経済史入門講義 第3回ミニットペーパー 2009年1月5日
(1)パラダイム・シフトの例をもっと知りたいと思った。どんなときにどんな人がおこすのか、知りたい。独創性ということにもつながると思う。以前テレビでそのことについて議論していたが、ぼくはパラダイム・シフトを起こす人に興味をもってしまう。しかし、出る杭はたたかれてしまうのだろうか。
(2)今日の授業は聞きやすくてよかったと思います。やっとヒストリーとストーリーの違いは少しわかってきました。歴史の有用性についてとても説得力があり、わかりやすかったです。科学の進化については、とても面白いです。
(3)青少年の凶悪犯罪率が実感に反してグラフは右下がりになっているという話がありましたが、グラフの縦軸の値はどれくらいなのでしょうか。
(4)歴史というのは暫定的なのだと思った。われわれが歴史を学ぶ際は、それが絶対的なものなどではなく、将来的には変化する可能性を考えなければならない。
(5)歴史が集団でおこなわれる理由は、この学問領域が絶対的な真実を明らかに出来ないゆえ、妥当と思われる事実であっても、それを認める他人がいなければ意味を成さないからではないだろうか。
(6)真実への接近の仕方が単純に円環ではなく、精度を上げながら真実に近づいてゆくということに興味を持ちました。
(7)科学は集団でおこなわれるという認識は、はっきり持っていませんでした。大学の教員はおのおの専門分野をもっていることから、むしろひとりで研究している人だろうと、どこかで思っていました。教員や研究者の生活を知りたくなりました。
(8)今日の授業は今までで一番わかりやすかった。ついに科学とはなにかというものがつかめた気がした。事実は明らかに出来るかという流れで真実に近づくことは出来るということは、授業中のみならず、人生の勉学においてとても大事なことだと思った。本当に「資料を探す、他の資料を探す、つきあわせる…」の繰り返しは、とても人生で大切な姿勢だと思った。テストに出る出ないにかかわらず、とても実になる言葉をもらった。毎回様々な知識を得る授業よりも、このような「考えかた」をえる授業もとても良いと思いました。そのほうが、前者よりも後々になって役に立つと思います。ありがとうございました。
(9)あけましておめでとうございます。来年から本気出します。
(10)わたしは「科学」というと自然科学だけをイメージしてしまっていたので、文系の学問も「科学」であるという考え方は目からウロコでした。
(11)経済史学という学問が一種の科学であるということ、そして経済史学の導入部分をわかりやすく述べたと思う。
(12)歴史学だけが科学性を問われ、不透明な学問領域になってしまっているのは、不思議な感じがした。
(13)文系学問にとっても科学は有効な方法だと感じました。
(14)集団的作業の意味がよくわかった。先行研究も集団のひとつということは納得させられた。
(15)自分の考えを、批判を恐れすぎて公表しないというのは、たしかに何も得られないし、だれの役にも立たないと思った。批判されたとしても、自分のためになると思って、思い切って公表してすることの大事さを、あらためて感じた。
(16)経済史学が「科学」っていうのは、あまりすんなり受入れられないです。不確実なことが、他の科学と呼ばれるもの(おもに理系分野)よりも多い気がしてしまうので。うーん、でもテキストにもあったように、100パーセントだとか0パーセントだとか言い切れることなんてないと思うので、そういうものなのか。科学って、正しさどうこうというより、結論を導くための過程にあるということなのでしょうか?
(17)経済史学なども集団で作業するということが驚きでした。いままでは、文系の学問は個人でやるものだと思っていたので。
(18)試験は穴埋め式と記述式のどちらになりましたか。経済史学のことだけでなく、学問・科学とは何たるかがわかったと思う。
(19)あけましておめでとうございます。1月の5日だろうと、わたしはやる気満々で授業に参加しております。今日の「反証可能性」の話は、とても面白かったです。
(20)今日の講義は、特にとても面白かったと思います。やはり歴史ではわからないことが沢山あっても、そのことに対して科学性を持つ態度を取ることが一番大切です。感想ですが、科学の進化過程を見ると、色々なリスクが存在するという気がする。とくに、真実に接近するには、仮定を作るが、科学者は自分の意見あるいは先入観や偏見をいつもある程度入れてしまいます。これはとくに社会科学でおこなわれるでしょう。
(21)歴史小説と歴史学には、ものすごい違いがあると思った。どれだけ努力しても絶対的に正しい結論には至れないのは、なんだか報われないなあと感じた。
(22)この科目は、色々な社会科学を学ぶうえでの基本的姿勢についても考えられたので、お得だと思いました。
(23)わからないものを保留するか想像するかが、やはり物語と科学の大きな違いだと思う。たとえば歴史小説にはかならず登場人物の心象描写が細かくなされているが、それが、どんなに読者の共感を得ても、やはり筆者の想像の域を出えないだろう。また、歴史学が科学であるためには、「神代史の研究」のような、国家や宗教などにより、特定のものの歴史や時代をブラックボックスにしないこと、その逆に研究者は研究に対する批判を避けない必要があると思う。
