第3回ミニットペーパー 2012年9月26日

・日本の宗教分離のあり方について時おり混乱を起こしていたのですが、昨日今日の授業を通して骨格が見えてきたように思います。「国民」という非常に重大な概念の定義でさえ(もしかしたら‘さえ’ではなく‘こそ’なのかもしれないのですが)、制定者の価値観や当時の時代的背景からの強い影響を免れえないのだと感じます。国籍についてはあくまで一例なのではありましょうが、このようにひどく恣意的で本来流動的な概念に依って形作られた認識が、いつのまにか伝統として「当たり前」だと錯覚されてしまうのは、私自身また気づけていない中にも多くあるのだろうと思いました。入学試験の傾向についても、解く側も出題側も「当たり前」だと思っていながらにして、エリートの価値観に依ってしまうものだったのだと知って驚きました。先生は学歴社会について欠点はあれど結局はプラスの要素が多いと評価されましたが、その理由についてより詳しくお聞きしたいと思います。
・4コマ目の講義を聞いていて、「生活保護受給者の子供は生活保護受給者になりやすい」といったニュースをやっていたことを思い出しました。やはり、親や家庭環境などの要因はその後の社会的上昇に大きな影響があるのだなと感じました。文化的再生産の問題がまったく無い社会にすることは不可能なんじゃないかと思いました。もし、実現するとすれば何もかもをくじ引きで決定するしかないのでは。
・本日の講義も、大変興味深く拝聴させていただきました。フランスは、革命によって成立した理念とは裏腹にかなり深刻な「身分社会」が形成されているという点は意外な気がしました。文化的再生産という現象は日本国内でも確認されるかもしれません。昨今は、高所得を有する親をもつ子弟が、私立の中高一貫校から国立の難関大に進学するケースが多いという記事も見かけます。また、国公立大学の学費も上がっていることで所得の低い親をもつ子弟がそこに進学するのが困難になっているという話も聞きます。文化的再生産という現象はこれからもますます顕在化するだろうと思われます。そして今後、何らかの形でこの傾向を緩和するのが必要になってくるだろうと思われます。
・本日の講義中で政教分離について、各国で原則の解釈や政教分離によって直面している現実が違うとあったが、それは、政教分離を導入或いは採用するさいの各国の前提が違うからなのかと疑問に感じました。また、学歴社会の循環するメカニズムの構図が、王朝中国の科挙システムに非常に似ていると感じました。科挙では、一代限りの身分という前提があるものの義荘という一族で運営する科挙受験学校などで一部の官僚は血統的に連続した科挙官僚を輩出していたのだが、このような科挙官僚の一族においても文化的再生産はありえたのかと考えました。
・三日目の授業では、特に日本とフランスの比較が興味深く、外国の歴史を学ぶことのひとつの意義が示されているように思った。寛容さについて日本のことを考えたとき、政教分離の観点でみれば「寛容」といえるかもしれないが、それはフランスと比べ宗教や人種などの多様性が大きくないこともあると思う。スカーフ事件にあるようにフランスはその点で不寛容な社会であるが、共和国の価値を受け入れれば社会に溶け込む可能性が提示されているのに対し、日本は社会で異質な人間(外国人や少数民族の人々など)が対等性を得られる機会を見つけること自体が困難であるように思われ、寛容の在り方について考えさせられた。
・今日の講義も面白かったです。フランスでは国籍は出生地主義ということでしたが、フランス国籍の人で両親がフランス人でない人たちに「あなたは何人(なにじん)ですか?」という質問をしたらどういう答えが返ってくるか興味深いです。また、フランスはいつごろから学歴社会なのかも気になりました。
