第八章 開発
第一節 セン
[経済学の分析対象として開発途上国が出現した]
第二次世界大戦が終わると、「経済学は開発途上国(開発途上地域を含む)を分析できるか」という問題がクローズアップされることになりました。
かつて第一次世界大戦は、参戦した諸国にとって、国内の総力戦でした。「前線」と「銃後」の区別がなくなり、大人も子供も男性も女性も、国民はすべて何らかのかたちで戦争に参加しました。だからこそ、戦後になると、「権利なくして義務なし」とばかりに、各国で国民の同権化が進みました。女性に参政権が認められたのは、その典型的な例です。ただし、第一次世界大戦に参戦したのは、欧米諸国や日本など、基本的には先進国でした。先進国は広大な植民地を抱えていましたが、植民地と本国の同権化が論じられることはほとんどありませんでした。
これに対して、第二次世界大戦は地球規模での総力戦でした。戦争の規模が大きくなり、参戦した先進国も植民地の力を借りなければ戦争を続けられなくなったのです。というわけで、当然ながら、戦後は植民地から同権化、つまり独立の要求が噴出します。先進諸国もこの動きを抑えきることはできず、戦後から一九六〇年代にかけて、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカなど、各地で植民地が独立します。この独立諸国は、やがて、国際政治のなかで大きな発言力を持つようになります。
ただし、問題がこれで終わったわけではありません。植民地だったこともあって経済開発が遅れていたこれら諸国は、独立するや否や、国内経済の開発を進めるという課題に直面します。他方で、これら諸国の発言力を考えれば、先進国もこの課題を無視するわけにはゆきません。というわけで、開発途上国の経済開発は世界全体の問題になります。そして、経済開発が経済の領域に属する以上、経済開発を進める方法を提供するのは経済学の課題です。
[経済システムの「出発点」の問題を分析するには、どうすればよいか]
経済学の対象は経済システムであり、経済開発はその一部です。だから当然経済学は経済開発を分析できるはずだ、といえそうですが、実際はそう簡単ではありません。
経済システムの中枢をなし、経済学の分析対象としても重視されてきた市場をめぐる議論を見ると、二つの前提にもとづいていることに気付きます。市場が存在すること、そこでは市場メカニズムがちゃんと働く(はずである)こと、この二つです。
でも、人類の歴史を顧みると、市場がいつも存在するわけではありません。人々が自給自足する社会や、支配者が市場を通さずに財を分配する社会は、いつの時代にもありました。むしろ「人間の経済は、一般に、人間の社会的諸関係の中に沈み込んでいる」(ポラニー[a]六一頁)といったほうが正しいかもしれません。(1)たとえ人々が取引をするために集まったとしても、それだけで市場ができるわけではありません。また、市場ができたとしても、すぐに市場メカニズムがうごきだす保証はありません。偽物を売りつけようとする売り手や、腕力で値段を下げさせようとする買い手ばかりだったら、市場メカニズムなんて夢のまた夢です。
では、市場の、さらには経済システムの「出発点」はどこにあるか。もちろん、この問題を論じた経済学者がいなかったわけではありません。たとえば、スミスは、「同感」と「利己心」をキーワードに、経済システムが生まれるメカニズムをときあかしました。でも、その後、出発点の問題が経済学者の関心を惹いた様子はありません。それは、ほとんどの経済学者は先進国に生まれ、先進国の経済を見ながら課題を設定し、先進国の経済に当てはまる所説をつくりあげたからです。先進国では、基本的に、すでに経済システムはできあがり、機能しています。すでに存在するものを論じる際は、もう一度出発点から始めるよりは、存在を前提にするほうが効率的に違いありません。
ところが、第二次世界大戦後になって、経済システムの出発点がふたたび問題になります。それは、開発途上国では経済システムが十分に機能していないことが多く、開発を進めるには経済システムをきちんとつくりあげなければならない、ということが明らかになったからです。経済学がこの事態に対応し、開発途上国を分析するためには、経済システムの出発点を視野に入れた新しい「ものの見方」が必要でした。この、新しい「ものの見方」を採用し、第二次世界大戦後に姿を現した経済学が「開発経済学」です。
[経済開発はどう定義すればよいか]
開発経済学は、開発途上国を分析する際に使えるツールを一からつくりだしたわけではありません。必要なのは、新しいツールではなく、新しい「ものの見方」でした。とすると、経済システムの出発点から論じるという「ものの見方」に立ちさえすれば、あとは、どんなツールを利用してもよいはずです。そう考えると事態は簡単そうですが、実際には問題は山積していました。
