でしたが、メーカー側が業界での統一交渉を中止し、会社毎の業績に応じた交渉に切り替えました。

  USXでの争点は、賃金・給与の譲歩と外注問題でした。会社側は、二つの理由から強硬な姿勢をとりました。ひとつは、USXはマラソン・オイルという巨大な多角化事業があったために、ストをおそれない強硬さで望んだということです。もうひとつは、交渉中にLTVがチャプター・イレブンを申請、つまり倒産して、労働協約を破棄したのですが、USXがこのLTVなみにコストを下げろと言い出したのです。

  結局、協約は731日に期限切れとなり、USX25工場から22000人の労働者を締め出しました。この行為は、ほとんどの州でロックアウトと判定され、多くの労働者は失業保険を受け取ることができました。ただ、事実上のストライキに近い面もあるので、レジュメでは併記させていただいてます。

  ロックアウトによって株価はいっそう下落し、資産の帳簿価格をはるかに下回りました。このとき、コーポレート・レイダー、つまり乗っ取り屋のカール・アイカーンが株式の11.4%を買い付けて筆頭株主に台頭し、全株式に対する公開買い付けの提案を行いました。彼の重要な資金源は、投資銀行ドレクセル・バーナム・ランベールが仲介するジャンク・ボンドの発行でした。彼は鉄鋼業を経営する気はなく、買収後に資産売却を行い、差額を得ることが目的でした。

  USWはこうしたアイカーンの買収を支持しませんでしたが、買収が成功した場合には鉄鋼業だけを買い取り、従業員所有企業にするという方針をとりました。

  みつどもえの買収になるかとも思われましたが、結局アイカーンは87年初頭にオファーを取り下げました。理由は、経営陣が、農芸化学部門の売却、買収コストを引き上げる、いわゆるポイズン・ピルの導入などの対策をうったことと、年末にボウスキーというサヤ取り業者がインサイダー取引で告発され、ドレクセル周辺にも捜査が及んでジャンク・ボンドが使いにくくなったことによるものでした。株主の不満と圧力のみが残りました。なおドレクセルの行方は厚東先生がご紹介されたとおりです。

  以上の混乱を経て、87131日にようやく新労働協約がUSWの組合員投票で批准されました。この協約は、賃金・給与の削減、1346の職務削減、つまりは人員削減など、経営側の要求を反映した面もありましたが、外注に他社並の制限を加えることなど、組合の努力も反映されていました。そして、協約を他社の3年に対して4年間有効とすること、チーム・コンセプトの導入など、労使関係そのものを変化させる兆しもみられました。

  ところが、この4日後の24日、USXは一貫製鉄所を含む生産能力を27%、要員を3400人削減すると発表したのです。当然ですが、操業が停止される工場の労働者の中には、4日前に労働協約案に賛成した者が数多く含まれていました。

  結局、この長期の操業停止は、USXに約5億ドルの損失をもたらし、一方、譲歩によって3億から4億ドルを節約したと言われています。もともとUSXがめざしていたような能力・人員の削減・縮小均衡へ一気に向かうことになりましたが、労使関係の枠組みは破壊されただけで、不信感はそのまま残りました。

  ここで86年までの経過をまとめます。まず、株主・金融機関による経営者のモニタリングという側面です。「資産再展開計画」といい、アイカーンのテーク・オーバーといい、USXをめぐるM&A&Dの行動原理は、単純化しにくいものの、少なくとも産業の長期の再編戦略ではなく、短期のコストとリターンの比較の論理でした。マラソン・オイル買収にあたっては、U.S.Steel経営陣だけでなく、銀行シンジケートもまた、鉄鋼業と他産業の収益性によって行動しました。鉄鋼業への投資では、クレジット・ラインは設定できなかったのです。また86年には、リストラクチャリングの過程さえも株主は容認せず、利害関係の乖離、アイカーンの台頭が生じ、経営者権力が、おそらくは戦後初めて危機に陥りました。その対応がまた、いっそう激しく、手早いリストラクチャリングを促進したと言えます。