・日本の無関心、不干渉は日本人である私も感じています。あまり表に出さない人々であるので、差別の部分もあまり表に出ないのでしょう。これに関しては、島国というのが一つのポイントではないかと考えます。陸続きであれば嫌でも気にしてしまう隣国の存在、そういうものがあれば変わっていくかもしれません。今の経済状況など考えると、この性格を少しでも変えないといけないのではと思います。同化に関しても暗黙の同化がありそうなのが日本です。他者に直接は言わない、あまり表に出さないが、社会や環境が他者を同化させている気がします。そのおかげで、日本らしい風習がたくさん残っているのかもしれませんが。これも島国のおかげであると考えます。日本は一つか。の網野さんのお話は、少し共感できます。しかし、西と東以外にも北海道と沖縄も分ける必要があると思います。余談ですが、私は断然ブレザーよりも半ケツが上だと思います。誰でも着られるものよりも、着られないものの方がすごいと。ありがとうございました。
・まず政教分離についてです。普段から日本では日本国民はつくられたものではないということを意識している人は少ないと思っていました。あまりにも日本国民は自明のものであると固執する人は、歴史の学問的成果を知ろうとしないということにつながると思います。このようなことはフランスではあまりおこらないことではないのでしょうか。私も学歴社会自体は悪いものではないと思います。先生が挙げていた複線主義と学歴社会が合わさった場合の他にも、問題はあると思います。例えば偏差値ばかりを重視する傾向があれば、それは人物の一面しか見ていないということになります。フランスの大学がラテン語などを重視し、実学的なものを取り入れようとはしなかったということも面白いと思います。
・今日の講義も興味深く聞かせていただきました。特にフランスの教育と社会の相互関係について大変興味深かったです。P. ブルデューの文化的再生産は、政治的な運動等で利用されそうな考え方で、計り知れない影響力をもっていたのではと思いました。そこで、当然、没落エリートなどのイレギュラーなものもいると思います。例えばW.チャーチルはギリシャ語が不得手だったためにエリートコースから一旦外れますが、結局は頂点へと上り詰めるように、イレギュラーなものの分析も興味深いと思いました。歴史において、大筋とは外れるイレギュラーな存在については、どのような態度をとるのでしょうか。先生の意見をお聞かせ願いたいと思います。
・フランスの中等教育において、ラテン語・古代史・哲学が重視されていたというお話があった。私は、以前、古代ローマと18世紀以降のヨーロッパの教育を比較している論文をたまたま読んだことがあるが、古代ローマにおいて、前述の3教科が重視されるのは当然のことと思えたが、ヨーロッパにおいても同様であったという主張には首を傾げたもので、結局は結論を出せないでいた。古代ローマにおいては、この3教科は上流階級の人々が学ぶものであり、大衆は実学を学び、経済的に成功をおさめ、上流階級の仲間入りを果たすためにこれら3教科をたしなみ始めるというのが流れである。それに対して、18世紀以降のヨーロッパでは実学を優先させるのが当然であると私は考えていた。今日の講義の一連の流れを聞き、紆余曲折しながらも、それまで軽視されていた実学に力を入れていった動きは、古代・中世までの流れから脱却し、フランスが本当の意味での近代化を果たすための道のりであったのだと感じた。
・フランスは自由な国というイメージが強かったので、厳しい学歴社会と聞いて驚きました。リターンマッチができず、モチベーションが上がらないと、全体の効率が悪くなるように思えるのですが、上層部がその分まで働いているのでしょうか? また、文化の序列に関してですが、貴賤をつけて社会階層に組み込まれていることに違和感を覚えました。自身が好ましく思うものが「悪い」文化に属する場合、それを隠さなければならないのは息苦しいと思います。