(24)歴史学のあり方をこえて、科学のあり方にまで議論の幅を広げていったのが興味深かったです。
(25)反証可能性という考え方は、とても面白いと思った。批判がなければ、学問にしても人間にしても、成長することはないだろうと思った。
(26)たしかに授業のメソッドを採れば、真実に接近することは出来るかもしれない。ただし、純粋な議論は学界内での力関係で歪んでしまうことはないのでしょうか。
(27)歴史学の真実性についての話は非常に面白かったです。ぼくは将来研究をしてみたいと考えているのですが、今日の授業の後半の話は非常に参考になりました。
(28)批判と反論を繰り返して高みにのぼってゆくのは、社会科学ならではだと思う。もう少し字を大きく書いてほしい。
(29)今回の講義は、経済史学入門のまとめとして、わかりやすかったです。
(30)最後の結論「科学の成果は批判に開かれていなければならない」というのは、本当にその通りだと思った。
(31)HistoryとStoryの違いが、真実へのアプローチ方法だということに納得できました。Historyはhis-storyであると聞いたことがありますが、決してStoryではないと思いました。真実に近づくのがHistoryで、面白みを求めるStoryとは異なるのだと思います。グレーゾーンは存在するとは思いますが、両者の違いをはっきりさせられました。
(32)歴史小説と歴史学の違いがわかった。歴史上のことはすべて真実かどうかわからなく、真実に接近しているということなのか?
(33)HistoryとStoryの違いの説明をどのようにするのだろうと思っていたが、わかりやすく、なるほどという感じだった。
(34)10月から四ヶ月という短い間でしたが、ありがとうございました。板書がみやすく、ノートをとりやすかったです。わたしは昔から歴史が苦手だったので、この講義も不安でしたが、今回は経済史学の根本的な定義が中心だったので、身構えずに受講することができました。今後、経済史学に触れることがあるかはわかりませんが、もしもまた機会があったらこの講義の定義を思い出して参考にしたいと思います。
(35)科学とは何かという話は、とても興味深く聞けました。わたしも経済学部でsocial scienceを学ぶ以上、そういうこともよく考えなければ入れないなと思いました。
(36)色々な歴史上の出来事は色々な説があるが、自分が今まで学校の教科書やメディアから得た知識が真実かどうかはだれも確かめられないんだなあと思った。わからないことはわからないと認めることが歴史学者・科学であるというのは、今までなかった考えなので、新しい見方ができてよかったです。
(37)改めてだが、今日授業があるのはきつかった。これまでの講義を通して「経済史学がどのようなものか」が、完全とはいえないが、当初よりは理解できたと思う。
(38)科学は一人ではできないものであり、多くの人々の考えや発想に基づいて成立つ学問である。日本の文書は各地に分散されているという話を聞いたが、日本もできるだけ多くひとつの場所に集め研究してゆくべきだと思った。
(39)板書がとても見やすいです。
(40)先行研究を考慮することが集団作業という考え方が面白かったです。
(41)今の経済不況は、経済史学から分析するとどれくらい続くと思いますか?
(42)ご自身の研究をなげうってまで講義をしていただき、大変恐縮いたします。頑張ってください。
(43)教科書のなかで書いてあったことの復習のような話で、わかりやすかったです。歴史の研究が複数の人でおこなわれているということに少し驚きました。自分のイメージのなかで、歴史学者はそれぞれが自分の理論のために資料を調べ上げていて、それが原因で「それは違う、あれは違う」と議論しているのだと思っていました。
(44)storyとhistoryは真実に接近しようとするかどうかで異なるということはわかりました。いくつかの資料を研究することで真実に「接近」できるのも、そのとおりだと思いました。しかし、先生は授業のなかで「真実があるか否かは不明」とおっしゃっていましたが、それでは、真実に通達するとき、真実が明確化するときとは、どんなときですか?
(44’)織田信長などわかりやすい実用的な例を提示されて、とてもわかりやすかった。
(45)結局史実を証明することは難しいと再認識しました。まだまだ不明瞭ですが、当初よりは経済史学について考えを深められたので、よかったです。
(46)真実に接近…公表…批判…反論…科学の進化、というのは、全くそのとおりだと納得しました。
(47)今日の授業で、わたしは、科学には終わりがないんだなあと感じました。
(48)わからないことを素直に認めることも科学性のひとつであるというのは意外でした。しかし、この姿勢が科学の進歩の原動力であると思います。
(49)「科学」することの面白さを痛感した。反証可能性を信じて思考し、論理を組み立てること、そのために色々な調査をすること、それが「科学」であると思うし、「学問」であると思う。
(50)最近の講義は板書量が多い気がするが、わかりやすくて良い。歴史学(経済史学)の成果によって「真実に近づいた」ものはあるだろうが、明確になった真実はあるのだろうか?
