掲載日:2002年7月1日(7月21日誤字訂正)
6-1. 市場の失敗
■市場の失敗をもたらす諸要因
外部性
公共財
情報の非対称性
その他
■政府の失敗をもたらす諸要因
ソフトな予算制約によるモラル・ハザード
官僚組織の膨張による逆機能
その他
■消費者保護の例
市場競争による粗悪品の排除←→その限界
情報の非対称性(売る側だけが情報を持っている)
市場でのパフォーマンスによる是正までのタイム・ラグ――薬害が起こってから規制しても遅い
規制による粗悪品の排除←→その限界と副作用
官僚主義による意図せざる結果
トライアル・アンド・エラーが抑制される傾向
情報の非対称性への対処
例:エアバッグに対するアメリカ自動車メーカーの態度(アダムス・ブロック編[2001/2002])
消費者が十分な情報を持ち、かつ取引に要するコストが小さい場合
→市場や当事者間の交渉にゆだねられる可能性
上記の条件が満たされない場合
→一律規制の方が相対的に効率的
例:道路では誰が何キロのスピードを出してよいか?
6-2. 環境保護の政治経済学
■環境保護と経済成長はトレード・オフか?
トレード・オフである場合
インセンティブとしての環境規制:環境規制をクリアする必要からイノベーションが進む
例:ホンダのCVCCとマスキー法
環境を保護したほうが低費用になる場合
例:水俣病を事前に防止する措置は技術的に可能であり、その方が社会的にはるかに安上がりであった。
例:中国山西省では、これ以上環境汚染を放置すれば経済活動にも影響する(氏川[2001]、川端[2002])
■環境汚染対策の経済学(1)――市場取引を応用した解決
社会的費用の内部化(戦後日本の名著として宇沢[1974])
コースの定理(本章のほか91頁付近も参照)(コース[1988/1992])
「資産や権利の所有権が明確に割り当てられており、かつ当事者間の自由な交渉が取引費用を伴わずに可能であるならば、どの所有権が誰に割り当てられていようとも同一の効率性が達成される。」=社会的費用は市場取引で内部化される
市場取引による解決の可能性
経済活動に関する権利の割り当て(所有権確定)→自由な取引→効率的な結果
私有化企業の資産は、それをもっとも必要とする人によって買われる(テキスト91頁のアドバイザーの主張)
清流は、それをもっとも必要とする人によって買われる
アイザック・ウォルトン連盟(釣り人の団体)と廃液を出す工場の例(125頁)
どちらに清流の所有権があるかは明確でなければならない
どちらに所有権があっても、自由な取引によって効率的な結果が生じる
応用:京都メカニズム(1997年の気候変動に関する国際連合枠組み条約第3回締約国会議[COP3]で導入決定)
排出権取引(排出許可証取引制度)
先進国のCO2削減目標を決定(=排出可能量を決定)→排出権を各国に割り当て→排出権を売買可能に
すでに環境対策が進んでいる国では、これ以上の削減が困難→排出権を購入
削減の余地が大きい国→排出権を売却
共同実施(略)
クリーン開発メカニズム(CDM)
先進国が途上国で温暖化ガスの排出削減プロジェクトを実施→削減された排出を当該先進国が削減したものとみなす
先進国(政府・企業)に途上国の環境を改善するインセンティブを与える
東北大学学際科学研究センタープログラム(代表:大村泉教授)での取り組み
http://www.cir.tohoku.ac.jp/omura-p/index.html
■環境汚染対策の経済学(2)――市場では解決できない場合
分配問題が深刻な場合
公害を排出するのが大企業であれば、周辺住民とは費用の負担能力が異なる。住民には公害防止費用を払う負担能力はないことが多い。
道徳的・倫理的基準によって所有権割り当てが制約される場合
PPP(汚染者負担原則)
例:CDMに対して、温暖化ガス問題を作り出した先進国が自国で削減しないのは問題という批判あり
例:移行経済の自生的私有化
※上記2点があるから首相は「コースの定理は街頭革命を保証しますよ!」(91頁)と言っている
対象に関する所有権が明確にできない場合(テキスト125-126頁)
海洋、宇宙、大気に関してすべてが権利化できるわけではない
情報が不確定な場合
石油埋蔵量や環境汚染の帰結をすべて織り込んで費用化することは困難
取引費用が高い場合
参加国が少ないと排出権取引は市場として機能しない。
訴訟の費用
コミュニケーションが技術的に困難(≒極端に高費用)
7-1.本書の著者たちの場合
■著者の問題意識(テキスト131頁、133頁)
私的な意思決定が公共の利益を促進することを保証しながら、同時に個人の自由を与える統治機構を構築すること。
■この課題を解決する手段
基本的回答
分権的市場経済
権力集中・強大化に対するコントロール(国家権力であれ企業の権力であれ)
