第2回ミニットペーパー 2012年9月25日

・小田中先生の今日の授業を聞いていると個人のアイデンティティと社会、国家との関係についての興味を持っているように見受けられ、自分としても興味があることなので、面白く感じました。あと、細かい点なのですが、傭兵軍から国民軍への移行の利点として、士気や忠誠心を挙げておられましたが、最大の利点は動員可能な人的資源を増加させ、軍の規模を増大させることができることであったと思います。
・本日の講義も、大変興味深く拝聴させていただきました。現在の社会において問題となっている事象を、歴史を掘り下げて考えることの重要性、楽しさを再認識することが出来ました。「最後の授業」から覗くことができる国民国家形成の問題は、沖縄では戦後になってからも罰札(方言札)が残り、いわゆる本土復帰の時期まで残存していたことからも根強い問題として考えさせられました。ブルゴーニュの言語政策にも上記と同様のことが行われていたのは興味深かったです。標準語の問題の世界的普遍性を認識しました。歴史というものは、今を考える上で大変難しい問題であると同時に、歴史を通して考察することは楽しさを伴うとも思いました。
・「最後の授業」の登場人物の名前がゲルマン風なのは、先祖がゲルマン系という設定なのでしょうか。そうだとすると、私にはむしろナショナリズムというより、歴史の中で限られた期間しかフランスに属していないアルザス・ロレーヌとの別れを惜しむフランス人をドーデが皮肉っているように感じられました。アクチュアリティの概念がまだよくわかりません。スカーフ事件を、先生が解説されたようにフランスの歴史を踏まえて見れば、それはフランスのアクチュアリティを理解したということになるのでしょうか。それとも、日本人である限り、日本人のアクチュアリティなのでしょうか。
・「最後の授業」で、背景を知るということの重要性を知りました。小説にも作者のバイアスがかかっており、文面をそのまま受け取るのは軽率かもしれないと思います。近年はグローバル化が進み、国民国家形成以前の個人重視に戻りつつあるように感じられ、逆行しているようで少し不思議に感じました。
・二日目の授業は、フランス近代から現代にいたるまでの流れの説明が分かりやすく、現代の体制の底に歴史が深く繋がっていることを再認識した。『最後の授業』に関しては、一見征服された側の悲哀や、受け身でいるしかない民衆のアイデンティティ意識に注目しがちであるが、授業のように冷静にみていくと違った見方ができてとても面白かった。この作品は「フィクション」とあったが、約200年はフランスの領土であったわけで、実際のアルザス地方の人々のアイデンティティ意識や、ドイツへの割譲にたいしての反応はどのようであったのか、興味をもった。
・ドーデの「最後の授業」を解釈していったが、その解釈がどの程度妥当であるのか疑問です。ドーデの生い立ちや当時のフランスの状況などを考慮すると、講義内で紹介された解釈は理解できるものと感じました。しかし、深読みしすぎだったりしないのかなという不安もあります。歴史の解釈の正当性の保証はどのようになされるものなのか、先生の意見をお聞きしたいです。
・アクチュアルな問題に対しては、その背景となる歴史を踏まえれば、その展望が見えてくる、また踏まえるべきである、ということを感じました。過去にあれほど衝突を繰り返してきた独仏が、協調してEUを牽引している様を見て、アジア、とくに日本含めた極東はまだ欧州のようにはいかないものか、それはなぜかをこれまでも時おり考えることがあったのですが、「今」だけではなく、過去を見つめ直し、それをアクチュアルな文脈で読み解くにはどうすべきかを探ってゆくことが、なにがしかの答えを得る上で大事な思考のプロセスとなるだろうし、それと同時に難しくも取り組むべき課題だと感じました。それを思うにつけても、先生の「歴史を個人からスタートさせて見る」という手法を実感します。最後に質問ですが、ドーデの「最後の授業」が教科書から消えた理由はある程度類推できるのですが、それが採用された理由を、その時代背景とともに知りたく思います。50代以上の方々も教科書で習ったと聞いたことがあるので、かなり以前に採用されたものであり、そして80年代に消えたのなら、なぜそれまでは受容されていたのか、その背景が気になりました。