(51)今回の講義はとても興味深く、面白かったです。Historyとstoryの違いの話など、楽しく聞くことができました。
(52)「事実を明らかにできない学問領域は科学か?」という問に対して正確な答えを出すことは難しいと思いますが、自分は事実を明らかにしようとする試みができる学問領域は科学だと思います。
(53)カール・ポパーの反証可能性の話は興味深かった。信長の家来は何人だったのか…?
(54)companyの話は面白いと思った。アウシュヴィッツ強制収容所の話も当たり前に思っていたが、生き残った人がいたから伝わった、ということを認識させられ、これこそが歴史学の重要性・必要性なんだと感じた。生徒に直接意見を聞くシステムはよいとは思うが、少し時間をとりすぎな気もする。板所の「?」に対する答えをもっと明確に示してほしいことが多々ある。あと、話を聞いた感じだと、新たな資料を見つけないと真実に近づくのが難しいという印象をもったが、それがない状態で研究を重ねることに意味があるのか、疑問に思った。そんなにポンポンと新しい研究材料が発見されるわけではないですよね? 反証可能性の話は納得させられた。
(55)科学の進化の過程が真実の追求にあるという考えにあるのが興味深かった。
(56)前の授業同様に、わかりやすく、よく理解できた。
(57)テストはメモのようなものも持ち込み可ですか? もしも可だったら、うしろにプリントしてあるものはダメとか、決まりはありますか?
(58)歴史小説と歴史学の違いについてだが、歴史小説は真実の明確化ができないのは自明であるが、歴史学もまた真実の明確化は不可能なのではないだろうか。とすると、この二つの間に、大きな違いはあるのだろうか。あるならば、それはどういった点なのか、はたまた、この二つはまったく同じものなのだろうか。
(59)板書が見やすくなった。
(60)新年早々に専門科目があるのはキツかった。テストがんばりたいです。
(61)まだ正月気分が抜けきらないなか、講義についてゆけなかった。
(62)集団での行動の重要性がよくわかった。
(63)ヘロドトスやトゥキディデスなど古代ギリシアには歴史を研究する人たちが多くいたことを学んだが、それが科学になっていたのは不思議だ。アリストテレスはたしか数学などを科学として確立したような気がするのですが、歴史は18世紀までかかった。もしかしたらアリストテレスが科学を確立したことは少しあいまいな知識だが、他の分野よりも歴史が科学になったのは遅いことはたしかなので、それだけ複雑な学問なのだろうと思った。
(64)今まで史実は一応正しいものとして認識してきたが、「史実は明らかにできるか」という問題は非常に難しいものだということがわかった。
(65)過去の出来事があったのを証明することは、よく考えてみるとじつは難しい、ということがわかった。文献などを無批判に受け入れることは危険で、資料をよく見比べて事実に近づこうとする姿勢が大切だと思った。
(66)板書の書き方が、量が抑えて、かつわかりやすくて、ありがたい。歴史を知ることの有用性についての議論で、現代のわたしたちにどのレベル(あくまで日常生活レベルでのことか、教養や高度なレベルで役立てることか)の話か、判断しかねた。有用性ありと答えた人が多かったが、どれも後者のレベルでの意見ばかりだったと思う。
(67)真実の明確化は不可能であるから歴史学と歴史小説の違いはない、と思っていたが、わからないことを「わからない」と認めるのが歴史学だという主張(論説)は自分にとって新鮮ですごいと思いました。科学の科学性を考えることは非常に重要で面白いテーマだと思いました。
(68)これまでの人生で、何気なく「歴史」というものを学んできたが、あらためてその出来事が確実に過去におこったかどうか証明せよ、と問われると、かなり困ってしまうと感じた。歴史とは何なのかということに関して考えさせられる、良い機会となった。
(69)結局、すべてのことは本当に正しいのかはわからないと思う。
(70)「科学の成果は批判にさらされなければならない」という言葉が印象的だった。
(71)今まで色々な歴史小説を読んできたが、そのなかには事実だけでなく筆者の想像や断定も結構含まれているのではないか、と思った。でも「今はわからない」と正直に述べてしまうより、たとえ想像でも何か書いたほうが、小説としては面白いと思う。ただし、当然、書いてあることを鵜呑みにしないように気をつける必要もあると思った。
(72)年明け最初の授業だったので、とても疲れました。テストにむけてがんばりたいです。
(73)最近の講義の内容はわかりやすくて楽しいです。
(74)織田信長の遺体は見つかっていないはずなのに、「本能寺の変」で信長が殺害されたと断定してよいものか、疑問に思う。テストが不安で落ち着かない年末年始でした。
(75)想像にしか過ぎないことが、常識として信じられている、というのは、世の中のあらゆるものに共通しているのだと思います。マスメディアなどによって与えられた情報を個人で取捨選択あるいは追求して判断する能力が必要だと感じました。
(76)歴史学者は大変だと思いました。たとえ資料があっても真実だとは限らないし、筆者の意図したものを理解できないかもしれない。そのようなものを参考にして真実を求めるのは、どれを信じてよいかわからなくなり、真実に近づきにくくなるのではないか、と思う。
(77)反証可能性は、科学だけでなく、人や組織においても必要なものだと思いました。批判されて向上するという点は、すべてに適用されるものだと思います。
(78)historyとstoryの違いは「科学性」があるかないかだとおっしゃいましたが、ノンフィクション小説はどちらに分類されるのですか? 物語の大筋に「真実性」があるならば、それは科学(history)とよべるのですか?