そもそも「経済開発」とは何かが大問題です。「開発(デベロップメント)」と似ていて、しかも、これまた経済学でよく使われる言葉に「成長(グロウス)」があります。これは要するに「大きくなること」ですから、「経済成長」が所得や生産量や消費量の伸びを意味していることはすぐにわかります。これに対して「開発」とは「開き起こすこと」ですが、どうすれば開き起こしたことになるかは難問です。「開き起こす」という動詞には「より良くする」という語感がありますから、経済開発とは「経済をより良くすること」です。では、何がどうなれば、経済がより良くなったことになるか。国民所得が増えることだといわれれば、そんな気もしますが、それに伴って(よくあることですが)貧富の格差が広がったら、判断に迷うはずです。貧困層の数が減ることだといわれれば、そんな気もしますが、それに伴って(これまたよくあることですが)経済活動が停滞したら、やはり判断に迷います。
経済開発を論じるのであれば、その定義から始めなければなりません。そして、経済開発の定義には様々なものがあります。これが、まず開発経済学が直面した問題でした。そして、開発経済学が開発途上国の問題を解消するという実践的な課題を託された分野である限り、「経済開発」という語をどう定義するかという問題は、単なる言葉の問題ではなく、どんな開発政策を提唱するかという現実的な問題とむすびついていました。もちろん、全ての開発経済学者が経済開発を定義することにこだわってきたわけではありません。とはいえ、様々なツールのなかから一つを選ぶとき、必然的に開発経済学者は一つの定義をえらびとることになります。意図的か否かは別にして。
[センは一般不可能性定理に衝撃を受けた]
開発経済学という分野は、「経済」や「開発」という言葉を定義し、経済システムの出発点を考察し、ツールをえらびとり、実践的な課題を担う、という特徴を持っています。そのため、古典派やマルクス派や新古典派や制度学派やケインズ派といった様々な学派や、厚生経済学や公共経済学といった様々な分野と、色々なかたちで接点を持つことになりました。こんな開発経済学の深くて広い性格を体現する経済学者の一人がセンです。
彼の出発点は社会的選択理論、とくにアローの一般不可能性定理です。これによって「常識的な社会的選択はありえない」ことが証明されたと考えた人もいますが、センは違いました。彼は、この定理を構成する様々な概念を再検討する道を選びます(セン[a]五九〜六一、一〇三頁)。そのうえで、彼は、常識的な社会的選択が不可能にみえるのは、この問題を考える際にアローが、さらには経済学者たちが用いた枠組が狭すぎるからだ、と考えることになります。(2)
例として、新古典派経済学がもっとも重視するパレート最適を考えてみます。「それ以上変えると誰かの損になり、全員の得にはならなくなる点」であるパレート最適を基準にして様々な経済活動を評価するという考え方は、なかなかもっともです。他方で「寝相や家の壁の色といったプライベートな問題については、ぼくらには自分で決める自由がある」という考え方を「自由主義」と呼ぶとすると、これまた、なかなかもっともです。ところがセンは、この二つの「なかなかもっとも」な考え方は相矛盾していることを証明してしまいます。
まず、パレート最適をさらに弱めて「社会の全成員が一致してある社会状態を選好するならば、社会全体にとってもその状態を選択するのがより望ましいと判断されねばならない」というルールを考え、これを「パレート原理」と呼びます。次に「ことの成り行きを各個人が自由に決定すべき、何らかの私事が存在しており、それらの間での選択に関しては、各人がより望ましい選択肢だと思うことが(他人がどう考えようとも、そのまま)社会にとってもより望ましいと受けとめられねばならない」というルールを考え、これを「自由主義」と呼びます(セン[d]三六頁)。
いま、A氏とB氏がX、Y、Zという三つの選択肢から一つを選ぶ場合を考えます。A氏はYよりXを好み、B氏はXよりZを好むが、これは自由主義のルールにもとづいて尊重されなければならないプライベートな問題にかかわる好みだ、とします。そうすると、自由主義というルールを守るためには、社会全体ではYよりはXを、そしてXよりはZを選ばなければなりません。他方で、A氏もB氏もZよりはYを好むとします。そうすると、パレート原理からして、社会全体ではZよりもYを選ばなければならないことになります。ところが、これは、YよりはZを選ばなければならないという自由主義のルールに矛盾してしまいます(セン[d]六頁)。パレート最適をつきつめてゆくと「個人の自由の最低限の保証さえ取り消されてしまうことがおそらく避けがたく生じる」(セン[d]八六頁)のです。