・小田中先生、お疲れさまです。ドーテの小説の3ページ目の「日課が・・・」の部分で、気になるところがあります。小さな子どもまでか一心に線を引いていた。の部分で二点あります。線を引くとは何をしているのですか。筆者も主人公も小さいはずなのに、少し後ろに立ってみた情景をかいているようで、その段落だけほかと違うよう見えました。キャストも男性しかいなかったような気がします。方言に関しても一つあります。新幹線が通るところは方言が弱くなってしまう、という先生の発言が気になりました。私の出身の西日本はまだ方言だらけだと感じますが、新幹線開通前はもっと激しいものだったのか、真実がしりたいです。余談ですが標準語に関しては、もし標準語が大阪弁になれば、教科書も抑揚のある楽しいものになりそうですが、世界からみる日本人のイメージが変わることは間違いないと考えました。ありがとうございました。
・今日の講義ではアクチュアリティが大きなテーマであったと思いました。研究において今日的な意義が不可分であることを、よりいっそう考えさせられました。そこでアクチュアリティですが、その意義の何らかの説明をしなければならないならば、無意識のうちに内包してしまうバイアスがアクチュアリティに含まれてしまうのは、説明義務として疑問が残ります。また、研究の最後の段階で意図的にアクチュアリティを見いだす、もしくは能動的にアクチュアリティとなる問題を見つけて、研究のなかで解決することでアクチュアリティを持たせるということも想定できます。つまり意義を最初から設定しておく場合と、事後で見いだす場合とは、どちらも妥当と言えるのでしょうか。
・「物語と歴史叙述の違いは?」との問いを見て、まず思い浮かんだのが、歴史的事実を示すためのソースの有無でした。しかし最後の授業の経緯を見ていくうち、より本質的な違いとしては、筆者の意図やイデオロギーが反映されるか否かにあるのではないか、と感じました。物語の場合、筆者は自分の意図やイデオロギーに沿って書くことは自由ですし、それは魅力にもなり得ます。しかしながら歴史叙述の場合、筆者はそれらから距離を置くべきですし、それこそが歴史家として過去と向き合う上で必要なのだと思います。
・最後の授業の話では、登場人物の名前からミスリードさせるという話でしたが、フランス人も私たちと同じような読み方をしたのでしょうか?フランスの歴史に詳しくない私たちがこの物語を読むと、ナショナリズムと言語というテーマに気付くだけでしたが、この小説は当時嫌独感情を煽るものだったのでしょうか。また、タイでの華人の国民化の話がありましたが、タイ語を話すレベルのことですか?公文書は二言語あるのでしょうか。日本ではすでに標準語があり、方言も理解不能なものは聞いたことがないので今ひとつ実感しづらいです。
・ドーデのナショナリズムについて考察した際にお話があった、「国語」教育が非常に興味深かった。現代の我々日本人は、標準語を基盤とした日本語を当たり前に共有しているので、このことについて、日頃深く考察することはないが、たとえば、ベルギーにはフランス語圏とオランダ語圏とが存在し、両者の間には深い溝がある。言語だけに限らず、文化の相違等、この対立の根底には他の要因もあるであろうが、日常生活において、最も身近なものといえる「国語」の相違が大きな要因であることも間違いないと思われる。ここから、さらに、その相違の根底にある歴史的背景を考察していく、という作業は、とても面白いと思うし、このような作業が対立を終息させていく道筋へと繋げられるのならば、歴史学が非常に重要な役割を担いうるということを実感した。
・近代から現代にかけての独仏間の対立関係の説明がとても丁寧で分かりやすかったです。普段はどちらかの立場からの歴史を見ることがほとんどですが、今回の授業では各国の言い分を把握しつつ進んでいったので、対立の構造がよく見えました。様々な国内外の問題が絡み合って動く近現代ですが、各国の立場からそれぞれの問題点を意識して考えることが重要なことなのかなと思いました。また、ドーデの「最後の授業」における意図は全く予測できず、名前からあれだけの情報が得られることに驚きました。史料一つ読む上でも得られる情報量に大きな差があると分かりました。今後史料を読む機会はどんどん増えていくと思いますが、色々なことに疑問を抱いて調べていきたいです。
・今は普仏戦争と言わないということがショックでした。高校では普仏戦争て習ったので…ドーデの小説を読んで話しあった時に、たぶんフランス人向けに書かれた物語だけれど、万が一ドイツ人に対して書かれたものだとしたらとても抗議の意思が強く伝わるだろうという話しになりました。文学の授業で第二次世界大戦の時期の文章を読んだ時は、歴史的背景から作者の伝えたいことを読み取ったので、小説を文学として読むのと史料として読もうとするのは少し似ていて少し違うのかなと思いました。スカーフ事件の所で、日本だと憲法で思想・信条の自由が認められているから自分ならスカーフを認めるだろうと思ったのですが、今いじめの問題があるということをふと考えて、いじめの対象になったらどうしたらいいのかと悩みました。結局どうするのが最良かわかりません。