・4限目の授業についてです。文化的再生産については成る程と思いました。その際、民衆とエリートの関係が身分制と似通っていてフランスではそれが大分固定化されているというお話がありましたが、このまま続いた場合に身分制の時代における、市民革命のような革命は起こり得るのでしょうか。また、今の社会階層は親の社会階層(私は教育レベルと財産が大きな影響をもつと解釈しましたが)の影響を受けるのならば、この社会階層のシステムが始まったとき、つまりは教育システムが始まったときの社会階層を多少の流動はあったにしろ反映していることにはならないでしょうか。もしそうならば、貴族出身ということがフランスでまだ意識されているようにほとんど身分制のときと変わっていないのではないですか。
・学歴社会に関する本日の授業も大変興味深かったです。疑問点として、フランスでは大学を出ていないと一生昇進ができずに、同じ業務に徹することになるということでしたが、エリート養成学校であるグランゼコールを出ないと就けない職業を除けば、一般企業では大学をでていさえすれば一律的な昇進制度なのでしょうか。フランスではバカロレアにさえ受かればどの大学にでも好きなところに入れるはずなので、昇進制度において大学による区別はないのだろうかと考えました。また、19世紀に中等教育においてラテン語、古代史、哲学が重要視された理由には、フランス社会における教会権力の残存もあったのではないかなと思いました。自然科学はキリスト教と相反するものですし、ラテン語や哲学の弁論術などは神学研究において重要であったと習ったので。
・ブルデューが提唱した文化的再生産という概念はとても興味深いもので、フランスほどではないにしろ、日本においても適用できる考え方だと感じました。フランスの中等教育ではラテン語・古代史・哲学が主流だった理由についてです。地動説が否定されたように、当時のキリスト教的世界観に自然科学の考え方が馴染まなかったからではないでしょうか。
・フランス国籍取得上の出生地主義について質問します。フランス人の親を持たない人が「国民」となるために共和国の価値を守らせるというのは、なるほどよくできた制度だと思いました。しかしフランス人の親を持ち、フランスに生まれたものの、共和国の価値に応じない、もしくは応じたくないという人々の処遇が難しそうです。現に共和国の価値を守っていないと批判される国民戦線が、一定の支持を得続けていることが、何よりもこの問題を示しているのではないでしょうか。
・フランス社会では常識であることなのに、非常に驚かされた。ある程度の先進国に対しては日常大きな差異を感じないが、歴史的背景も含めてこれほどの違いを見出だせるということに、知的好奇心を刺激された。質問・「共和国の価値」の共有とは国籍取得のための法的規定なのか、フランス人の感覚的なものなのか。
・日本は学歴社会であるかという点についてですが、私個人は日本はコネ社会だという印象をもっています。情けない話ですが、私の家族・親戚のほとんどがコネで職や地位を得ています。(学歴は一橋から高卒まで幅広くいます)身近な例からの判断になりますが、社会的ステイタスを決めるのは教育や能力ではなく、結局コネなのではないかと思ってしまいます。
・今日の初めの最後の授業のドイツ語風の人名についてです。この人名を採用したのはフランス国内における方言の残存状況、つまり言語的統合の不徹底な状況をより一層強調するためであり、その上で、ドーデはフランス語教育の徹底を訴えようとしたのではないでしょうか?
・前回のグループワークの段階では、校長の対応は行き過ぎであり、生徒の話を聞いたりするなどの寛容的な態度で臨むべきであると考えていましたが、今日のフランスと日本との政教分離の違いについての話を聞いて、あの校長の対応はフランスにおいては正しいものだったのだと感じました。校長の対応は、事前の警告がない突然のものであるかどうかにかかわらず、生徒と学校との間には既に「共和国の価値」に基づく契約が結ばれているので、当然のものだったのだろうと思います。フランスに住むということは、その国のルールに従うことを受け入れている証なのだと思いました。これは単純に興味なのですが、フランスと日本の政教分離では、どちらがより特殊なのでしょうか。様々な国籍を持つ人々が多く住むような国では、フランス型の政教分離をとっているのでしょうか。とても有意義で楽しい集中講義でした。ありがとうございました。