センによれば、こんな問題が起こるのは、パレート原理を含むパレート最適というルール、さらにはパレート最適の基本をなす「利益を最大にすればよいという考え方」に問題があるからです。でも、パレート最適は新古典派経済学の理論的な中核であり、利益を最大にすればよいという考え方は新古典派のみならず多くの経済学が採用してきた基本的な仮説だったはずです。こうして、センは経済学の枠組そのものを再検討しはじめます。
[「潜在能力」とは何か]
社会的選択が必要になる具体的な例としては「財をどう分配すればよいか」という問題があります。これは、まさに厚生経済学の中心的なテーマです。
この問題を考えるには、まず「財の分配にかかわる経済的な不平等をどう測定すればよいか」という問題を解かなければなりません。センは、経済学の枠組を再検討する第一歩として、経済的不平等を定義し、測定するという作業にとりかかります。
財の分配の不平等度を測る方法については、最大値と最小値の差とか、標準偏差とか、様々な方法が考案されています。センは、貧困層から富裕層への所得の移転を数字に反映させられるか、財の分配量の変化は富裕層より貧困層に大きな影響を与えることを表現できるか、という二つの基準を用いて、これらの方法を検討しました。そうすると、どの基準にも一長一短があることがわかります。
ただし、センは、財の分配の不平等は正確に測定できない、あるべき財の分配なんて考えるだけ無駄だ、とは考えません。そもそも不平等は「何らかの基準を念頭に置き、それと比較するときに、はじめて不平等だといえる」という意味で、相対的なものです。センは基準として使えそうなものとして「ニーズ(必要度)」と「功績」を挙げ、両者を比較したうえで「不平等の概念など分配上の判断を下すための基礎として、必要度は功績よりも高い優先順位を持つべきだ」(セン[b]一一九頁)と主張します。財の分配の不平等度を測定する場合は、財の分配量だけを考えるのではなく、ニーズと比較しなければなりません。そのうえで、財をどう分配するかを決めればよいわけです。
財の分配の不平等度を測定したあとで、ようやく、財をどう分配すればよいかが問題になります。財を分配する目的は人々に良い生活(福祉)を保証することですから、財の分配の正しい方法をみつけるためには、各々の個人の福祉の水準を測らなければなりません。その方法としては、たとえば、各自が持っている財の量を調べることがあります。でも、財が沢山あるからといって、良い人生を送っているとは限りません。財の量は、基準としては客観的すぎます。では、生活に対する満足の度合い、つまり効用の大きさを調べるという方法はどうか。でも、世の中には、厳しい現実に妥協せざるをえず、苦境を甘受している人がいます。彼(女)たちが良い人生を送っているとは思えません。効用の大きさは、基準としては主観的すぎます。
センは「人が成就しうること」(セン[e]二二頁)を意味する「機能」に着目します。財を持ち、それを利用し、何らかの機能を実現することによって、効用が得られます。機能は財と効用をつないでいます。「何を持っているか」でもなく「どれくらい満足しているか」でもなく、「何ができるか」によって福祉の水準は決まります。財は福祉の手段であり、効用は福祉の結果です。
センは「個人……が機能の選択に関して持つ自由度」を「潜在能力」(セン[e]二五〜六頁)と呼びます。「よい人生とは真の選択ができる人生」(セン[e]九一頁)です。潜在能力が高ければ様々な活動ができるし、様々な活動ができれば良い人生を送れるし、良い人生を送れればニーズがみたされている、というわけです。
潜在能力に着目するのは、「人間とは全く多様な存在である」(セン[g]一頁)という事実を尊重しなければならないからです。財や効用から福祉の水準に接近したのでは、人間の多様性は考慮に入りません。「何ができるか」を表す機能に着目し、機能を選択する自由を重視することによって、はじめて経済学は人間の多様性に接近できます。
センは、潜在能力の大きさ、いいかえれば「真の選択ができる」可能性を基準として各々の個人の福祉の水準を測定し、それをもとにして財を分配すればよい、と主張します。潜在能力に着目して財の分配を論じる彼の所説は、理論的に十分彫琢されてはいませんでしたが、厚生経済学のみならず経済学全体の枠組を再検討しようとするものでした。
[かくしてセンは開発経済学に至りついた]
潜在能力が制約され、「真の選択ができる人生」を送りづらい場所といえば、貧困が残る開発途上国です。どうすれば貧困をなくし、人々の潜在能力を拡大できるか。こうして、センは開発経済学に接近してゆきます。というよりも、センの関心はもともと貧困の問題にあったのかもしれません。彼は世界史上最大の飢饉の一つ「ベンガル大飢饉」(一九四三)の目撃者でした。
