(書評)萩原伸次郎『アメリカ経済政策史 戦後「ケインズ連合」の興亡』


最終メンテナンス:1998420

※本稿はもともと図表を含んでいないので、このページに全体が掲載されている。

余談:依頼が来たときには、アメリカ経済研究のベテランである萩原氏の著書ということで、たいへん緊張した。本書の前半には、山田盛太郎や「蓄積の社会的構造」学派の叙述方法への言及や恐慌を重要な媒介項とする再生産構造分析がある。この点にふれられなかったことは心残りであった。なお本書の書評として拙稿の他にも本田浩邦氏によるものがある(『日本の科学者』199611月号)。本田氏はマクロ的な観点、私は企業・産業の観点という違いがあるが、類似の問題に触れているのが面白い。本田氏は問題の所在をエドソール&エドソール『争うアメリカ』の参照によって示しているが、私が「経済の低成長への転換の下で、白人が多数を占める中産階級や、西部・南部の新興企業家が、……いわゆるリベラル派の政策に反感を募らせていったため、ケインズ連合なりニューディール連合は崩壊したという捉え方」と書いたときにも同書を念頭に置いていた。

(以下本文)

  本書は「大恐慌から現代にいたるアメリカ経済政策の歴史を、ケインズ連合の興亡という視角から」(@頁)論じたものである。著者の言うケインズ連合とは、「戦後アメリカに形成された生産的投資に利害を有する生産階級(productive class)の連合を意味し、アメリカにおけるケインズ政策受容の階級的基盤をさす政治経済学上のターム」(@頁)である。構成は次の通り。

序章 ケインズ政策の歴史的源流
第T編
ケインズ連合の成立
第1章
アメリカ資本主義の基礎過程
第2章
ケインズ政策と不況克服
第U編
ケインズ連合の危機
第3章
国際競争と寡占企業の多国籍化
第4章
ケインズ連合危機の構図
第V編
ケインズ連合の崩壊
第5章
国際競争の激化と寡占企業の投資行動
第6章
現代マクロ政策の展開
終章
現代経済政策の特質 ―ケインズ連合の崩壊がもたらしたもの

  紙数の関係で内容を詳しく紹介できないので、この構成からも読みとれる著者の視角・方法のユニークさを中心に取り上げたい。

  本書の最大の特徴は、全編にわたり、産業の寡占体制と寡占企業の投資行動が、経済政策を左右する基礎として詳しく分析されていることである。つまり、寡占企業の投資行動がケインズ政策受容の基盤を支え、それによってマクロ経済政策の展開が規定されるというのである。政策論というと、ともすれば国民経済の集計的な諸指標との関連で論じられやすいのであるが、著者はそうした方法では見えなくなる産業・企業のダイナミズムをとらえようとしているのである。

  しかも、それは決して先験的な独占支配論ではなく、産業の多面的な分析に裏付けられている。すなわち、著者は寡占産業を航空機産業に代表される軍需産業、自動車産業や機械産業などの世界市場志向型産業、鉄鋼業や繊維産業などの国内市場志向型産業に類型化し、それぞれの企業分析・労働分析から、一九五〇年代から六〇年代にかけてケインズ主義受容の階級的基盤が形成されたことを、具体的に明らかにしようとしているのである。

  著者によれば、航空機産業は、費用償還方式による軍需市場独自の価格決定や政府所有設備の利用など、国家との融合関係を形成することで安定的な利潤を確保してきた。鉄鋼業は、国内寡占市場で一定の売上利益率を確保し、鉄鋼労働者が数度のストライキを通じて実現した賃上げなど諸費用の上昇分も、製品価格の上昇に転嫁してきた。自動車産業は前二者に比べて寡占企業間の非価格競争を激しく展開するとともに、オートメーション技術を取り入れた設備投資を行ったため、広告費・減価償却費などの固定費比率が高まった。そのため生産・販売の拡大を特に志向し、輸出を含むシェアの世界的拡大を図った。

  また、著者は、当時オートメーションといわれた技術革新が、上記三産業のいずれにおいても新たな型の「熟練技能者」を増大させていたことを指摘する。ここでは文脈が今一つ明瞭でないが、これらの労働者が産業別組合の基盤であったということだろう。