(79)科学がどういうものなのか、少しわかった。でも、教科書で読んだことなので、もう少し発展させて話してほしい。
(80)今回の授業を通して、歴史学の色々なことがわかり、とても有意義だった。
(81)真実に近づくということは非常に時間と労力がかかる作業なんだと思った。
(82)「CF.」ってなんですか。
(83)年末年始地元に帰って怠惰な生活を送り、経済史学のためだけに登校し、受講するのは、正直つらかったです。可能であれば、次からは専門科目とか関係なく、全科目同じ日から始めてほしい。
(84)historyとstoryの違いは、わたしも前々から気になっていました。Historyは真実に接近する努力、微分係数を割り出す、というたとえは、良かったと思います。科学の成果は批判にさらされる必要がある、反証可能性命題である、という考えは、科学のみならずあらゆる学問に共通するアプローチだと思いました。
(85)経済史学を含めた科学というものが「わかるか、わからないか」が重要なのではなく、わからないことを認めたうえで信実にむかって接近することに意義があるのだ、とわかった。だからこそ真実への接近には労力と反復が必要であり、科学は集団でおこなうのである。
(86)この講義でたくさん話を聞いたが、歴史は社会の役に立つということだけしか頭に入りませんでした。
(87)あけましておめでとうございます。今日はシャツを着ておらず、ラフな服装でしたね。テストがんばります。
(88)科学というのは終わりがないものだということが良くわかった。学問の成立から、人類はさまざまな資料をもとに研究を重ねてきた。われわれもそのレールの上を進むことになるのだろう。学問というのは、人類が死ぬまで新たな発展を続けるのだと思った。
(89)科学が真実に接近する過程が、大変参考になった。反証可能性について、すべてが正しいと教えられる高校と、批判も考えうる大学との大きな違いで、一年生の自分たちが最初に思考の違いでぶつかる壁だと思った。
(90)この講義はとても面白かった。
(91)前回と今回の講義の内容は、経済というよりも歴史の分野に近い感覚だったが、過去の解明は普段自分たちが意識しない内容でありながら、いざ向き合うと究極的な真実の追究が科学としてまで大きな役割を持っていることに、スケールの大きさを感じた。
(92)テストが不安です。なにをどう勉強すればよいか見当がつきません。
(93)今日の講義内容はすごく納得できました。Historyは、より真実に近づくために継続的な努力を必要とするのであって、100%正しい資料・仮説・文章…であると安易に受け入れてはいけないのだ、ということがわかりました。わたしも今後レポートや論文を書く際には資料などの使い方に気をつけたいと思いました。
(94)テスト簡単にしてください!!
(95)テスト簡単めでお願いします。
(96)歴史と物語の違いは断定と呼びかけであるようだが、それがピンと来ませんでした。
(97)次回の試験がんばりたいと思います。難しくないと期待します。
(98)科学に批判が重要というのは驚いた。ただし、学問すべてを科学とひとくくりにするのはどうか、と思う。
(99)集団で作業することのメリットを、あらためて考えさせられた。また、真実に接近するためには大変な過程を踏まなければならないと感じた。
(100)「信長の家来が何人か?」を例に、それが必要か必要でないかはどうやってわかるのですか?
(101)資料を探してくりかえしつき合わせることで真実に近づくことができることはわかったが、いつまでも続けると新しく発見することが少なくなり、ムダが増えてしまうのは、しかたがないことなのだろうか。
(102)historyとstoryの違いについて講義をされていましたが、聖書など宗教などの教典に書かれていることを無条件に史実だとして受け入れている人を見たことがあります。そのような人に、科学をもって接するのは難しそうに感じます。
(103)今の時代では、ひとりで科学の成果を挙げることは無理なのだと思った。より良い成果を挙げたいのであれば、他者の協力は必須だと感じた。
(104)小説家は、真実をわかっていても、それを美化したりすることで読者に違った印象を与えることがあると思います。このことは、歴史学者にとっても許されるのでしょうか。もしも許されないのであれば、これも小説家と歴史学者の違いのひとつとして考えられませんか?