貧困は「ベーシック、もしくは最低限の、ニーズ……を満たすことができないこと」(セン[c]三七頁)と定義できますが、その典型が飢饉です。一般には、飢饉は旱魃や水害によって食料の生産量が減り、供給が需要をみたせなくなったときに発生する、と考えられています。でも、二〇世紀に世界各地で起こった大飢饉を検討すると、これは正しくありません。いずれの場合も、食料の生産や供給は十分でした。
食料があっても飢える人がいるということは、飢饉は「十分な食べ物を持っていない人々を特徴づける言葉」であって「十分な食べ物がそこにないという状況を特徴づける言葉ではない」(セン[c]一頁)ことを意味します。飢饉をはじめとする貧困を論じるためには、財(食料など)と人間の関係、つまり所有の構造を考慮しなければなりません。センは合法的な手段で財を入手する能力を「権原(エンタイトルメント)」と呼び、貧困に陥るか否かは権原の水準によって決まると主張します。飢饉に即していえば、食料を手に入れる能力を十分に備えている人は飢えません。開発途上国に生きる人々の権原を拡充することを「開発」と呼ぶとすれば、権原を拡充することが開発経済学の課題です。
センは「開発とは、人々が享受する様々な本質的自由を増大させるプロセスである」と考え、「開発の目的は不自由の主要な原因を取り除くこと」(セン[h]一頁)にあると主張します。たしかに、自由が普遍的な価値を持つことはひろく認められています。ただし、自由には思想や信条や内心の自由、政治活動の自由、経済活動の自由といった様々な種類があるし、さらには相対立する場合もあります。ですから、開発経済学の土台にするのであれば、自由をきちんと定義しなければなりません。
センは、基本的な自由を「自分にとって価値がある生活を選択する能力」と定義します。この自由は個人の主体性や能動性や潜在能力を高めてくれるはずであり、それを広げるメカニズムを考えるのが開発経済学者の仕事です。そのうえで、彼は様々な種類の自由が存在することを認めます。これらの自由は、基本的な自由を実現する手段とみなされます。たとえば、経済活動の自由は、富を必要とする生活を選択する場合は、富を得る手段つまり基本的な自由を得る手段になります。そして、彼は、様々な自由は大抵(相対立するのではなく)発展を促しあうと考えます。開発途上国の開発政策については、しばしば「政治活動の自由が先か、経済的なニーズの充足が先か」という問題が論じられますが、これは間違った問題設定です。開発途上国の歴史や現状をふりかえると、政治的な自由が存在した地域の方が、経済的な自由がよく実現されている、ということがわかります。二つの自由は、政治的な自由があれば異議申立ができ、異議申立が圧力になって(経済政策が修正されて)経済的な自由が実現されるという、正のフィードバックの関係にあるのです。また「自由には責任が伴う」という台詞をよく耳にしますが、「適切な社会的機会を与えられれば、個々の人間は自分の運命を効果的に構築し、互いに助け合うこともできる」(セン[h]一〇頁)はずです。責任を取るには、自由が必要です。
こんなセンの自由観は、もともと人間は潜在能力を持っているし、「人間には生きる世界を自分たちで発展させ、変える責任がある」(セン[h]三二五頁)という、人間に対する信頼にもとづいています。
センにとって、開発は自由を実現する手段であり、自由は開発を促す手段です。開発の目的は、圧政や不寛容や窮乏といった不平等をとりのぞき、人々の権原を拡充させて潜在能力を発揮させるために、政治的社会的あるいは経済的な自由の発展を促すことにあります。そして、開発を実現するためには、教育や医療や福祉といったセーフティ・ネットを拡充したり、政治過程や取引に対する人々の参加を認めたり、経済の成長によって生活の質を改善したりしなければなりません。
センの所説は、自由、開発、貧困といった基本的な概念を再検討することを開発経済学に迫っていました。それは、賛否両論をまきおこしつつも、経済学界にも、あるいは開発の現場にも、大きな影響を及ぼすことになります。(3)
[そして、経済学の枠組の再検討へ]
社会的選択理論、厚生経済学、そして開発経済学の分野でつねに重要な問題提起をしてきたセンの研究スタイルには、常識とされている概念を再検討することによって議論を深めてゆくという特徴があります。「経済分析で用いる一連の変数や様々な影響関係についての視野を修正し、かつ拡大することが必要」(セン[f]一一七頁)なのです。こんなスタイルを採る彼が経済学の枠組そのものの再検討に導かれたのは、当然といえば当然かもしれません。
経済学には「こうあるべきだ」と主張する規範的な側面と「こうなっている」ことを明らかにする実証的な側面とがあります。このうち規範的な側面は、とくに二〇世紀に入ると、「科学的でない」といった理由のもとに、経済学から排除されてゆきます。でも、センによれば、この傾向は、規範的な側面のみならず実証的な側面にもデメリットをもたらしました。「現実の人間行動に影響を与える多様で複雑な倫理的考察」(セン[f]二四頁)を排除すると、実証的な水準も下がってしまうのです。