では、権力集中・強大化をどうコントロールするか
アドバイザー:私的所有権。市場経済の自由放任。分権的市場が権力をコントロールする。(分権的市場→権力をコントロール)
首相:市場経済。しかし、自由放任では企業権力やそれと国家との癒着を排除できない。アダムス、ブロック自身もこの点では同様。権力が分権的市場を歪める。
(権力→分権的市場を破壊)
著者によれば、分権的市場経済を確保するための規制が必要(アダムス・ブロック編[2001/2002])
独占禁止法や環境規制
市場を歪める権力A→分権的市場の確保←規制の権力B
■パラドックス
3章の末尾で述べたように、分権的市場が機能するという理論は人間がホモ・エコノミクスと前提している。しかし、ホモ・エコノミクスが自分の都合のいいルールを設定しようと政治選択を行えば、分権的市場を支えるのに適切なルールが設定されることはほとんど期待できない。
だから、アドバイザーは137頁で政治的ルールと制約条件を設定するときは、「自己利益追求行動の制約を超えて、目標を高く持たねばなりません」というが、これは自己矛盾だろう。
著者は、首相のセリフをとおしてこの問題の所在を探っているように見える(139頁)。
7-2.別の考え方の例
■グローバリゼーションによる「新しいリスク社会」の到来(金子・神野・古沢・諸富[2000])
新しいリスク:発生する確率は低いが、いったん発生すると社会に壊滅的な打撃を与えるリスク
■ネット・グローバリゼーションによるリスク
サイバースペースは国境を超えた匿名取引であり、信用と信頼を形成しにくい
ネット取引を基盤すると金融市場は、著しく変動性の高い投機的な市場となる危険性が高い。アジア通貨危機やロシア金融危機の際に見られた伝染(contagion)が起きやすい
■バイオ・グローバリゼーションによるリスク
遺伝子操作に伴う生命資源の私有化・囲い込みは、リスク評価が不十分であり、バイオハザードの危険を高める
農業におけるスーパー品種への集中的依存は農産物品種の多様性を失わせ、単一の病気による甚大な被害などの遺伝子クライシスを招きやすくなる
■エコ・グローバライゼーションによるリスク
グローバルな環境政策は、アメリカの後ろ向きな態度や排出権市場の不安定によって十分に機能していない
■対抗戦略としての「安全と環境」
サイバースペースでの認証システムの確立
リナックスに見られるOS・規格のオープン化による独占の抑制。これを他の局面にも導入する
環境保護と地域政策を結びつけた農業保護の戦略化
なぜ「新しいリスク」は市場に内部化できず、市場化と自由放任を進めることによってかえってリスクが高まるのか?
↓
主流派経済学と異なる市場観の必要性
市場はもともと参加者相互の信頼がないと機能しない(「顔が見えない」ことの危険性)
→市場を機能させるセーフティーネットが必要
人は他人に影響されずに自己の利益が何であるかを判断し、それに従って行動することは難しい
→弱い個人、他人に影響されやすい個人を前提した理論と政策の必要性
7-3. おわりに
■政治経済学的思考とは
さしあたりは、経済現象を政治現象や社会構造との関連に重点を置いて解明しようとすること(第1章参照)。
より深くは、主流派経済学(理論経済学)が政治・社会・文化・人間に関する特定の前提の上に成り立っていることを明らかにし、その前提を問い直すことを通して、よりリアルな認識をめざすこと(経済学批判)。
<文献>
ウォルター・アダムス&ジェームス・W・ブロック(編)(金田重喜監訳)_現代アメリカ産業論 第10版_創風社_2002/04_原書2001年。以下を参照。
ブロック(川端望・佐藤直子訳)「自動車産業」
ブロック(川端・榊原雄一郎訳)「自由企業経済における公共政策」
宇沢弘文_自動車の社会的費用_岩波書店_1974/06_
ロナルド・H・コース(宮沢健一・後藤晃・藤垣芳文訳)_企業・市場・法_東洋経済新報社_1992/10_第5章「社会的費用の問題」を参照。
氏川恵次_中国山西省の環境問題と農村における「私営」鉄鋼業_研究年報『経済学』第62巻第4号、東北大学経済学会_2001/02_
川端望_世界の中の山西省鉄鋼業:銑鉄を中心に_『研究調査シリーズ』第8号、東北大学大学院経済学研究科工業経済学研究室_2002/02_以下からダウンロード可能。
http://www.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/gorinlec.pdf
金子勝・神野直彦・古沢広祐・諸富徹_グローバリズムに対抗する戦略(上)_『世界』2000年6月号、岩波書店_2000/06_
金子勝・神野直彦・古沢広祐・諸富徹_グローバリズムに対抗する戦略(下)_『世界』2000年7月号、岩波書店_2000/07_