・今日の講義も大変面白かったです。フランスの歴史について考えることが現在日本に生きる私たちにどのようなメリットがあるのか少し理解できたと思います。政教分離と一口に言っても、各国でその意味が違うのはなかなか興味深いです。「あたりまえ」は「あたりまえ」ではないんだと改めて感じました…。フランス型政教分離の方が世界的には多数派なのでしょうか? また学歴社会については、東大生の親は普通の人より高収入という話を聞いたことがあるのでやっぱり日本でも家庭環境はかなり重要なのかと…。
・新聞の話で、高校の時に社会の先生が全員に天声人語を印刷して配っていました。家では道新を読んでいるのですが、天声人語があるだけで朝日新聞の方が格が高いような気がします。また、一度ル・モンド紙の記事を読む機会があったのですが、自分のフランス語の能力が低いせいも多分にあったと思いますが、読みにくくてうわ何だこれと思いました。読みにくい仕様だったのですね。ブルデューの話はとても面白かったので、本を読みたいと思いました。ちょっと思い出したのですが、数年前に、親が読書をすると子供は成績が良く、親が読書しないと子供は成績が悪いというコラムを読みました。
・政教分離では、国によって言葉の意味が違うという点が面白かったです。フランスでは宗教が政治に口を出さないとのことでしたが、ヨーロッパではローマ教皇が権力を持っていた時代があったという歴史があったのに対し、日本では天皇の権力が大きかったという歴史があったということが関連しているのかなと思いました。日本ではそもそも宗教が大きな力を持っていた記憶がないので、宗教への圧力というより信教の自由という意味での政教分離になったのではないかと思います。
・「学歴社会は悪いか」という質問には「いいえ」と答えます。先生がおっしゃった通り、学歴は能力の代理指数であり、また、身分制を否定してくれます。例え話ですが、学歴による差別化を廃止しようとしたある企業が、出身大学を聞かずに人員を採用した結果、有名大学卒業者のみが採用されていたといいます。ある意味、学歴という指数は必要だと感じました。日本は非学歴社会に少しずつ傾いてきたような気がします。景気低迷が囁かれる今、「能力」が最も重視され、かつ、通常では考えられない「発想力」が大切だと感じます。
・日本では国民は「そこにある」ものというお話が印象的でした。 確かに両親も周りも日本人ばかりという環境で育つと、日本人であることが当たり前で何も疑問を覚えないですが、フランスのように他国と陸続きで更に移民などもあり異国の人と触れ合う機会の多いところではそういった問題について考えるきっかけも多いのかなと思いました。日本ほど学歴がものを言う社会もあるのかと思っていましたが、フランスの方がすごいと聞き驚きました。ただ、学歴の上書きのお話で、日本では一浪一留までと言われるのも聞きますが、フランスではそういった暗黙の制限のようなものは関係ないのか気になりました。
・学歴社会のお話で、フランスでは大学がまさに物言う社会であるというお話でした。そうなると親は子供にエリートコースを進んでほしいがために子供の勉強のためなら高額な出費も惜しまないのでしょうか。そもそもフランスでも日本でいう塾のようなものに通わせる習慣があるのでしょうか。小学校にはいる時点でエリートコースとそうでないコースに進むか否かを選択するのは大変だと思いました。コースの違う人とは生涯かかわり合うこともないと思うと同じ国民であっても他国の人というか、2分割されて線引きされているようで悲しいと思いました。エリートコースに進んだ人がそうでない人たちを卑下したりということや、エリートコース特別の政治的な優遇などあるのでしょうか?