(105)批判や反論を繰り返しながら科学が進化してゆくという話は面白かった。
(106)テスト前最後の授業だというのに、まとめがあいまいに感じる。
(107)99.99%ほど真実に接近できれば、それはもう事実いってよいのではないだろうか、と思った。
(108)今まで歴史の意義とは何かとときどき考えていたので、この講義はとても興味深かったです。
(109)真実を突き止める作業はいつまでも終わらないような気がしてきた。
(110)大学のゼミなどが集団で研究をしている意味がわかりました。
(111)高校までの勉強は基本的に一人でやるものだったが、大学での研究は集団でやるほうが、他人からの批判などでより深いものになるものだと思った。
(112)歴史学も科学の一種であると考えるのは不思議な感じもする。
(113)科学においては批判がもっとも重要だということが良くわかった。
(114)真実に少しでも接近しようとする努力が大切なのだとわかった。
(115)真実に接近してゆくことや、先入観などの点は、現代社会のさまざまなところで応用するべきことだと思った。
(116)授業がひとつの筋に沿って進んでいるから、最後までわかるので良い。
(117)新年早々来たくなかったです。来年はやめてください。
(118)歴史学も、考えようによってはひとつの科学なんですね!!
(119)なにごとにおいても「わからない」ことを認めるのは大事だと思う。
(120)歴史小説と歴史学の違いが科学性にあるという話ですが、すんなりと納得できる、ためになる話でした。
(121)史実に関して絶対的な真実を解明することは難しいが、真実に接近することはできる、ということは、わたしもそう思います。
(122)集団でおこなう科学の話は、経済史学の枠だけにとどまらず、面白いと思った。また、ときどき出るゼミの話も有用だと思った。
(123)科学の「科学性」というのは、科学がどのくらい真実を明らかにできるか、ということですか? あと、結局、真実を明らかにできない学問は科学なのですか?
(124)自分は典型的な日本人なので、批判されるのは好きでないのですが、真実を見つけるためには重要であることがわかりました。
(125)これまでの講義で、教科書の内容をうまく吸収できたと思う。
(126)わからないことがあったら、ちゃんとわからないと認め、わかるよう努力することは、生活にもいえるなと思いました。また、作業が膨大すぎて、ひとりでは大変なとき、チームワークが大事なんだなあと思いました。
(127)非常にわかりやすい講義でした。空調をもっと下げてもらいたいです。
(128)歴史小説と歴史学の違いについては、昔からわたし自身も知りたいと思っていたことなので、本日の授業で知ることができてよかったです。
(129)教科書を読むだけよりも、生で講義を聞くのは、だいぶ違うな、と感じた。Historyとstoryの違いが何なのか、よくわからなかった。
(130)歴史小説は個人の手によっておこなわれるので、その点でも歴史学とは異なると思った。
(131)資料の内容が違っていた場合、なにをもって真実に近いと判断するのか。科学が集団でおこなわれる重要性・批判されることの重要性がわかった。
(132)storyとhistoryの違いを説明しろといわれると難しいものだったが、今日の講義で違いが良く理解できた。
(133)テストが不安です。穴埋め式にしてほしい。
(134)年明け早々の講義でダルかったが、充実した内容だったので、来て良かった。
(135)歴史学の大変さが少しわかった気がした。
(136)「接近」という表現が、科学の特徴を良くあらわしていると感じました。天気の話がありましたが、今日、地球が滅びたら、明日の天気も何も無いから、予想は100%にはならないですね。
(137)小説で「CIA=カンパニー」と使っていたが、それは正しい使い方なんでしょうか?
(138)板書や解説のテンポが良く、集中しやすいです。
(139)肩がすごく痛いです。
(140)結局なんの勉強だったのか、わかりませんでした。意味の無い勉強なんて無いけど、この講義は何の意味があったんだろうと疑問に思ってしまいました。
(141)テストがんばります。
(142)歴史学は堂々めぐりだという気がした。
(143)historyとstoryの違いがわかった。イタリア語でhistoryとstoryが同じ単語で表されているのは意外だった。5日からの授業はつらいです。
(144)いままで、史実はほとんど明らかにできないものだと思っていましたが、今日の授業を聞いてみると、半分明らかにできて半分できない程度のものなのかなと思いました。ただし、単にあいまいなのではなく、接近の努力をすることによってだんだん真実らしくなり、経済史学にも科学性がはっきりあるということが、新たにわかりました。
(145)「[2]ヒストリーとストーリー」の内容がほとんど教科書と同じ内容に思えたので、もう一歩踏み込んでほしかったです。
(146)あけましておめでとうございます。とても哲学的要素の強い授業だと思いました。
(147)真実を明らかにする(真実に接近する)には、色々な資料を探してつきあわせたり、何人かで共同でやったりと、多くの時間や労力がかかるんだな、と思いました。それだけ大変なのだから、少しでも真実に近いことにたどり着けないとさびしい気がするし、作業した人が報われないと思いました。
(148)話が聞きやすくてよかったです。教室の温度もちょうど良かったです。
(149)経済史と歴史の違いがわかったような気がします。もう一度教科書を読みたいと思います。
(150)わかりやすい内容でよかったと思います。
(151)真実に接近するには個人では厳しいということが、良くわかった。
(152)本能寺の変をたとえにした説明が、とてもわかりやすかった。
(153)経済史学の史料が、わからないことは「わからない」と示しているのならば、「わからない」と示していないものは真実ということになると思う。それならば、史料をいくつも探してつき合わせる必要はないのではないかと、矛盾しているように感じた。
(154)今年最初の授業がこれでよかったです。しかし、後半の授業内容は、経済史というよりも「学問とは」という色合いが非常に強く、今まで以上に経済から離れていて、個人的には少しもの足りないと思いました。目的あってそうしているのでしょうが、もう少し経済にからんだ話をしてほしかったです。
(155)歴史学について思うことはありませんが、感情論を歴史に持ち出してくる人間や、法学の領域の問題に歴史や歴史学を持ち込んでくる人間には辟易としている今日この頃です。
(156)反証可能性によって科学が進化してゆくならば、批判がなくなった場合、その科学はどうなるか?