・仏独関係を維持し戦争を始めないために欧州統合を実現するという見方について、「なるほどな」と思いました。ですが、いかに「歴史から学ぶ」といっても実際に問題がおこると世論は感情的な反応を見せることも事実だと思います。その際、歴史研究者は世間に対して何らかのアクションをとって社会的責任を果たすべきだと考えられますが、なかなかそういった活動は残念ながら私は日常生活のなかで見聞きしたことはありません。もし過去に、日本国内外を問わず政治的・社会的な問題が発生した際に歴史研究者が一般市民に向けて、史実に基づいたコメントを提示したケースがありましたら、そのコメントが如何に受け容れられたかも併せて教えていただきたいです。
・フランスの右派と左派の差が日本における右派と左派とはまるで違うことに驚きました。また2限目の小説の解釈ですが、私にはフランツがフランスの、アメル先生がアルザス・ロレーヌの比喩のように思えました。そして、ドーデはアルザス・ロレーヌはドイツに割譲されようともフランスのものである。または、フランス領であったことを忘れるべきではない。というメッセージを込めていたのではないかと考えます。さらにアルザス・ロレーヌがフランス領であったのが1000年のうち、200年のみであったとしても、当事者にとっては十分に自分の国であるという認識をもたらしていたのではないでしょうか。
・本日の講義は、誠に勝手で申し訳ないですが、私用の為、午前中のみ受講しました。本来ならこういったことは事前に言うべきものであり、誠に申し訳ありませんでした。しかし、いくつか感想がありますのでメールを送らせて頂きます。『最後の授業』の作者の意図について、先生はナショナリズムと言っていたと思われます。私も先生の言っていた意図はその通りだと思います。だとしたら、日本で広く受容されたというこの作品に関して、なぜ日本で受容されたのかを考えた場合、ナショナリズム形成の材料として受け入れられたのではないかと思います。つまり、敗戦後の日本において、軍国主義によるナショナリズムではなく、共和的なナショナリズムを形成する材料として、推測ではありますが、導入されたのかと思いました。そして、何よりも『最後の授業』の題材と背景が敗戦後の日本にマッチしたことで、広く受容されたのではないかと思いました。そして、先生の研究において、小説資料を活用したことがあるのか、あるならばどういう意図をもって用いたのかを教えて頂きたいです。また、グループワークの資料に関して、先生が配るプリントも先生の手が加わった資料であるわけですから、予め配る資料の性格や抜粋意図を事前に言うだけでも、議論がより活発になるのではないかと思いました。本日の講義を私用の為に、欠席してしまい誠に申し訳ありませんでした。
・まず最後の授業についてです。授業内容とは少しずれてしまうかもしれないが、何故以前の日本の教科書で取り扱われていたのに今の教科書では扱われなくなったのかを考えるのも面白いと思います。またドーデの意図が反映されているとはしても、登場人物の名前をフランス系に偽ることはしなかったのはなぜなのでしょうか。そこまではさすがに出来なかったのでしょうか。3限目に関しては最後の授業という具体例からアクチュアルな解釈を考えるというのは面白いと思うのですが、欧州統合についてのお話はわりと常識的な説明だと思いました。全体を通して小田中先生自身の持論をもう少しお聞きしたかったと思いました。
・3限で少し触れられた、日本がなぜ植民地にならなかったのかという疑問についてですが、出典は忘れましたが、過去に読んだ本の見解を紹介したいと思います。江戸末期から明治期にかけて、欧米が東アジア市場進出の足場として日本を侵略することは、列強間での大きな火種になると考えられていたそうです。国土が南北に長い日本列島を植民地にするということは、琉球からオホーツクにかけてのシーレーンを獲得することになります。日本は地理的な要所であるという理由から、アンタッチャブルな立場にあったようです。
・政教分離の日本とフランスにおける違い、フランスの政教分離と歴史の関わりは興味深いものでした。フランスの学校ではかつて教室に十字架を置いていたと聞いたことがあります。そこで、1989年のスカーフ事件に関してですが、もし学校側がキリスト教シンボルである十字架を教室に飾ったままスカーフをつけた女子生徒を登校禁止にしたのであれば問題ではないでしょうか。