・今日の授業の最初の方にあった、何人かというようなアイデンティティについてのお話ですが、この質問はどのような人から発せられたものかによって答えも異なると思いました。外国人に訊かれたら日本人と答えますし、日本人に訊かれたら北海道民と答えると思うので、絶対的なものではないような気がします。歴史学におけるアクチュアリティ的な役割として、今まで漠然とそれが社会の役に立つものでなければなはないと思っていましたが、今日の授業を通して今ある社会がなぜそうあるかを理解するということが歴史学の重要な役割のひとつであるとわかりました。
・フランスの歴史からどうして今のフランス社会の考え方になったのかがよく分かりました。フランスなどの他国の歴史を学び、それを日本に還元して考えるというのはやはり面白いです。どちらが上か、という問いはなんの基準で選ぶのか、何が上なのか分からなかったにもかかわらず、自然と答がすぐ出てきて、エリート=全てにおいて上という考え方は誰にでも染み付いているものなのか、と気付きました。農民の子は農民ではないですが、エリートの子供はエリートというのは自然な流れであるとはいえ、やはり出身である程度の人生が決まってしまうというのはなんだか寂しい気持ちになりした。
・フランスの歴史からどうして今のフランス社会の考え方になったのかがよく分かりました。フランスなどの他国の歴史を学び、それを日本に還元して考えるというのはやはり面白いです。どちらが上か、という問いはなんの基準で選ぶのか、何が上なのか分からなかったにもかかわらず、自然と答がすぐ出てきて、エリート=全てにおいて上という考え方は誰にでも染み付いているものなのか、と気付きました。農民の子は農民ではないですが、エリートの子供はエリートというのは自然な流れであるとはいえ、やはり出身である程度の人生が決まってしまうというのはなんだか寂しい気持ちになりした。
・フランスの共和国の価値というものは、憲法や法律のように成文化されたり明確にリスト化されたりしているものなのでしょうか。また同化のための制度化された機能のようなものは存在するのでしょうか。同化要求というのは文脈的に何となく現代的でない感じがして、現代社会において行われている様子をもう少し詳しく知りたいと思いました。
・フランスの国家形成という考え方が興味深いと感じた。他者に対する同化要求があるとのことだったが、それはフランス独特のものなのでしょうか。19世紀末は、ドイツでも当然ナショナリズムの動きはあったと思うので、ヨーロッパの中でのフランスの独自性な何であるのか気になった。学歴社会の話は、今までバカロレアに受かればどの大学でも同じ水準の教育を受けることができるとかつて聞いたことがあったので、驚きだった。ヒエラルキーの考え方の根強さを感じた。
・フランスの国家形成という考え方が興味深いと感じた。他者に対する同化要求があるとのことだったが、それはフランス独特のものなのでしょうか。19世紀末は、ドイツでも当然ナショナリズムの動きはあったと思うので、ヨーロッパの中でのフランスの独自性な何であるのか気になった。学歴社会の話は、今までバカロレアに受かればどの大学でも同じ水準の教育を受けることができるとかつて聞いたことがあったので、驚きだった。ヒエラルキーの考え方の根強さを感じた。
・前半の集中講義で教育と社会階層の関係性について学んでおり、大変興味深い内容でした。これまでの授業をまとめれば公教育は「国民」を創出するとともに、社会的上昇の機会の平等は保証するが、システムとして結果の平等は保証されていないと感じました。グランゼコールは日本の教職大学院、法科大学院、会計専門職大学院、公共政策大学院(北大)などの研究科ではない専門職養成の大学院と類似していると考えて良いのでしょうか? 高等師範学校で給料が出るというのはかつての日本の高等師範学校、師範学校の制度と類似していると感じましたが、教員養成ではない一般の大学での教員養成(日本では開放性と呼ばれていますが)も行われているのでしょうか?
・お疲れ様です。フランスは思ったより硬い社会でしたね。驚きました。確かに今のフランスの大学は授業料もほぼタダで(最近は1年に5万円ぐらいは出してもらう形に変わったと言いますが)実力もあって望むなら誰でも入れるような所であると聞いておりました。しかし身分制度みたいな構造が続く限りではフランスは本当の平等な国とは言えませんね。
・歴史学のアクチュアルな意義について日頃から考えていたので、とても勉強になった三日間でした。質問があります。ブルデューの「文化的選好」に関連するのですが、フランス上流階級の人たちはフランス革命の話題を好まないと耳にしたことがあります。これは事実でしょうか?
・活力ある社会を継続するためには、機会均等が保障される必要があると思いました。フランスではなぜこのような不公平かつ不効率なシステムが維持されているのか、不思議です。他方、日本の会社では社員の能力を十年単位の時間をかけて見ています。学歴が優秀でも総合的な能力に欠ける者、その逆の者をきちんと見極めることが会社の効率的な運営に必要不可欠なためです。その点では機会均等は担保されていると言えます。