実証的な水準にすら問題をもたらした例として、センは経済人という仮説を挙げます。経済学は、自分の利益を最大にすることを目指し、合理的に行動する人間を想定します。日常生活を顧みればわかるように、こんな人間像を頭ごなしに否定することはできません。でも、ぼくらが行動する際の動機は、自分の利益を最大にすることだけではありません。正義感や義務感にもとづいて、あるいは大切な人のために、自分の利益を顧みずに行動することだってあるはずです。とすると、経済学の基本をなす人間観も、現実を明らかにするためには複眼的なものでなければなりません。
複眼的な人間観に至る一つの試みとして、センは「道徳的情報に関する四分類」(セン[f]一〇八頁)を提示します。人間の目的としては、豊かな生活を送ること、自分にとって価値ある行為を遂行すること、この二つがあります。人間の着目点としては、成果と自由があります。そうすると人間は、豊かな生活を求める自由、豊かな生活という成果、価値ある行為を遂行する自由、価値ある行為を遂行したという成果、という四つの側面から分析できます。
センの試みの背景には、経済学と倫理学をつなぎ、それによって経済学をさらに進化(深化)させようとする意図があります。ここに経済学の一つのフロンティアを見ることができます。
第二節 開発をめぐる考察の系譜
[開発経済学は様々な経済学の力試しの場である]
開発経済学は「開発途上国の開発を進める」という目標で結ばれた分野です。この定義は二つのことを意味しています。まず、独自のツールが存在するとか必要になるとかいうわけではなく、むしろ様々なツールの応用の場という色彩が濃いこと。開発経済学は「応用の学」です。次に、どんなに理論的に優れたツールでも、開発経済学の目標にそぐわなかったり、開発途上国の現実を説明できなかったりした場合は、放棄され、あるいは修正されてしまうこと。開発経済学は「実践の学」です。こんな性格を持つ開発経済学は、第二次世界大戦後に誕生以来、経済学の潮流に対応しながら、また開発途上国における経済開発の現状を反映しながら、変化してきました。開発経済学は、現実の説明力と、将来を見据えた政策提言力をめぐる、様々な経済学の力試しの場です。
ただし、全ての開発経済学者が「経済開発とは何か」という問題に悩んできたか、というと、そうではありません。たしかに、様々な経済学が力試しをするときには、「経済開発」といった基本的な概念についても意見が対立し、そのなかで議論が深められてゆく可能性があります。でも、経済学をツールとして応用する場合は、既存の経済学の概念や枠組そのものを疑わず、単にそれを現実に応用することもできます。むしろ、そのほうが簡単だから、ありがちかもしれません。開発経済学の分野でも、利用されるツールは様々に変化してきましたが、大抵の場合、経済開発は「一人当たりの所得の増大」といった常識的な概念で捉えられています。経済開発の意味や概念そのものが問いなおされるには、センの登場を待たなければなりません。
だからといって、セン以前の開発経済学を顧みることは無意味ではありません。応用兼実践の学という性格からして、また、開発途上国の経済開発に寄与するという大切な義務を課せられているという事情からして、開発経済学者は様々に試行錯誤し、様々な所説を提示し、様々な政策を提言してきました。
[ヌルクセは「貧困の悪循環」を問題にした]
第二次世界大戦直後の開発経済学をリードした経済学者がヌルクセ(エストニア、一九〇七〜五九)です。彼の基本的な問題関心は、開発途上国が「貧困の悪循環」を脱するにはどうすればよいか、という点にありました。
貧困の悪循環とは「一国は貧しいが故に貧しい」(ヌルクセ[a]七頁)ということ、つまり貧困が貧困の原因になっているということです。しかも、この悪循環は二重です。ヌルクセによれば、開発途上国には、人々は貧しいのでものを買う力(購買力)がない、ものが売れないので経営者は投資をする気にならない、投資がされないので産業の生産性が低い、産業の生産性が上がらないので人々が貧しい、という悪循環が成立しています。それだけではありません。人々は貧しいので貯蓄できない、貯蓄がなされないので投資をする資金がない、投資資金がないので投資がされない、投資がされないので産業の生産性が低い、産業の生産性が上がらないので人々が貧しい、という悪循環も成立しています。両者の働きによって、開発途上国は貧しいまま一種の均衡に至ります。これが「低開発均衡」(ヌルクセ[a]一六頁)です。