・フランスの宗教分離原則と日本のものとが全く違う構造のものだということに驚きました。そのような背景を知らずに、フランスは政教分離を採用しているから日本と同じだろうという見方で考えると見えないもの、見誤るものはたくさんあると思うので、社会・時代の背景を細かく調べ、理解することが大切だと感じました。また、アクチュアリティ検証で、史料によるその後の歴史への影響というのは、どのようにして調べるのかが気になりました。ドーデの小説についての講義で、小説によるその後のフランス、ひいては世界全体への影響はあったのか、どのような形、程度での影響があったのかは、推察することはできても証明することは難しいのではないかと感じました。そのあたりはどのように研究するのでしょうか。
・小説が史料となり得るのか、という話がとても参考になった。私は美術史を専攻している。絵画を社会史的な観点からとらえることが好きだが、小説と同様にフィクションである部分はかなり多いと感じる。必要に応じて、適切に読みとくことが重要なのだろうと思った。また、歴史を専門としている先生や他の履修さてれいる方々の、美術史に関するコメントが興味深いと思った。芸術は確かに研究することが必要なのか、常に議論されることである。芸術作品は、歴史的(美術史的)な価値を持ちながら、現在も確かに存在していて、美術館などに行けば実際に体感できるということが魅力だと感じている。歴史学の方々にも、たまには芸術を通じて歴史を感じていただきたい、と一美術史学徒として思った。
・EU成立の背景にこんなに長い歴史があったとは驚きでした。ドイツとフランスが仲悪い理由もよくわかりました。ギリシャの問題でEU崩壊するのでは…と思ったけど、大丈夫そうですね。アジアで考えてみると、今の中国の反日デモ等を見る限りEUのような共同体を作るのは難しいと思います。 ・EU成立の背景にこんなに長い歴史があったとは驚きでした。ドイツとフランスが仲悪い理由もよくわかりました。ギリシャの問題でEU崩壊するのでは…と思ったけど、大丈夫そうですね。アジアで考えてみると、今の中国の反日デモ等を見る限りEUのような共同体を作るのは難しいと思います。
・今日の講義の中の、言語がその人のアイデンティティを示すという考え方は納得できます。自分も今日本語を禁じられたら嫌だし、他の国の言語を強制されても日本国民として躊躇すると思います。「最後の授業」によって実際にフランスの人々のナショナリズムが鼓舞されたのかも気になりました。あと、フランスと日本の宗教に対する考え方の違いを改めて感じました。政教分離原則はどこの国でも同じようなものだと思っていたので、興味深かったです。
・本日の講義は、特にアルザス・ロレーヌの独仏両国への帰属過程について鮮やかに解説していただき、非常に理解が深まった。高校時代まで機械的な丸暗記に終始していたことが残念であるとともに、霧が晴れたかのような思いでいる。疑問点を2点挙げたい。「最後の手紙」に関して、登場人物が悉くドイツ系名字であったことと、ドーデのナショナリズムを高揚させたい意図が繋がらない。「ミスリーディングを誘う」とあったが結局ドーデの意図は何なのか。政教分離に関して、日本的政教分離(政治は宗教に口を出さない)となった歴史的背景は何か。ご教授のほどよろしくお願いいたします。
・今日の講義では国民国家というキーワードが印象に残りました。考えてみれば日本も昔は藩に別れていてその土地独自の言葉や文化が根差していたと思います。それを日本という枠組みに取り入れて日本人にしてしまったんだということを考えると地球社会という考えが一回り小さい規模で実現されていたのかもしれません。藩をひとつの国家、世界を日本に当てはめてみることができました。歴史のなかで国民国家というものが様々な感情や犠牲を伴いながら成立したことから今後将来、再び同じようなことを繰り返して地球社会が成立する可能性を考えると恐ろしいです。しかし、時代は移り変わってだから歴史というものが生まれるとなると地球社会が実現されることは夢の話ではないと思いました。将来をその社会の中で当たり前のように暮らしているのでしょうか。母国語にしても信教にしても個人の自由に委ねてほしいものですが集団の中で生きていくには時には自分らしさを覆い隠す必要があるものなのですね。本当に集団の中で生きていくのは支え会える点で楽ですが息苦しくもあるなと思いました。
・小説がどのようにして史料になるかという問題で、人物の言葉の使い方(語彙の選択や口調など)はどの程度評価されるのでしょうか。例えば今回の小説の中で「国語」という概念、語彙が使われていることから、当時のナショナリズムの程度を想定したり、他と比較したりすることはできるのでしょうか(もっとも、邦訳なので原文を見る必要がありますが)。