  多角化については、しばしば、鉄鋼業への投資を減らしたと批判されます。しかし、漫然と鉄鋼業へ投資したところで過剰能力を激化させるだけだったでしょう。問われていたのは、「どのような構造調整のために、鉄鋼業へどのような投資を」でした。現実に起こったことは、短期的リターンを唯一の基準とした事業再編、能力縮小・人員削減という、特定の形態のリストラクチャリングでした。そしてまた、それが産業政策、従業員所有、コミュニティによる所有と経営参加など、多様なステークホルダーが関与する選択肢を、権力的に排除する傾向を持っていたということです。

  労使関係については、従来の正当化された枠組みが破壊されました。職場のモラル低下をいとわない強権的なやり方でした。これに対して、USWは当初、戦略をもてずになし崩し的に譲歩し、大きな打撃を受けました。しかし、必要に迫られて、工場を存続させる可能性についての協議・意思決定への参加を要求するようになり、また、鉄鋼業の危機はアメリカ経済そのものを脅かすというキャンペーンで一定の理論的イニシアチブを発揮し、コミュニティの多様な階層との連携も一部で実現しました。他社では、ウェアトン・スチールのように、従業員所有で存続する製鉄所もあったのです。

5. 労働のフレキシビリティと雇用保障・経営参加

5-1. 業績の回復と株式の三分割

  86年以後の事態については、ごく簡単に触れるにとどめます。まず、鉄鋼業のリストラが一段落したということです。能力・人員の縮小が続きながらも、設備投資が復調し、業績も87-90年と94-95年は黒字になりました。円高もあって、生産コストが年によって日本を下回るようにもなりました。詳しくは表の数字から読みとっていただきたいと思います。

  この過程で、アイカーンは今度は鉄鋼業の80%を売却するように要求しました。彼は、鉄鋼業を持っているために、せっかくマラソン・オイルの業績が良くてもUSX全体が低く評価されて株価が上がらないと主張したのです。この提案は90年の株主総会で否決されましたが、40%の支持があり、経営陣は株主の不満に対処することを迫られました。そして、91年から92年にかけて、USX普通株がU.S.スチール・グループ株とマラソン・グループ株、天然ガス事業のデルヒ・グループ株に分離されました。それぞれが上場され、U.S.スチール株も上昇しています。

  こうして株主・経営者の協調関係は回復に向かいました。鉄鋼業は保持したまま合理化されることになりましたが、これは高く売れないからでした。U.S.スチールグループ内部だけで見ると、技術開発や輸出への努力がなされるなど、事業への集中力が戻ってきているようですが、USX本社のレベルでは、コスト・リターンで考えられていると言えます。

5-2. 新しい枠組みを模索する労使関係

  一方、労使の対決も、業績回復を反映して和らいで来ました。91年協約ではレジュメにありますように、賃金の回復など組合の要求が反映されました。そして、94年協約では、労使関係の新たな枠組みづくりをめざす内容が盛り込まれました。賃上げや、生計費調整のボーナスもさることながら、もっとも重要なことは、取締役会に組合が席を確保したということ、「大損失」の場合をのぞいてレイオフをしないという雇用保障を明記したことでした。これと引き替えに、組合はいくつかの作業ルールを削除し、職務の統合や人員の再配置に柔軟に応じることに同意しました。

  この協約は、産業の危機において、労使の基本的利害は一致すること、労使はCooperative Partnereshipであることを、新たな正当化された枠組みとして打ち出したことが画期的でした。この背景には、組合側の動きもさることながら、会社側が、過剰設備の整理が一段落して、大規模レイオフはもはや必要ないと判断したこと、年金給付などを勘案すると小規模レイオフはコスト削減にならないことがありました。