開発途上国の苦境に対するヌルクセの診断の背景には「投資要因は市場の大きさによって限定される」(ヌルクセ[a]九頁)という基本的な発想があります。お金がないのでものを買わず、そのせいで生産者の生産意欲をかきたてられない消費者、売れそうもないので生産を躊躇し、そのせいで消費者の大部分を占める労働者を豊かにできない生産者、これは両すくみの状態です。これでは市場メカニズムは働きません。というよりも、市場そのものが存在できません。市場の存在を前提にする新古典派経済学は開発途上国を分析できない、ということになります。
ヌルクセは、どれか特定の産業だけに投資しても貧困の悪循環は打破できない、と考えます。たとえば製靴業だけに投資し、安く靴を作ることができるようになっても、消費する側が貧しいままだったら、売れゆきは変わらず、経営者は投資のもとをとれません。全ての産業に投資して「均衡のとれた成長」(ヌルクセ[a]一七頁)を目指すことによって、はじめて各産業の生産物市場は拡大し、経営者は投資をする気になります。したがって、開発途上国には、輸出用品ではなく国内消費用品の生産を促す投資が必要です。こんな投資にもとづく経済開発を「輸入代替工業化」と呼びます。また、全ての産業が均整を保ちながら成長するには、政府による計画的な介入が必要です。
ヌルクセは、開発途上国にみられる貧しい農村部では農業が必要以上の労働者を吸収していることに注目し、この現象を「偽装失業」(ヌルクセ[a]四八頁)と呼びます。彼(女)たちは一応農民として働いていますが、いてもいなくても農業生産量は変わらないような存在、つまり一種の居候です。いま、彼(女)たちが離村し、都市部で工業に従事するようになったとします。居候が減っただけなので、農業の生産量は変わりません。農村部では、人口が減りますから、住民の一人当たり所得は増え、貯蓄の源が生まれます。工業は資金と労働力を発見します。ここから貧困の悪循環がほころびはじめます。ヌルクセによれば、離村による偽装失業の解消こそ経済開発の第一歩です。具体的には、ヌルクセは「国家によって強制された何等かの形の集団的貯蓄」(ヌルクセ[a]六四頁)を提唱します。税金の賦課など様々な方式が考えられますが、とにかく貯金を天引きすれば農家は居候を抱えられなくなるし、ついでに貯蓄を促せるし、まさに一石二鳥です。(4)
「投資誘因は市場の大きさによって限定される」というヌルクセの基本的な発想は「分業は市場の広さによって限定されるというアダム・スミスの有名な命題を近代的に変形したもの」(ヌルクセ[a]九頁)です。また「低開発均衡」は「ケインズによって可能性が印象づけられた……過少雇用均衡とある程度類似している」(ヌルクセ[a]一六頁)し、政府の介入が必要だとする立場もケインズと共通しています。(5) ヌルクセは、スミスとケインズの影響をおおきく受けています。そして、その背景には、開発途上国の経済を分析する際に新古典派経済学は有効でないと考える彼の判断がありました。
ヌルクセの政策提言は、一九五〇年代から六〇年代にかけて、開発途上国の間に大きな反響を呼びます。経済開発を急ぐ開発途上国にとって、公的介入は不可欠の手段にうつりました。独立したばかりの多くの発展途上国にとって、輸入代替工業化は経済的な独立を意味していました。さらに、インドなど、実際にヌルクセの政策提言を採用し、経済開発に成功した事例もありました。ただし、これは、インドなどの経済開発が失速するとヌルクセに対する逆風が吹く、ということも意味していました。
[シュルツは新古典派経済学にもとづく開発経済学を提唱した]
一九六〇年代後半になると、インドをはじめとして、公的介入と輸入代替工業化という政策を採用した諸国の経済開発が停滞しはじめます。この事態を前にして、ヌルクセの所説は影響力を失います。また、この事態の評価をめぐって、開発経済学者は二つの立場に分かれます。開発途上国の内部に問題があると考える人々と、開発途上国の外部つまり先進国に問題があると考える人々です。このうち前者の立場をいちはやく体系化したのがシュルツ(合衆国、一九〇二〜九八)です。
多くの開発途上国にとって、最大の問題は貧しい農村部や農民を抱えていることでした。農村部や農民が貧しいのは、農業の生産性が低いからです。開発途上国の農業を「慣習的農業」と呼ぶとすると、慣習的農業の生産性が低い理由は何か。ぼくらは(開発途上国に偏見を持っているせいか)ともすれば「農民は合理性を欠き、怠惰で浪費家だから」といった所説に飛びつきがちです。でも、シュルツの診断によれば、こんな俗説は間違っています。たしかに彼(女)たちは長時間働いていないかもしれませんが、それは労働時間を延ばしても見返りが少ないからです。資金を貯めて投資することを嫌っているかもしれませんが、それは投資しても見返りが少ないからです。彼(女)たちは合理的に計算したうえで労働時間や投資額を決める経済人であり、合理的なのに貧困なのです。こうして、慣習的農業は、資金も労働力も余っているのに、一種の均衡に至ります。