(157)今回の講義で、事実(真実)は明らかにできないということをやったが、事実(史実)が明らかにできないというところに歴史学の面白さがあると思った。
(158)テストを作成したといっていたが、形式は前回言っていたように穴埋め形式に確定したのでしょうか。論述の可能性も示唆していたので、どちらの形式なのか、教えてください。大変勉強になる講義だと思うが、少し歴史学寄りの側面が強いように思う。
(159)5日から授業に出てくるのは大変だった。「史料を探してつきあわせる」をくりかえしている先生方はすごいなあと思った。
(160)科学は議論・研究・批判などによって真実に近づくことを知った。では世界はどうだろうか。たしかに独裁や奴隷制、植民地制度など、人権を踏みにじるような存在は少なくなり、世界は幸福に向かっているようにみえる。しかし現代のテロ問題や宗教・民族対立の高まりは、世界が幸福に向かう方向とは逆行している兆候ではないのか。また、大きな戦争が起こらなくては、人間は不正義に気づくことはできないのか。
(161)モンゴル史について書かれてあるMongolian Secret historyという歴史資料があります。しかし、明らかに神話のようなものもあります。そのような、半分がヒストリーで半分がストーリーである資料をどこまで信用できるかは、疑問に思います。ポパーによる「反証可能性」で科学か否かを決めることもあるようだが、たとえば、明らかに反論されなくてもよい場合は非科学になるのでしょうか。
(162)歴史小説と歴史学の違いがよくわかったので、面白かった。また、日本では資料が一ヶ所に集まっていないという話がありましたが、火事などで失われてしまうことを考えれば、むしろ良いことではないのでしょうか。
(163)過去の出来事についての検証は、やはり時間と言葉の影響をつよく受けると感じた。日々新たな言葉が生まれては消え、用法も変化してゆくという流れがあるため、真実の明確化は非常に困難だということは、納得できた。真実に少しでも近づくために批判を繰り返す姿勢は科学の進化にとっても重要だということがよくわかった。
(164)科学が批判と反論によって進化するというのは、理論としては理解できる。しかし実際は、そううまく歴史学は発展できないような気もする。竹島が歴史的に自分の領土だと主張する日本と韓国の研究者が批判しあって、ひとつの答えが出せるのだろうか。答えを出さなければ役に立たないのに、平行線のままの気がする。
(165)「学ぶ意味」みたいなものを聞けて良いです。
(166)真実に到達することは不可能でも、接近することで、過去の真実らしきものを、わたしたちは過去の出来事として認識しているのだ、と思いました。反証可能性、興味深かったです。
(167)絶対的な真実に迫ることは非常に難しい(不可能?)なことが、良くわかった。中学や高校で学んできた歴史の授業も一面的な見方にすぎない気がしてきた。
(168)科学はどの分野もぐるぐる回りつづけることで発展してゆくことで終わりがないということが面白いと思った。何より議論がとても重要だと思った。
(169)新年明けての授業はキツかったです。
(170)歴史学に科学性があることがよくわかった。今日のhistoryとstoryの違いについての話が面白かった。
(171)「限りなく近づけるけれど、絶対『真実』にはなりえない」というのは、極限の理論みたいですね。
(172)先生は「日本では資料は一ヶ所に集まっていない」といっていたが、日本以外の国では資料が一ヶ所に集まっているのでしょうか。
(173)科学が集団でなければならないことに疑問を持っていたが、先行研究のことなどを考えると納得できた。
(174)経済学入門(A)でマルクス経済学批判に反証可能性の話が出てきていたのを思い出した。
(175)「科学の成果は批判に開かれていなければならない」という話は、確かにそのとおりだと思う。
(176)この講義で、少しは経済史学について理解できたと思う。
(177)経済史について、日本史などとアプローチのしかたは一緒なのだと思いました。
(178)教室の温度はちょうど良くなった。授業は板書をきちんとしてくれて、助かります。
(179)科学について批判的な見方をすることは大切だと思う。しかし、高校の歴史などでは、ひとつの事実を追いたがる傾向があり、受験などでも、真実への接近よりも真実そのものを求めているような気がしてならない。これは矛盾している気がする。
(180)historyとstoryの違いは、わかりやすくてよかった。たしかに明確な真実はわからないが、近い答えは必ず得られると思う。
(181)歴史を明らかにするのはすごく難しい作業なんだな、と思いました。そのうえ、その歴史すら本当に正しいとも言いきれないあたりが、奥が深いなと感じました。調査とか研究とか、どれだけやってもやりきることはないことなんだな、と思います。完全に個人の主観や先入観を取り除くのは不可能な気がします。
