「経済学入門A」Q&A その3

更新:/2002/05/28

Q:527日の講義では、企業の行動目標の分散化とその問題性に関して「企業自体の成長」があげられていますが、このことがどういう過程を経て問題となるのかわかりません。

<回答>

 質問の意味がつかみにくいのですが、たぶん以下の2点なのだと思います。

1.企業が「企業自体の成長」を行動目標にするようになるのは、どのような理由によるものか。

2.企業が「企業自体の成長」を行動目標にすることの何が問題だと講義で言いたかったのか。

 

1.について。

 企業が企業自体の成長を目標にするという事態は、ある時期の日本の企業についてもアメリカの企業についても指摘されています。ここでは、もっともよく指摘されるところの、戦後の日本企業を取り上げます。

 この理由の説明は学者によって様々であり、それぞれの理論を学ばないと理解しにくいところがあります。そこで、さしあたりもっとも理解しやすい説明を紹介します。

 日本の大企業は、互いに株式をもちあうことによっていくつかの企業集団を形成してきました。持ち合いのほかにも系列融資や役員派遣などを通じて企業間の連携を保ってきました。三井、三菱といったグループのことです。この株式持ち合いは、銀行がある程度の中心になっていますが、どこか親会社的な役割を持つ会社が一方的に子会社の株式を持つのではなく、互いに持ち合うところが特徴です。こうした株式の持ち合いは、1950年代に企業集団の形成とともに始まり、1960年代後半から70年代にかけて、資本の自由化に対応して乗っ取り防止のための安定株主工作が進められたことで強化されました。

 株式持ち合いにおいては、相互に会社が会社の株主になっていますので、株主の立場から一方的に所有権に基づく意思の強制を行うことが困難です。そもそも当事者たちが、乗っ取り防止と企業間の緩やかな強力のために株式を保持していますから、高い配当や高い株価を強く求めることもありません。しかし、緩やかに結合した企業が利益をあげて成長することは互いにプラスになりますから、これは強力に求められます。こうして、株主の立場からの利益や、経営者の個人的な利益よりも、企業自体の存続と成長が追求されることになったと言われています。

 ただしこの構造が、最近の株主の利益を重視した経営へのシフト、企業集団の再編成や弱体化によって変化していることも注意する必要があります。

 

※参考

奥村宏『株式会社はどこへ行く 株主資本主義批判』岩波書店、2000年。

 

2.について

 株式会社における所有と経営のあり方は、社会や時代によって異なります。しかもそれは、株主が経営者の行動を監視しきれないという現実的な前提を置く限り、必然的にそうならざるを得ません。

 つまり、経済を市場化すれば、株式会社の唯一正しいあり方があらわれるというようにはならないということです。経営者支配の株式会社が主流の資本主義もあり得ますし、株主の利益がより優先される株式会社が主流の資本主義もあり得るということです。

 

※参考

伊東光晴「社会主義と自立経営」(伊東『現代経済の変貌』岩波書店、1997年、所収)。

 

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