投資や労働を追加することに対する見返りが少ないのは、昔からの技術を使っているからです。古い技術に頼るのは、新しい技術を導入することにはリスクや不確実性が伴い、農業に生活のみならず生存がかかっている農民には手を出しにくいからです。
シュルツとヌルクセは、開発途上国は一種の均衡状態にあり、その苦境の原因は国内にある、とする立場を共有します。ただし、ヌルクセは農民の性格をふかく検討しなかったのに対して、シュルツは農民を経済人とみなします。この違いは、二人が下す処方箋の違いとなって現れます。
シュルツによれば、慣習的農業の最大の問題は技術の古さにあります。だから、農業の生産性を上げ、余っている労働力や資本を活用し、農業生産を増やせば、現在の均衡を打破して経済開発を開始できます。経済開発の動因をおもに工業に求めたヌルクセに対して、シュルツは農業こそ経済開発のカギだと考えます。
シュルツが提示する処方箋は、新しい技術を導入することです。もちろん農民には新しい技術を開発したり導入したりする動機や資金はありませんから、政府や国際機関といった非営利団体が技術の開発を担う必要があります。また、新しい技術のメリットを理解してもらうために、農民に教育を受ける機会を提供する必要があります。これさえすれば、経済人である農民は自分の利益を理解し、新しい技術を採用するはずです。市場メカニズムが自分の役割を果たしはじめるはずです。
シュルツは、農民を経済人とみなし、市場メカニズムの機能を信じる点で、基本的には新古典派経済学に則っています。ですから、公的な介入には懐疑的です。彼によれば、技術開発に適しているのは、政府よりはむしろ民間非営利団体です。政府が無理して強制貯蓄をしたり、「均衡のとれた成長」を目指して経済計画を立てたりする必要はありません。また、輸入代替工業化にこだわる必要もありません。むしろ生産性が高い産業が生まれれば、その生産物を輸出して外貨を稼いだほうが効率的です。こうして、シュルツの所説は「輸出志向型工業化」と呼ばれる政策の土台をなすことになります。開発途上国の現状の診断をめぐってはヌルクセと多くを共有していたシュルツですが、彼が提出した処方箋はヌルクセのものと正反対の方向を向いていました。
ヌルクセの処方箋に従った諸国とは対照的に、輸出志向型工業化を選択した諸国(韓国、台湾、シンガポールなど)は高度成長を達成します。マクロ経済学界でも、新古典派的な所説が復活します。こんな事態を受けて、シュルツの所説は広い支持を集めることになります。とくに、一九七〇年代後半から、国際援助機関である国際復興開発銀行(世界銀行)や国際通貨基金は、市場メカニズムが働く方向に向けての改革を意味する「構造調整」を実施することを援助の条件とし、また援助を構造調整の資金とすることを求めはじめます。新古典派的な開発経済学の全盛期が始まります。
[「新従属論」は、貿易は不等価交換だと主張した]
同じく一九六〇年代に生まれ、ラテン・アメリカ諸国を中心に広まったのが「新従属論」と呼ばれる所説です。この立場に立つ経済学者は、新古典派的な開発経済学者とは逆に、開発途上国の停滞は先進国に責任があると主張します。ちなみに彼(女)たちが「新」を名乗るのは、ヌルクセたちの立場を「旧従属論」と呼び、それと自分たちを区別するためです。
新従属論がラテン・アメリカを念頭に構築され、この地で広まったのは、偶然ではありません。ラテン・アメリカは豊かな地味と鉱物資源に恵まれていますが、一五世紀に始まる大航海時代にポルトガルやスペインの植民地になって以来(独立を経ても)今日まで貧しくなる一方です。その理由を問うことから、新従属論が生まれます。
新従属論を代表するのがフランク(ドイツ、一九二九生)です。彼の所説は「低開発の発展」(フランク[a]一四頁)という言葉に集約できます。(6)彼は、先進国と開発途上国が接触すると、先進国では開発が、開発途上国では貧困化が、各々進むと考えました。この貧困な状態が「低開発」であり、貧困化が進むことが「低開発の発展」です。低開発は、かつての先進国の状態を指す「未開発」とは違います。先進国が未開発だった時代には、先進国はなかったのですから。
フランクは、先進国と開発途上国の関係を「中枢」と「衛星部」の関係と呼びます。そして、中枢は貿易をはじめとする経済関係によって衛星部から富を搾取すると主張します。両者が貿易によって接触すると、中枢は衛星部を搾取して開発の道を進み、衛星部は中枢に搾取されて低開発の道を進みます。こうして、両者の経済関係が深まれば深まるほど、両者の格差は広がります。さらに、開発途上国のなかにも、先進国との関係を利用して利益を得ようとする中枢と、開発途上国内部の中枢にも搾取されてしまう衛星部が生まれます。中枢と衛星部の関係は重層的です。