(182)歴史小説と史実の違いについて、よくわかりました。日本の資料が一箇所には集まっていないということに驚きました。新しい資料が出れば、今までの歴史が変わってしまうこともあるのでしょうか。
(183)今日の講義の内容は、当たり前のようなことでとても重要なことだと思いました。歴史の研究家たちは、過去の事実を完全につきとめようとしているのではなく、なるべく接近しようとしているのだとわかった。そういう繰り返しで学問は進歩してゆくのだと思った。
(184)historyとstoryの違いについては、その内容が真実であるか作り話であるかの違いであると認識していましたが、歴史小説のように、事実をもとにした物語もあるわけで、本来はその真実性にかかわらず科学の「科学性」というものであるとわかった。
(185)講義全体を通じて、情報教育の色が濃かったように感じた。真実という情報は事実と立ち会ったもので完結すると考えるので、歴史の大半はstoryになるのではないかと感じた。
(186)ものごとが発達するにはなにごとにも批判が必要だということはわかります。ですが、多少の賛同もなければうまく機能しないのではないでしょうか。現在の内閣のように…。そう考えると、科学はいろいろなところで作用しているように思いました。
(187)約4ヵ月、授業を受けて、歴史に対する見方が変わった気がします。歴史が科学だなんて考えたこともありませんでした。歴史の研究が団体戦だということにも納得しました。
(188)織田信長の家来の話が面白かった。しかし、やはり「真実」そのものにたどりつくのは不可能なのだと思った。研究を複数人でやる理由も納得。
(189)1月5日の授業はイヤだなあと思っていたけど、久々に早起きして気持ちの良い朝を迎えることができて良かった。
(190)暖房効きすぎです。
(191)今日の授業は前回に続いてわかりやすかったです。
(192)historyとstoryの違いが良くわかりました。科学が集団でおこなわれる理由も明確で、充実した講義だったと思います。
(193)毎回の講義は「真実はわからない…」などとあいまいな結論で終わって納得がゆかなかったが、今回はすっきりした終わり方でよかった。
(194)科学とのかかわりが非常に興味深かった。
(195)科学が集団でおこなわれる理由に「作業が大変」とありましたが、ただ資料を集めるだけならば、集団でおこなったほうがよいと思います。しかし、資料が大量で、資料を読みとくのを分担してしまったら、個人の思い込みを避けるという意味が薄れてしまうと思います。
(196)可能な限りの方法を駆使し、さまざまな資料を活用してただひとつの真実に近づこうとするものは科学なのだという気がしました。だから、小説のように想像で補われるようなものは物語にすぎないのだと思いました。
(197)storyとhistoryの違いに関することなのですが、「わかる」と信じられていたことが間違いだった場合、「想像」と「わかっていると信じられていたこと」の違いはあるのでしょうか。
(198)歴史は、国や個人によって、自分の都合が良いように解釈しがちであるし、そうしたいと思うものである。だから、歴史はある程度の共有はできると思いますが、それ以上はできないと思う。科学的に証明することにも限界があるからである。
(199)高校の物理・化学を習うときに反証可能性やパラダイム・シフトについて聞いたので、今回、経済史学も科学なのだと実感した。
(200)1月5日はキツかった。例えが面白かった。部屋がやはり暑い。
(201)歴史学におけるひとつの事実を突き止めるために要する労力は、自然科学と同じくらい多大なものだと、あらためて認識した。
(202)前々回の復習も取り入れて話してもらえたので、休み中にとんだ記憶が戻ってきて良かった。『歴史学ってなんだ?』を読んでいて納得していた分、今回の講義内容はスムーズに理解できたと思う。
(203)真実に接近しようとすることが大事なんだと思った。
(204)『99.9%は仮説』という本が一時話題になった。飛行機がなぜ飛ぶのか、じつは解明されていないらしいが、そういった意味で、客観的に史実に近づく歴史学も立派な科学であると、あらためて思う。
(205)結局ものごとが明らかにできないのなら、あまりこの授業に意味を見出せない。
(206)小田中先生のフランスでの6000枚の写真の話や、長谷部先生の蔵まわりの話を聞き、研究者たちの苦労がうかがえた。