  しかし、ここでも枠組みと行動自体は同じとは限りません。そもそもUSWの経営参加は、強権的なリストラによって弱体化させられたが故に、会社側に容認されたという側面があります。このような状況下で、工場と労働者の生き残り競争に参加させられたという側面も否定できません。また、空前のレイオフ・解雇、つまり新しい枠組みに関与しようがない人々を生み出した後の出来事であることも忘れることはできないでしょう。作業ルールの変更にしても、チーム・リーダーの動きなどを見ないと断言はできないのですが、職務と先任権を中心とした制度自体は変わっていないようです。

6.おわりに

  まとめに入ります。このわずかな事例から言えることはそう多くはないのですが、仮説を含めて申し上げます。

まず、成熟産業において、過剰能力の処理を含む何らかの構造調整が不可避な場合、ステークホルダー、特に株主、経営者、労働者は、それぞれに戦略を問われるということです。「株主か経営者か」、「協調的か敵対的か」という図式でなく、産業と企業の状況に即して、どのような調整を、誰のイニシアチブで、どのような制度をもって行うのか、が問われるのだと思います。

  USX社の労使は、構造調整の戦略を持つことなく、80年代半ばまで従来の枠組みのまま、それをも壊しつつ力の衝突を繰り返しました。業績の不調は、経営者を短期的なリターン優先の行動に押しやり、それはクレジット・ライン設定やIchanとの対抗を通じた株主との利害調整の過程でいっそう強化されました。

このリターン優先の行動は、当面の収益性に従った即時撤退・縮小、多角化という、特定形態のリストラを促しました。そして、USXの収益性を回復させることに寄与しました。鉄鋼業界で唯一、大規模な多角化を成功させ、売上・利益をある程度安定させたのです。

  同時に、このリストラは戦後型労使関係の正当化された枠組みを破壊したことをはじめ、地域社会の様々なステークホルダーが関与することを排除する傾向を持っていました。USX86年協約交渉の際に会社の立場を訴えるべく全労働者に送ったパンフレットにはこうあります。「どの組合も、地方自治体も、州も、競争相手も、アカデミックな評論家も、政治評論家も、聖職者たちのグループも、連邦の機関も、U.S.Steelが人々を守るためにしたことに対して、これっぽっちも考えようともしない」。つまり、それだけ多くの人々と対立していたというわけです。

  こうしてみると、USXのケースは、確かに経営参加がすすんでいるにはいるのですが、労働者の権限が拡大し、さらに多様なステークホルダーに企業が開かれたものになっていく、という図式ではとらえられないと思います。新しい枠組みは大量解雇を前提として築かれた制度であり、産業別労働組合が何よりも阻止しようとしてきた、労働者間の競争を容認しています。労働者の収入が利益や生産性と連動させられる割合が増えています。

  ただし、組合が全面的に弱くなる一方だというと、また逆の単純化になります。USWは、労働者どうしが競争させられることをある程度認めつつも、その適用範囲を規制する姿勢も失っていません。特に、情報開示と雇用保障の要求、外注への強い反対にそれがうかがえます。また、鉄鋼業の危機を逆用して、組合の協力が産業を救うために必要であり、そのためには発言権が認められるべきだという考えは、経営者権力に対する説得力ある批判となりました。実際に、どれほどの効果を上げたかという点では過大に評価はできないものの、重要な問題提起であるとは言えるでしょう。

  冒頭での問題意識に即していえば、こうなるでしょう。利害関係の衝突自体に即していえば、株主・金融機関の論理を体現した限りで、経営者が優位に立ち、労働組合は厳しい試練にさらされました。しかし、まさにその同じ過程で、経営者権力が鋭く批判され、労働者や、地域社会の多様な人々がコーポレート・ガバナンスに関与することの正当性と可能性が提起されたのです。

  USXの事例が示唆することは、構造調整には多様な形態と、多様なステークホルダーの関与が提起されてきたし、その一部は実施もされてきたということであります。日本の成熟産業の今後を含めて、この種の問題を研究する際には、「もうからない、経営者へのモニタリングが足りないに違いない、だから株主・金融機関による監視を強化する」という単線思考ではなく、多様な可能性を念頭に置いて進めた方がいいのではないか。このことを申し上げて報告を終わらせていただきます。


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