・ドーデの「最後の授業」では、ミスリーディングにすっかり引っ掛かってしまいました。小説を史料として分析する際の大きな注意点だと実感できました。ドイツが第二次大戦を断行したことには、やはり一次大戦の敗戦条約の問題は欠かせません。もし私がドイツ人だったならば、国内の絶望的な経済不況を脱するべくナチスに傾倒すると思います。ある意味、あの戦争は諸外国が誘発したのかもしれません。フランスの政教分離政策は、少し行き過ぎた印象を覚えます。それは日本に住んでいる身だからかもしれません。ムスリムはもちろん、キリスト教徒らの何かしらの大規模な反対、デモは生じないのでしょうか。
・日本の政教分離原則が「政治は宗教に口を出さない」であるのは、明治期以降の国家神道への反省があるのではないか、と思った。国家神道の功罪については詳しく知らないが、戦後間もない頃の学術論文を読むと、「国家神道による天皇崇拝政策は悪いものだった」という論調が出てくる。国民の中に「政治が宗教に接近してはいけない」という強い意識があり、それが現在の日本型政教分離原則へと繋がっているのだと思う。
・文学は歴史のデータとしては利用できないものだと思っていました。ものは使いようということがよくわかりました。また、登場人物の名前からわかることがあるとは思っていなかったので驚きました。同じ政教分離という言葉を用いてもそれぞれの国によって意味が異なり、その違いを歴史から知ることができるということはとても大事なことだと感じ、実際に勉強するなかでも本当に同じ意味で使われている言葉なのかどうか、疑っていかなければならないと思いました。
・資料を元に時代背景を探り、さらに現代社会について考察を加えるという作業はまさに歴史学だと感じました。時代と場所を変えて過去から現代を考えることはまさに「過去との対話」だと思います。しかし、結局のところ歴史を学ぶ者(教員、学生)にこのような考え方が共有されないと、歴史学専攻=オタクというイメージは拭いきれないと思います。方言は単に中央語(標準語)の対義語には留まらないと思います。例えば仙台弁は東北地方の経済、文化の中心地の言葉として山形弁や福島弁に対して影響力を持っており、こう考えれば、方言とは他地域の日常言語との相対化によって生み出されるものではないでしょうか?言語政策には社会言語学の成果が活かされるべきだと思います。これも歴史から学ばれるところだと想いますが…
・今日も興味をそそられる授業でした。いままでには体験したことがない歴史の進め方でした。小説から読み取れる歴史的な背景、事件から読み取れる背景など、実践的といいますか、考えさせる講義だと感じます。こういうアプローチの仕方もあるのか、と毎回驚かされます。
・今日は西洋史について多く触れられた内容なので、より関心を持って聞くことが出来ました。はじめのドーデの小説にはしてやられました。確かに読み返してみると、少し違和感のあるもので、なぜ最初から気づけなかったのかと不思議に思います。現在日本は周りの中国、韓国との仲が非常に拗れてますが、それは欧米諸国やどの国に関しても言えることで、そういった国々の歴史からこれからの日本の立ち位置を学ぶことも大切なのでは、と強く感じました。スカーフ事件は教職の授業でも聞いたことのある内容なのですが、フランスのあの歴史背景があったための出来事なので、あまり背景を知らないうちはとやかく言うことは出来ないのだろうと思いました。
・お疲れ様です。質問や感想ではなく、お願いというか、残念だと思ったことでありますが、配ってくださる資料はもう少し具体的なことが書いていた方がグループワークの時には使えるのではないかと思います。前日も今日も資料だけでは結論を出せにくいことが多く、なかなか話が進めなかったです。ではよろしくお願いします。
・【前回分】歴史の資料の読み解き方について今までここまで丁寧に教わることがなかったので、どのように読めばいいか考え方を学べてとてもためになりました。答えの出ない事象も多いけれど、自分で考える力をつけることが大切だと悟ることができました。最後の新しい世界史へ、の話ですが、私は羽田さんの意見におおむね賛成です。確かに具体案が提示されてなく、かなりつっこみ所が多い所もありましたが、歴史を学ぶ姿勢として、抽象的でもこのような目標を立てることが大切だと思います。歴史はただでさえ何故学ぶのかの答が出しづらいので、具体的なものでなくてもこのような方向性を目指すのも必要なのではないか、モデルとするものがなくても、追い求めるうちに次第に形がついてくるものではないかと思います。