(207)前回の講義からだいぶ時間が空いてしまったので、若干、感覚のようなものが鈍ってしまった気がする。試験も近いので、復習もしっかりしつつ感覚を取り戻してゆきたい。今回の授業の、historyとstoryの違いについての話は興味深かった。実際、歴史書と歴史小説はイコールでないが、小説を読むのも面白いと思うので、時間を見つけて読んでみたいと思う。
(208)ヒストリーとストーリーという非常に考えにくい内容でしたが、本能寺の変など、身近でわかりやすい例を挙げてもらいながら、退屈せず聞けました。
(209)社会の制度や仕組みを覚えることだけではない、社会科学の本質を突くような講義だった。
(210)「60歳になると使えなくなって…」というのは適切ではないと思う。
(211)今日くらいの気温がちょうどいいです。文字が大きくて見やすいです。
(212)授業にやっと慣れてきた。入門らしい授業だったのではないかと思う。熱意をこめて授業してくれてありがとうございました。先生の熱意、これでもかっ!、というほど伝わってきました。
(213)経済史とはなにか・何を扱うのかや、経済史学者はどういった態度でこの学問に取り組んでいるのかを話している点で、経済史「入門」として適切な講義だと思う。この講義を受けて経済史に興味を持った人は、これから、より本格的な経済史を学んでゆけばよいのだと思った。わたしは他に興味のあるものを選んでゆくつもりだ。
(214)この授業がやっていることは、経済史の内容というより、経済史を相対化することだと思う。経済史をやるにあたって、それ以前にその位置づけを知っておくことは重要であり、その点でこの講義は意味があるようにみえる。しかし、授業中の例示を見てもわかるとおり、歴史学というくくりとしての相対化しかおこなわれていない気がする。というわけで、この授業は今まで歴史を勉強してきた人を対象とした全学教育のほうがふさわしい気がする。
(215)実験によってでも、ある真実に接近することができる科学とは違って、資料に頼る歴史学や経済史学は限界が来るのではないのですか?
(216)今日の講義のなかでstoryの方法が想像や断定にあり、historyの方法が接近にあるという話がありましたが、演繹はどちらになるのでしょうか。入手可能な資料から真実を推論してもstoryに含まれるのでしょうか。
(217)かつて歴史小説と歴史学を比較する話題があったことを思い出した。当日は漠然とした想いしか抱かなかったが、今ならば解したといえる。長くなるから記さないが、曖昧さをどう解したか、ということだろう。あるものごとが科学たりえるためには議論される余地が残されていなければならないと思う。
(218)科学が反証によってより正確になることはわかったが、実際には、検証された事実(学説)が科学者以外に伝達される過程が存在する。その過程で検証された事実の確からしさが歪められる可能性があるのでは、という点が少し気になった。
(219)本当に歴史は面白い。信長が死ぬとき、周囲にはどれくらい人がいたのか? いつも情報を受ける側で、自分からそんなことを考えたことはない。深く考えるきっかけをもらった気がする。
(220)テストが不安です。見当がつきません。
(221)黒板の字の大きさや、室内の温度などの学習環境に気を使っていただいて、充実した講義でした。経済史学のイメージをつかむことが出来ました。
(222)真実を探すためには、個人の思い込み(偏見や先入観)を避けなければならない。そのために複数でチェックすることが必要となる。これは、科学(経済史学)を考える場合だけでなく、なにを決断するときにも必要となることだと思った。
(223)大量に資料がある科学は、一人でやるのではなく、集団でやるほうが効率が良いのだなとわかりました。複数でチェックすることにより、個人の偏見が反映されにくくなることに、なるほどなと思いました。
(224)日本語だと全く違う言葉だと思っていた言葉が、英語になるとよく似ている言葉だったことに、面白さを感じました。
(225)ずっと真実を明らかにできるかについて考えてきたが、「真実に接近することはできる」という考え方はなるほどと思った。
(226)政府による資料の隠蔽があったことに驚いた。証拠隠滅のほかにも、時間や言葉などいろいろな問題があって、史実を明らかにすることが難しいということをあらためて実感しました。
(227)教科書を冬休み中に読んだので、授業がすっと入ってきました。みんなの意見が紙になって配られるのが、いつも楽しみです。他の人たちがなにを考えているのか、議論する場があまりないので、こういう場に頼るしかないのですが…。前列に座っている人たち(頭のよさそうな…)や周りの友人も、案外同じようにマジメなことを考えているのかもしれない、と思います。
(228)フランス語やイタリア語ではhistoryとstoryは同じ単語だと聞いて、はじめは「なぜ?」と思ったが、今日の話を聞いているうちになんとなくその意味がわかったような気がした。