ここにはマルクスの影響がみてとれます。フランクは、不等価交換というマルクスの所説をとりいれ、先進国と開発途上国の貿易は不等価交換だと主張します。それまで、経済開発のための政策は「先進国との貿易は等価交換だ」という前提に立って論じられてきましたから、貿易が不等価交換だとすると、根本的に考えなおさなければなりません。開発途上国が「低開発の発展」を脱するには、中枢による搾取を脱する必要があります。それには、自給自足化するか世界革命を起こすしかありません。フランクが支持したのは後者でした。
新従属論にはいくつかの問題があります。「低開発の発展」の脱出策として提示される方法は、実現可能性を欠いています。また、衛星部は等価交換を求めるはずなのに、なぜ不等価交換がこんなに長く続くのか、明快に答えられません。そのため、新従属論は、理論的にも、あるいは開発の現場でも、非主流派に留まります。
[百花繚乱]
一九八〇年代は新古典派的な開発経済学の全盛期でした。でも、新古典派的な開発政策を採用した韓国や台湾やシンガポールの政府は、新古典派経済学の基本的な立場に反して、強力な権力を行使してきたはずです。一九九〇年代になると、これら諸国でも経済開発が停滞するようになります。こうして「新古典派アプローチのいきすぎた反動に対する振り子の揺れ戻し」(絵所[a]二二六頁)が始まります。
その結果、開発経済学の世界では、様々なアプローチが並存することになります。その一つがセンの所説です。それとともに、新古典派的な開発経済学は市場を活用せよというが、そもそも開発途上国にまともな市場は存在するのか、市場をつくりだすほうが先決ではないか、という問題が、あらためて議論の焦点になります。こうして、今日、開発経済学は百花繚乱の状態にあります。
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[註]
(1)市場の意味を考える際は、時間的空間的に市場を相対化して位置付けようとしたポラニーの試みが重要です(ポラニー[a])。
(2)鈴村たちによれば、一般不可能性定理は「狭隘な情報的基礎に立てば有意義な社会的厚生判断を形成することは論理的に不可能であることを異論の余地なく立証したという意味で、非常に積極的なメッセージを含む命題」(鈴村他[a]一〇四頁)です。
(3)センの所説は、国際開発復興銀行(世界銀行)や国連開発計画などを通じて、開発の現場に強い影響を与えています。前者については国際復興開発銀行編『世界開発報告』(丸善、イースタン・ブック・サーヴィス、東洋経済新報社、シュプリンガー・フェアラーク東京)を、後者については国連開発計画編『人間開発報告書』(国際協力出版会)を、各々参照。
(4)「偽装失業」という現象を都市部の工業の側から見ると、経営者は賃金を上げなくても(農村部出身の)労働者を好きなだけ雇えるということになります。ルイス(西インド諸島セント・ルシア、一九一五〜九〇)はこれを「現行の賃金での近代的部門への無制限の弾力的な労働供給」(ルイス[a]一五二頁)と呼び、これを利用して工業化を進めれば開発途上国は経済開発を実現できると主張します。
(5)ただし、ケインズは貨幣が経済プロセスに果たす役割を強調したのに対し、ヌルクセは「貨幣的政策は……市場の大きさの主なる決定因の一つではない」(ヌルクセ[a]二六頁)と主張します。開発途上国にとっての問題は、貨幣の機能云々ではなく、それ以前の購買力の大きさなのです。
(6) ちなみに、日本語だとわかりませんが、これは英語で「アンダー・デベロップメント(低開発)のデベロップメント(発展)」という掛け言葉になっています。
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[引用文献]
絵所秀紀[a]:『開発の政治経済学』(日本評論社, 1997)
セン(Sen, A.)[d]:『合理的な愚か者』(川本隆史他訳, 勁草書房, 1989, 原著1982, 部分訳)
セン(Sen, A.)[e]:『福祉の経済学』(鈴村興太郎訳, 岩波書店, 1988, 原著1985)
セン(Sen, A.)[f]:『経済学の再生』(徳永澄憲他訳, 麗澤大学出版会, 2002, 原著1987)
セン(Sen, A.)[g]:『不平等の再検討』(池元幸生他訳, 岩波書店, 1999, 原著1992)
セン(Sen, A.)[h]:『自由と経済開発』(石塚雅彦訳, 日本経済新聞社, 2000, 原著1999)
ヌルクセ(Nurkse, R.)[a]:『後進諸国の資本形成』(土屋六郎訳, 巌松堂出版, 1955, 原著1953)
フランク(Frank, A.)[a]:『世界資本主義と低開発』(大崎正治他訳, 柘植書房, 1976, 原著1964-72)
ポラニー(Polanyi, K.)[a]:『大転換』(吉沢英成他訳, 東洋経済新報社, 1975, 原著1944)
ルイス(Lewis, W.)[a]:『国際経済秩序の進展』(原田三喜雄訳, 東洋経済新報社, 1981, 原著1978-9)