  こうして、「寡占市場から生ずる超過利潤と労働者の高賃金」(六四頁)を基礎として、「支配的な寡占資本階級と労働階級との広範な連合」(同)が成立する。この連合を基盤として、一方では軍事関連支出の膨張、他方では国内投資の積極化と自由貿易による輸出の拡大を図る政策が展開し、ケネディ政権によってそれは完成させられる。

  しかし、三類型の「費用構造上の特質に基づく行動様式の相違には、ケインズ連合崩壊の要因が即時的に含まれていた」(六五頁)。国際競争に直面して、繊維産業、鉄鋼業は保護貿易に走るが、自動車、電機など世界市場志向型産業は、当初は現地市場確保のための直接投資に、六〇年代後半以降はそれに加えて低賃金労働を誘因とした直接投資・企業内分業の形成へと進んでいく。こうして、国内の生産的投資をめぐる利害の一致は崩れ、一方では保護主義、他方では対外直接投資規制から自由化への逆転、そして組織的労働階級を代表するAFL―CIOの雇用輸出論による多国籍企業批判が起こってくる。ケインズ連合の崩壊である。

  このケインズ連合成立・確立・崩壊過程の検証こそ本書の核心であろう。著者は、世界市場を志向する巨大企業の投資行動が、マクロ経済政策の内容とその変転を規制するという、戦後アメリカ経済の底流を探りあてたのである。評者としては、個々の箇所には疑問もあるが、研究の過度な細分化に警鐘が鳴らされることの多い今日、ひとつの歴史観を提示した著者の力量に学ぶことを優先としたい。

  その上で、いくつか掘り下げてみたい論点を列挙しよう。

まず、著者は多国籍企業化にケインズ連合崩壊の基本的要因を求めているが、これと異なる次のような見解も有力である。経済の低成長への転換の下で、白人が多数を占める中産階級や、西部・南部の新興企業家が、所得再分配、社会保障政策、経済的規制など、いわゆるリベラル派の政策に反感を募らせていったため、ケインズ連合なりニューディール連合は崩壊したという捉え方である。確かに、AFL―CIOのような多国籍企業批判がアメリカ社会の主流であったとは必ずしもいえないだろう。議論を深めるためには、多国籍企業化という経済的底流と、有権者の階級・人種・税制などに関する意識の変化を架橋することが必要ではないだろうか。

  次に、一九七〇年代の生産性と国際競争力の低下の説明がやや食い足りないということである。多国籍企業化と、賃金上昇率や原材料価格の変化のような数量的要因のほかに、技術革新や製品開発のポテンシャル、生産管理、労務管理などを含む、アメリカの企業システムや生産システムの発展と衰退に関する論点が必要だと思われる。これらは八〇年代になると、マサチューセッツ工科大学の『メイド・イン・アメリカ』やロバート・ライシュ『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』などの提起を通じて政策的争点になっていくのである。

  また、著者のバランスのとれた産業分析の方法が、本書の後半では十分に貫徹していないようにも思われる。七〇年代以降の分析では世界市場志向型産業のみが登場し、国内市場志向型産業は無視されている。さらにレーガン政権の経済政策については金融自由化が重視され、「アメリカ経済の現実資本蓄積にネガティヴな役割を果たし、貸付資本蓄積すなわち金融部門の蓄積強化に積極的役割を果たした」(二四三頁)とまで指摘されている。しかし、これでは、競争力が低下した産業が絶えず保護貿易を要求し続けていることや、九〇年代に入って一部の製造業やソフトウェア関係などの新興産業が復活もしくは興隆していることは、経済政策に関係ないということになってしまう。著者の本来の態度からすれば、成長を主導する産業だけでなく、競争力が低下した産業のリストラクチャリングにも注目すべきだったのではないだろうか。例えば、レーガノミックスはリストラクチャリングを促進したのではないかと、評者は考えている。

  以上の点は、本書の価値を損なうものではない。むしろ評者は、本書が、その達成から謙虚に学ぶべき業績であることに加え、生産的な討論を行うためにも刺激的な素材であることを強調したいのである。アメリカ経済や経済政策のあり方に興味を持つ広範な人々に一読をおすすめする。


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